Ep.7-74
大平原の中央付近、魔物たちに囲まれていた一団に動きが見えた。
迫りくる魔物たちを切り伏せ、前へと進もうとしていた彼らの攻勢が弱まった。否、どちらかといえば守勢へと回り始めたというべきか。進撃ではなく、現状の戦線の維持への移行。そして次第に撤退するかのごとく戦線が縮小していく。
「——撤退? この状況で?」
ちらとサウリナが敵本陣の方を見遣ると、赤い狼煙が細く高く上がっていた。あれが、聖教国の一団の撤退を促したのか。
サウリナは口元に手を当てて考え込む。
現状はまだ、優勢劣勢が決まるような局面ではない。戦力差という意味でも、勢いという意味でも未だに拮抗状態だ。だというのに、今このタイミングで撤退を決断するというのは些か早計に思える。
それこそ、辛うじて維持されている前線の兵士たちの士気を損ねることになりかねないし、何より撤退などしようものなら追撃は免れないからだ。そんなリスキーな決断をする局面には見えなかった。
「兵士たちの体力を気遣ったのではありませんか? 人間は体力や気力の面で我々に大きく劣りますから」
そばに控えていた魔人の将官が、独り言のつもりだったサウリナの言葉にそう応答した。
「そういうものかしら。人間との全面戦争なんて初めてだから勝手がいまいち分からない」
サウリナはそう言って肩をすくめる。
今まで彼女が経験してきた戦役といえば、モルゴースが魔王の座に就く前——暗黒大陸に群雄が割拠していた頃、モルゴースの対抗勢力となる存在を滅ぼし、屈服させるための戦いだけ。すなわち、魔物対魔物の戦いのみしか彼女は知らない。
サウリナは僅かに戸惑いを覚えながらも、将官に向けて口を開く。
「まあ、いいわ。我らに背を向けるというのなら、魔物らしくその無防備な背中に牙を突き立てるまでのこと」
「では前線にはそのように伝令を? 必要とあらば術師を読んで参りますが」
将官が問いかけると、サウリナは彼に視線を向けないまま、ゆるゆると首を横に振る。
その目はまさに撤退を開始した聖教国軍の動きへと注がれている。
「伝令なんて不要よ。前線の連中はそんなことを伝えずとも本能の赴くままに逃げる背中に食らいついてくれる。大体伝令の言葉を理解できるものがどれだけ———」
そこまで口にして、サウリナは何かに気がついたように視線を僅かに上げた。その目の先には、糸のように高く空に上がった聖教国軍の赤い狼煙。
いやでも目を引くその煙から、サウリナはその発生源たる敵本陣へと視線を転じる。
敵本陣の最前には、一人の騎士が立っていた。白金の鎧に身を包み、黄金色に光り輝く剣を地面に突き立てた金髪の女騎士。
その姿と、自身の脳裏に浮かんだ直感的予測にサウリナは思わず息を呑む。
それから、この場を離れようとする将官に向けて、視線はそのままに再び声をかける。
「——やはり伝令役の術師を呼んで。今すぐに」




