Ep.7-80
「——まさか、本当にこれで終わりではないでしょうね?」
ナズグマールは近づく足を止めて、エリオスを見下ろす。こちらは無防備、丸腰の上に魔力すら練っていない状態でエリオスの間合いにまで入ったというのに、彼は微塵も動きを見せない。
荒い息を漏らして全身を上下させるだけ。
そのあまりに弱弱しい姿――いっそわざとらしいほどに――ナズグマールは眉間にしわを寄せて、立ち止まる。
ナズグマールは一瞬その表情に逡巡を覗かせたが、すぐに不敵な笑みでそれをかき消して倒れ伏した彼の頭の側でひざを折る。
無言のままうつぶせになったエリオスの姿を見下ろし、それからその黒く柔らかな髪を乱雑に掴みその頭を持ち上げる。
エリオスの顔には苦痛の色が浮かんでいた。それでも彼の身体は抵抗することもせずになされるがまま。
「弱い、あまりにも……」
そう言ってナズグマールは空いた左手の指をエリオスの首に食い込ませる。
「あ……ぐぁ……か、ひぅ……」
気道が押しつぶされる感覚に、エリオスはようやく声を上げ、目を見開いた。溢れる嗚咽を聞きながら、ナズグマールは退屈そうな表情を浮かべる。
「神の力を宿しているとサルマンガルド殿は言っていましたが、それが強さに直結するわけではないとよく分かりました。まったく、はずれくじを引いた気分ですよ」
力なくもがくエリオスに対して、ナズグマールは淡々とした声で侮蔑の言葉を紡ぐ。
それでもエリオスはやはり抵抗すらできないで全身を震わせるのみ。そんな彼の姿にナズグマールは乾いた笑いを漏らした。
「無様な——まるで脚をもがれた虫のようですね。首を手折られる寸前でさえ、抵抗も反撃もできないだなんて——」
口にした言葉が空に溶け消えるのと同時に、ナズグマールはその手に力を込めてエリオスの細い首をへし折り、その命を終わらせようとする——しかし、その瞬間彼は気付く。
周囲に渦巻く奇妙な魔力。
それは傷ついたエリオスの身体から滴り落ちる血溜まりから——
「——ッ!?」
それまで血溜まりを一顧だにしていなかったナズグマールは、ただよう魔力に釣られて、視線を自身の足元に向けた瞬間思わず息を呑んだ。
赤黒い水溜まりとなっていたはずの血溜まりはいつの間にやら不気味な幾何学模様をその内側に描く円陣となってナズグマールを取り囲んでいた。
「脚をもがれた無様な虫、だっけ——はは」
弱々しい声が響く。弱々しいはずなのに、その奥にはっきりと嘲りの色の浮かぶ声が。
反射的に顔を上げたナズグマールの目に映ったのは傷だらけの血塗れなのに、不敵で涼しげなエリオスの笑み。
「反撃も抵抗も、とっくに済ませてるんだよね」
その言葉が消えるのと同時に、ナズグマールの四肢を強い力が掴んだ。




