Ep.6-97
峡谷の道を進む。
道幅は街道と同じくらいあるとはいえ、やはり十万の軍勢が進むには心許ないものがある。最短での全軍の通過を図ってか、道幅いっぱいに兵士たちが居並び、人口密度が凄まじいことになっている。スペースは谷川を望む崖の際、人一人分ほどが空いているだけだ。もしこの状態で、隊列の中央にいる馬が暴れ出したりしたら、それだけで何人もの人間が谷底へと叩き落とされることにもなりかねない。
隊列の最後尾をいくシャール達は、他の兵士たちと比べればまだ左右に十分な間隔が取れているけれど、やはり柵すらないこの細道を行くのは恐怖を感じる。
もし手綱を持つ手を少しでも誤って、馬が暴れたりしたら、それをうまく収めることが出来なければ。そのまま谷底へと落ちてしまうだろう。場合によっては、エリシアやエリオスさえも巻き込んでしまうかもしれない。
そんなことを思うと、馬が一歩また一歩と進むたびに緊張感が募っていく。
そんな緊張感に縛られたシャールに対して、エリオスとエリシアの表情にはかなりの余裕が見られた。
「——明らかに戦略ミスじゃないのかな。ここの抜け方。ちょっとでも混乱が生じたら無意味に兵がぼろぼろと死んでいくんじゃない?」
「ボクたちもそう思ったんだけどねぇ。この辺りに関しては、さしもの最高巫司様も、戦慣れしてる他国の将官たちの意見を容れない訳にはいかなくてね。あんまり意固地に自分達の意見ばかり貫いていると、妙な不和が生まれて、いざという時の連携に支障を来すからね。ま、政治的決断ってやつさ」
「面倒なことだね——それはそれとして、この上は大丈夫なのかい?」
そう言って、エリオスはついと左手の人差し指で、真横に聳える岩壁の上の方を指差した。確かにこの崖の上から魔王の軍勢に急襲されたりすれば、隊列が壊滅しかねない。だが、そもそもこれだけの切り立った崖の上から、攻撃を仕掛けることなど現実に可能なのだろうか。たとえ魔物や魔人であっても、そんなことをすれば無事では済まないのではないだろうか。
「んー、まあ普通の敵ならばこの上から攻めてくるなんて危険を冒すことはないだろうし、可能性があるとすればサルマンガルドの不死者の軍勢だろうけど……上には上で斥候が数人張っていて、敵が接近してこないかを常に確認してるからね。魔王軍の軍勢が近づけば、知らせてくれることになっている。だから、まあ心配はいらないと思うんだよね」
「でも、それは軍勢がやってきた時の話だろう。一目で接近がわかるような場合の話。例えば一人で軍勢に相当するような力のあるヤツが襲い掛かってきたら——例えばあんなヤツとか」
そう言って、エリオスはすっと前方の崖の上を指差した。
そんな彼の言葉と所作に釣られるように、シャールとエリシアは、その指の先へと視線を向ける。
そこには、逆光に塗りつぶされた、黒い人影が立っていた。その人影は揺れる長髪を靡かせながら、じっとこの軍勢を見下ろしていた。




