Ep.6-132
「大願――その言葉を貴方の口から聞いたのはいつ以来でしょうね」
サウリナの言葉にモルゴースはぴくりと反応して、きょとんとした表情を浮かべる。そんな魔王の表情にサウリナの緊張した面持ちがわずかに緩む。笑みをこぼす彼女に、モルゴースはほんの少し頬を膨らませて小首を傾げる。
「何を笑っておるのだ其方は。そんなに久々でもなかろう?」
「いいえ。そんな青臭い言葉、貴方の口から聞くのはもう……そうですね。確か二十年ぶりくらいになりますよ」
「二十年? つい最近ではないか」
あっけらかんと言い放つモルゴースに、サウリナは呆れたような表情を浮かべながらため息を吐く。
「――それは超長命種たる貴方だから言えることです。人間ほどではないにせよ、我々普通の魔人や魔物からすれば十年二十年前というのはそこそこの昔ですよ?」
「ふむ。そういうものかのう……まあそれはそれとして、二十年前といえば確か……」
「ええ、私たちがこの大陸の支配を完了したころですよ。あの時も、こうして二人で話していました。あの頃はサルマンガルドもナズグマールも、もちろんアルカラゴスだっていなくて、二人きりで……ふふ、懐かしいですね」
目を伏せて思い出に浸るサウリナに、モルゴースは目を細める。何か言おうとして、喉元まで出かかる言葉を、これではないと飲み込む。それを繰り返してから、モルゴースはゆるゆると首を振ってバルコニーの手すりに腰かける。
「――どうしたのだ。妙に感傷的ではないか……其方らしくもない。そのような科白を吐くには、気が早いのではないか? そういう言葉は、全てが終わってから酒を酌み交わしつつ語らうような代物であろう?」
「……そう、ですよね。まだ何も成し遂げられたわけではないのに……でも、貴方の大願が叶うということは……私は……」
俯きながら自嘲的に笑うサウリナ。零れ落ちる言葉は最早彼女にさえも止められなくて。そんな彼女の顎に固いものが当たる。冷たいソレはクイと彼女の顔を上向かせるのと同時に、ぽろぽろと言葉を零す彼女の口を閉じさせる。
「その先は言わぬ方が良かろう。お互いにな」
モルゴースはバルコニーの手すりに腰かけたまま、硬いエナメルのブーツの先でサウリナの顎を持ち上げていた。空に浮かぶ赤い月を背に、モルゴースは冷たく硬質な視線をサウリナに突き立てる。その姿は神話をモチーフにした退廃芸術のような美しさと威圧感で、サウリナは思わず言葉を失う。気圧され、畏怖している。それと同時に、その美しさと強さに魅了された。在りし日に、彼女がこの魔王に出会った日のように。
「御無礼を……いたしました」
サウリナは呆然とした様子でそう詫びた。そんな彼女を満足げに見下ろすと、モルゴースはゆったりと頷いて手すりから飛び降りる。
「よいよい。それでは行くとしようか、サウリナ」
「……どこへ?」
困惑するサウリナの横を通り過ぎてから、モルゴースは振り返りにっこりと笑う。
「決戦を前に、我らが兵に活を入れてやるのだ」




