Ep.6-142
月が中天にかかるころ、聖教国軍が動き始める。野営地を引き払い、隊列を整える。ごく一般的な出立までの流れ。しかし、数時間ほど前に峡谷の道へと入る前と比べて、その動きはあまりにも緩慢だった。
原因は明らかだ。隊列を構成する兵士たちに覇気がないのだ。
その緩慢さゆえに、行軍の開始予定時刻が二十分近くもずれ込んだこと――それは軍勢の首脳たちを大いに悩ませた。ここからの進軍計画への影響、という点もそうだがそれ以上に兵の士気が眼に見えて下がっていることは、強力な魔王軍との戦いをより厳しいものにするだろうというのが彼らの共通認識だった。今はまだ、兵士たちは命令には従っているが、場合によっては敵前逃亡する者や命令に反逆する者も出てくるかもしれない。原因は明らかだ――最大の敵、魔王の戦いぶりを見てしまったから。
あの圧倒的な力、その気分を害した兵士たちへの苛烈にして残酷な処遇――すなわち、こんな存在に勝つことが出来るのかという疑念。
そして底なしの食欲のままについ先ほどまで肩を並べていた仲間が『蟲』に食い荒らされたことは、こんな化け物たちを何万と相手にしなければならないのかという恐怖を彼らに植え付けることとなった。その恐怖や絶望、諦観は致命的だ。
もし反逆者や逃亡者が一人でも出れば、堰を切るように恐怖は連鎖して軍は総崩れとなるだろう。
「――ふふ、まるで葬式みたいじゃないか。サルマンガルドの兵隊たちよりもよっぽど死者の軍らしい」
ほぼ完全に近い状態で回復したエリオスは、馬上からそんな覇気のない兵士たちをくつくつと笑いながら見下ろす。シャールとエリシアも、この状況には焦りを感じていた。彼らを奮い立たせるような言葉をかけたいけれど、それは一歩間違えれば、兵士たちの反感を買いそこから一気に統率が崩れ出す可能性もある。戦や政治について疎いシャールにさえそう思わせるほどに、この空間には暗鬱で剣呑な空気が漂っていた。
「――このままで、魔王と戦えるんでしょうか……」
そう漏らしたシャールの方を振り返り、エリオスはにんまりと笑う。
「まあ、このままじゃあ戦えないし、戦ったとしても勝ち目は無いだろうね。うん……このまま、ならね」
「どういうことですか?」
「あのお嬢さんは、こういう状況を想定することもなく、それを打開する策も持たず、あんな啖呵を切るような無計画なお花畑な頭の持ち主じゃあないというコトさ」
エリオスはそう言うと、ゆっくりと動き出した隊列を追う。そんなエリオスの背中を見ながら、シャールはエリシアに問う。
「――エリシアは、どう思いますか?」
「……確かに厳しい状況だ」
エリシアは目を細めて、遠ざかっていくエリオスと、その遥か先で揺れる勅令旗を見つめる。それから、二ッと笑って見せる。
「でも、彼の言う通りあの娘はこういうときこそ強かで、えげつない。もしかしたら、これも自分の計画に組み込んじゃうかもね?」
そう言ってエリシアも馬を走らせる。シャールは不安を顔に滲ませながらその後を追った。
ちょっと長くなりすぎたので、キリの良いここで一旦Episode.6は終わりになります。次回からはEpisode.7として始めさせていただきます。




