Ep.7-1
壮観だった。
これまでこの世界においてここまでの規模の戦役は存在したのだろうか――平原一面に広がった双方の軍勢を見ながら、シャールはそんなことを思う。
魔王の本拠地たる城塞都市メルグバンド、そしてその中心に鎮座するアコール城を望む大平原で、聖教国の軍勢約十万と魔王軍約七万がにらみ合っている。
野営地を出発してから、軍勢は休むことなく行軍を続け、つい半刻ほど前にこの大平原へとやってきた。布陣が完了したのは深夜。メルグバンドの城壁前で布陣している魔王軍からの妨害はなく、恙無く陣立ては完了した。
そして現在、月が西に傾き夜明けが目前に迫る頃合い。両軍は互いに緊張状態を保ったまま、睨み合いを続けている。
実質的にはこれが決戦前の最後の休憩の時間ということになるだろう。しかし、兵士たちの気が休まることはない。それは、矢の一本でも放たれればすぐに戦闘が始まるという薄氷を履むような場の緊張感、それと彼らの眼前に待ち構える魔物の軍勢の姿が原因だった。
シャールは馬から降りて、戦列の最前列に立ちながら敵陣を見つめる。
その戦列に並ぶのは、見た目としては人間とそう変わらない魔人たちが三割ほど。皆手に武器を携えながらこちらを睨みつけている。その姿を見ると、ここに来るまでの道中で出会った魔人の子供たちのことを思い出して、少し複雑な気分になる。
そんな魔人たちの他にも、戦列には人間とは全く姿も異なる恐ろしい魔物たちが並んでいる。褐色の毛のない筋肉質な体を簡素な鎧で包み、黄色く輝く眼と下あごから突き出た牙を持つオーク。そんなオークの2倍はあるような大きな体躯と、多様な形に捩れた角を持ち、まるで貴族のような服を着込んだオーガ。緑色の肌を持ち鋭い爪や牙を煌めかせるカエルのような小人たち——ゴブリン。猛禽獣の形質を色濃く持った人狼や人虎、鳥人、牛頭の怪物などの獣人。長く巨大な腕を持つトロルをはじめとした巨人種が百体ほど。そしてそれを取り囲むように尖兵としての魔獣や異形の怪物たちが並んでいる。その中には、多くの兵士たちにトラウマを植え付けた『蟲』も数百匹並んでいた。彼らの口から零れ落ちる黄色く粘ついた唾液。その中に僅かに血の色が滲んでいるのを見てシャールは思わず口元を押さえる。
「——ッ……ぁ……はぁ……」
喉の奥底から込み上げてきたものをなんとか抑え込むと、シャールは腰にさげた聖剣に手を当てて、呼吸を整えると戦列の奥、本陣の方へと馬を引いて戻っていく。
そんな中、ちらと横目に兵士たちを見遣る。彼らの顔には覇気がなく、闘志もなく。暗い表情の者ばかりだった。峡谷の道での一件に加えて、実際にその目で見た魔王軍の魔物たちの恐ろしさに怯え、絶望しているのだろう。
聖教国での出陣式でユーラリアの言葉に応え、鬨の声をあげていたときの威勢はもはや見る影もない。
もしかすると、ここまで魔王軍が布陣を完了しておきながら攻めてこないのは、こうしてこちらの兵士たちの戦意を削ぎ、恐怖させて離反者や逃亡者がでるように仕向けるためなのではないかとすら思えてくる。
エリオスやエリシアは、ユーラリアに何か考えがあるはずだと言っていたけれど、シャールはやはりどこか不安だった。




