Ep.6-96
数分すると、再びゆっくりと軍勢が動き出す。どうやら、峡谷には敵影は確認されなかったらしい。その事実にシャールはほっと安堵の息を漏らす。
しかし、その動きは先ほどまでとは違ってひどく緩慢だ。前方からは困惑するようなざわめきや、多少の言い争う声も聞こえて来る。
恐らく、隘路に入っていくに伴い、隊列の組み替えを急遽行なっているため、混乱が生じているのだろう。そんな様を見ながら、シャールはふと自分はどこに居れば良いのだろうと不安になる。このまま流れに乗って峡谷の道へと入って行って良いものなのか——シャールは助けを求めるように隣で同じくその様を見つめるエリオスに視線を送る。彼はそんなシャールの視線に気がつくと、呆れたように目を細めながら、くいと顎で前方を指し示す。
彼の指し示す先を見遣ると、何やらこちらに向かって駆けてくる馬に乗った騎士が一人。身に纏う鎧から見るに、恐らく聖教国の神殿騎士、即ちレイチェルの直属の部下の一人だろう。彼は、馬を駆りエリオスたちの目の前にやってくると、慌てた様子でそれを止め、エリオスたちに向かって叫ぶように口を開く。
「エリオス・カルヴェリウス様にシャール・ホーソーン様ですね? 最高巫司猊下からの御伝令です。聖剣使いならびに客将たる方々は軍勢の前方、後方に別れて進むべしとのこと。お二人は隊列最後尾について峡谷の道を通過していただきたいとのことであります!」
「何だ、ずいぶんと待たせるね。まあ、いいけどさ」
エリオスがそう答えると、騎士は素早く頷いて再び馬を駆り走り出す。そんな彼の背中を見送りながらエリオスは小さくため息を漏らす。
「全く、これじゃあ私たちが峡谷を渡れるのもいつになるやら」
エリオスはそう言っていたが、流石は各国が威信をかけて送り出し、各々が国の誇りを背負ってやってきた兵士だからか、その練度は高く、ものの半刻ほどで、ほとんどの兵士たちが峡谷の道へと入っていった。
そんな中、シャールは自分と同じく馬上に跨る人影を見て、思わず声を上げる。
「エリシア」
「ん? や、そっか。君たちも最後尾を任されたんだ」
そう言いながら、エリシアは馬の鼻先をシャール達の方へと向けて、軽快にこちらへと馬を駆って来る。そんな彼女の姿を見てから、エリオスは辺りを見渡して眉間に皺を寄せる。
「聖剣使い達は前方と後方に分けるって聞いてたけど……私を合わせて三人だけ?」
「まあ、ほら。今更後方とか崖の上から大軍勢が攻めかかってくる可能性なんてほとんど無いからさ。最高巫司としては、できれば全体に満遍なく配置したかったらしいんだけど、他国の指揮官連中の強い要望でね。こんな感じの配置になっちゃったんだよね」
そう両手の平を合わせて詫びるポーズをするエリシアに、エリオスは鼻を鳴らすと、手綱を引いて馬を、今まさに峡谷の道へと入っていく最後の兵士たちの方へと歩かせる。
そんな彼の後をエリシアとシャールは追った。




