Ep.7-56
シャールとユーラリアの背中を見送ると、エリオスは再び彼女たちに背を向けて迫る黒い魔力の塊へと目を向ける。周囲の空気を汚染するかのような濃密な魔力の中心には一つの人影が浮かんでいた。
「――おや、最高巫司猊下とあの聖剣使いの少女は先に行かれたのですか。そして、貴方が残られたと」
「ふふ。もしかして私が相手では不満かな?」
エリオスは魔力の中心に立つ人影に向かって肩を竦めながら問い返す。そんな彼の問いかけに影は「ふむ」と鼻を鳴らすと、にっと歯をむき出して笑った。
「いやいやいやいや。不満などと、そのようなこと抱くはずもありませんよ。御身の高名は聞き及んでおりますよ、エリオス・カルヴェリウス様」
渦巻く魔力の靄の向こう側で、何者かが腰を折るように動くのが見えた。
そんな相手の言動に、エリオスは呆れたような表情を浮かべて唇を尖らせる。
「ふうん、それはそれは。なら、そろそろ姿を見せてくれないかな。正直全身から溢れさせてる魔力の所為で君の顔も大して見えやしない」
「おっと、これは大変失礼をば。そういえば、名乗ってすらいませんでしたね」
そう言って会話の相手は指をぱちんと鳴らす。その瞬間、周囲に満ちていた禍々しい魔力がまるで潮が引くかのようにその中心へと引きずり込まれていく。そして最後には、黒い燕尾服を身に纏った黒髪の青年が立っていた。
青年はゆったりとした動きで白い手袋を嵌めた右手を胸に当てて、悠然と腰を深々と折る。
「改めましてお客様。私、魔王モルゴースの配下たる三卿の末席を穢させていただいておりますナズグマールと申します。エリオス・カルヴェリウス様、どうぞお見知りおきを」
「――ッ!」
ナズグマール――魔王軍の最高幹部たる三卿のうち、天魔卿の名を冠する者。その正体は真正の悪魔であると噂されるその者を前にして、エリオスは思わず息を呑んだ。
目の前の存在の異質さは、エリオスが今まで出会ったあらゆる存在以上に際立っていた――それこそ、彼の主人である魔王モルゴース以上に。未だにこの空間に残る魔力の残滓は、肌をぴりつかせるようで、エリオスは背筋に寒気が走るのを抑えきれなかった。
なるほど、この異質にして汚濁じみた魔力は確かに、神話に語られるような真正の悪魔というのも納得できるというものだろう。エリオスは、にこにこと好青年のように笑うナズグマールをじっと見つめながら、外套の端をつまんで悠然と腰を折りながら頭を下げて見せる。
「……これはどうもご丁寧に。ならばこちらも応じようじゃないか――我が名はエリオス・カルヴェリウス。貴殿とその主を屠るためにこの場に立つ者だ。天魔卿ナズグマール殿、こちらこそどうぞお見知りおきを」
そう言ってエリオスはにんまりと笑った。




