Ep.7-20
「——どうした、我はここだぞ? 神の代理人殿」
ユーラリアの耳元で囁く声が聞こえた。ざらりと鼓膜を舐るようなその言葉の一音一音にユーラリアは総毛立つような緊張と悪寒を覚え、反射的に声がするのとは逆の方へと飛び退き、距離を取る。
「ふふ、そんなに怖がって……存外に臆病だのう、最高巫司殿は」
飛び退いた先でユーラリアは歯噛みしながら、先ほどまで自分が立っていたところを睨みつける。そこには悠然と聖剣を構えて笑う魔王がいた。始めは幻術か何かと思ったが、ユーラリアの鎖によってついた傷の生々しさも、そこから零れ落ちる血の匂いもおよそ即興で編み出した幻覚とは思えなかった。
ユーラリアは皮肉めいた笑みを浮かべながら、モルゴースを睨みつける。
「まるで手品――どういうカラクリなんでしょう。私、貴方のコト確かに捕らえていましたよね?」
「手品のタネを晒すなど愚行の極みであろう? 気になるのであればその目で見破ってみせるがよかろう?」
モルゴースはそう言って肩をすくめて笑う。そしてゆっくりと聖剣を構えると、ゆったりと歩き始める。まるで庭園を散歩するかのような軽やかな足取りで、まっすぐにユーラリアの方へと。その間にも、みるみるうちにユーラリアの聖剣によって付けられた傷がふさがっていく。それを見て、ユーラリアはわずかに歯噛みする。
「――ッ!」
ユーラリアは再び左腕に絡めた鎖をモルゴースに向けて繰り出す。しかし、そのいずれもが一刀の下、モルゴースによって打ち払われ、魔王には届かない。
「——拘束など、もはやできるとは思わんことだな」
「その、ようですね——なら、少し方針を転換するとしましょうか」
そう言ってユーラリアは聖剣を一振りして足下の空間を軽く薙ぐ。すると、彼女の両腕に絡みつく鎖が増える。そして、そのうちの2本が蛇のように鎌首をもたげて浮き上がり、その先端の杭をモルゴースに向けていた。
そして次の瞬間、ユーラリアは強く大地を踏み込むと、深く身体を沈めながら、地面を蹴りつけ低く速く跳躍する。
一瞬で二人の距離が詰まる。そのあまりの速度にモルゴースも僅かに表情を歪め、反射的に飛び退き退避しようとする。
しかし、ユーラリアの腕はそれを許すことなく、魔王が跳躍する前にその腕を振り抜き、聖剣を直撃させようとする。
「——ッ!」
モルゴースは瞬間的に回避不可能であることを察すと、自身の聖剣でユーラリアの一撃を受け止める。
びりびりと響くような、剣を通じて腕に叩き込まれる衝撃。それは、ユーラリアの細腕から繰り出されるものとは思えなかった。何が起きたのか——観察を試みるモルゴースだが、ユーラリアは魔王にそんな隙は与えなかった。
モルゴースがユーラリアの聖剣を受け止めたのと同時に、彼女の腕から伸びて展開していた鎖が、モルゴースに迫る。
しかし、首筋を狙ったその一撃をモルゴースは最低限の動作で躱して直撃を避ける。それでも僅かに鎖の杭が魔王の首筋を掠めた。
攻撃が不発となったのを見届けるとユーラリアは飛び退いて小さく息を吐いた。そして小さく笑う。
「さあ、演舞の時間です。せいぜいお互いに自軍の兵士たちを魅了してあげましょう?」




