Ep.6-98
「——アレ、は」
崖の上から自分達を見下ろす人影を見て、シャールは思わず息を呑む。最初は自軍の斥候の一人だと思った。しかし、よく目を凝らせば、そうではないことがわかる。
その頭部から生えた捩れた二本の大角——ただの人間ではない、恐らく魔人だ。
「な、なんだアイツは」
「ま、魔物か!?」
「斥候達は何をしているんだッ!」
兵士たちが段々と崖の上の人影に気がつき始める。最初の一人が気がつけば、あとは石を投げ込んだ水面のように、動揺と混乱が波打つように広がっていく。
そんな中、崖の上の人影が、何かを眼下の兵士たちに向けて放り投げた。大きく重いソレの直撃を恐れて、兵士たちは狭い道の中で必死にソレを回避しようとする。そのせいで危うく数人の兵士が崖の下へと落ちかけた。
そんな彼らの目の前に音を立てて落ちてきたソレは、ヒトの身体。恐怖に目を剥き、口の端には血色の泡を噴き出した顔のまま、生命を停止させたその姿に、大の大人である兵士たちも戦慄の声を上げる。続けて、更に崖の上の人影は同じように死体を三つほど連続で放り投げた。それらは次々と積み上がり、ぐしゃりと肉と骨が潰れる嫌な音が響く。
その様に思わず吐きかける者や、目を背ける者が続出する。そんな中、兵士の一人が何かに気がついたように声を上げる。
「こいつら、討伐軍の斥候だ……!」
積み上がった死体は皆、崖の上で軍勢の接近が無いかを見張っていたはずの斥候たちのものだった。
そんな彼らが、警告を発する間もなくたった一人の魔人に殺された。その事実は更に戦慄を呼ぶ。
そんな半ば恐慌状態に陥った軍勢を見下ろしながら、人影は軽やかに跳躍すると、崖の上から峡谷の道へと飛び降りる。魔人や魔物であっても、無傷で済むはずのない断崖絶壁からの落下。しかし、その人影はまるで木の葉のようにふわりひらりと軽やかに舞い降りて、自らが積み上げた亡骸の舞台の上に降り立つ。
その姿は、しなやかでいて凄絶な美しさを放っていた。周囲を圧倒する覇気、ギラつき燦然と輝くような気品、宝石のように輝く瞳から放たれる肉食獣のような鋭いながらに余裕に満ちた視線。そして満ち溢れる殺人的なまでの魔力。
周囲の兵士たちの視線を一身に集めながら、ソレは嫣然と薄紅色の唇を開く。
「——なんだ。誰も斬りかかって来ないのか。人類の先鋒では無いのか? 情けないのう」
「お、お前は……何だ……!」
兵士の一人が唇をぶるぶる震わせながら、剣を抜き、唾を飛ばしながら問う。そんな彼を目を細めながら見たソレは、右手の人差し指で空に一文字を切る。
その瞬間、問いかけた兵士の首が消え失せ、そこから噴水のように血が噴き出す。
「我が名は安くないのでな、その命を代価として頂く」
そう言って噴き出る赤い飛沫を眺めながら、ソレは名乗る。
「我が名はモルゴース、魔王モルゴースである」




