Ep.7-76
最前線で魔物たちと戦っていた兵士たちが、踵を返して本陣に向かってかけてくる。
その表情には、戸惑いを浮かべる者もいるし、なぜ今撤退するのかと憤りに近い不満を浮かべている者もいる。当然だろう、彼らにはどういう目的で撤退しているのかなどというのは伝えていない。
伝令の魔術で自分の意図を伝えたのはただ一人――今、彼らの先頭を駆け、全体を引っ張っている老騎士、ザロアスタ卿のみ。
どんな権威ばった将官も、荒くれの賊まがいの無法の兵士も、彼を前にしてはその意向を無視することなどできない。指導者の器かと問われればそれは怪しいけれど、麾下の兵士たちに有無を言わせないあの圧倒的な覇気は、指揮官としては得難いものなのだろうとレイチェルは思う。
それからレイチェルはちらと敵陣の中心の本陣と思しき場所を見遣る。
そこには一人の女剣士が立って、周囲の魔人や魔物たちに指示を出していた。しばらくその姿をじっと見ていると、不意に彼女の視線がこちらに向いたのが見えた。
「――!」
こちらを見ている。あの様子だと、こちらが何をするつもりなのかとうに理解しているようだ。
その証拠に、敵本陣からは背を向けた聖教国軍を追撃するための戦力が発った様子が無い。これが罠だということには気づかれているようだ。
あわよくば、中堅どころ以上の魔物たちの死体も稼いでおきたかったが、この際仕方があるまい。最前線の雑兵たちを一掃できるだけでも十分、と満足しておくほかあるまい。
レイチェルは小さくため息を吐いてから、大平原の中央を見遣る。
ザロアスタが率いる尖兵たち――その最後尾は、すでに大平原の中ほどまで退却していた。ちょうど、ユーラリアとモルゴースが対峙したあたり、あの激戦の跡がクレーターのように残るあたりを殿の部隊が通り過ぎる。
そしてそれを追いかけて魔物たちの一団が迫って来る。
まずは狼のような姿をした魔獣、それから『蟲』をはじめとしたその他魔獣、続けてゴブリン、オーク。そして最後に巨大な体躯ゆえに鈍足なオーガや巨人たち。
その全てが、クレーターのあたりを通り過ぎたのを認めると、レイチェルは地面に突き立てていた聖剣の柄を強く握りしめ、軽く持ち上げる。
そして、全身の魔力を絞り出すようにして、刀身に魔力を巡らせて、謳い上げるように詞を紡ぐ。
「『晶析』の理を司る聖剣に願い奉る。大地に眠れる牙を私のために振るって欲しい、その顎で我が道を喰らい開いて欲しい——大権能、収束励起」
金色の光が刀身からあふれ出す。その光景を、レイチェルを取り巻く者たちは息を呑みながら見つめる。そんな視線の中、レイチェルは小さく吐息を零してから、浮かべた聖剣の切っ先を地面に思い切り突き立てる。
「呑み喰らえ――『晶析せよ、星の顎』」
昨日人生で初めて親知らずを抜きました。
違和感がすごいですね。




