Ep.6-32
ソレは夜の闇を背に大きく羽ばたいた。鞭のようにしなる身体を夜空に踊らせて、まっすぐにこちらへ向かってくる。
それを見た瞬間に、シャールの表情が引きつる。
「アルカラゴス――黒龍……アルカラゴス……!」
黒い鱗に覆われた体表、大きく広げられた翼に広がる赤い皮膜、ねじれた紫色の角と同じ色の風に揺れる鬣。遠目に見ても軍艦一つ相当の大きさの巨体がすさまじい速度で、船団へと接近してくる。それを見たシャールはうわ言のようにその名を口にする。
彼女が零した言葉は、まるで静かな水面に投げ込まれた石のように周囲の騎士たちへと波及していく。
「あら、かるごす……だと?」
「ほ、本当だ! 空に黒い龍が!」
またたく間に、混乱と恐声が船団全体にまで広まっていく。武器を構える者、怯えて何処へか逃げようとする者、舵や船室へと殺到する者。混迷を極める甲板で、シャールは震える脚を、握りしめた拳で叩いて鼓舞すると、聖剣を抜いて船首へと歩いていく。
「――ここを、任されたんだから」
シャールはそう口の中で何度も繰り返しながら、羽ばたき近づいてくる黒龍を睨みつける。爛々と光る眼が、鋭い牙の並ぶ赤い口が、ねじ曲がった角が近づいてくるのを見て、シャールは息を呑む。
どうやって迎撃すればいいだろうか。自分がとれる選択肢は、あくまでアメルタートの権能で出来る範囲に限られる。空を舞う龍の身体を捕らえられる技があるだろうか。
そんなことを考えてから、シャールはちらと振り返る。
背後には、矢を番えてアルカラゴスの飛来を今か今かと待ち構える兵士たちが居並んでいる。しかし、その矢はあくまで一般的な魔物や人との戦闘を想定しているもので、あれだけ大きく硬い鱗を持った龍を仕留めることはおろか、傷つけることすら叶わないだろう。それでも、彼らは自分たちの闘志をかの龍に叩きつけるために矢を番えるのだ。心はシャールと同じ――「任されたのだ」という思いだ。
そんな彼らを見て、シャールはふとあることを思いつく。
「……やってみる価値は……あるかも」
そう呟くとシャールは、弓を構えた兵士たちの方へと駆け寄る。そんな彼女の姿をエリオスは口元にわずかに笑みを浮かべながら、見送った。
§ § §
耳をつんざくような咆哮が、軍艦のマストをびりびりと震わせるように響いた。アルカラゴスはシャールとエリオスの乗船した軍艦の目の前で翼を羽ばたかせながら浮揚して、威嚇するように口を大きく開ける。
「――放て!」
船に居合わせた将官が居並ぶ兵士たちに号令をかける。その瞬間、兵士たちは引き絞った矢をアルカラゴスに向けて一斉に放つ。鋭い矢じりが目の前に迫っていながら、アルカラゴスは空の王者を気取るような泰然とした様子で羽ばたいている。
そして次の瞬間、その長い尾を大きく空中で振るう。すると、アルカラゴスに迫っていた矢は、その尾に突き刺さることなく、全て弾かれ力を失い空中を舞う。
アルカラゴスの眼に、愚かで矮小な人間たちを蔑むような笑みが浮かんだように見えた。しかし――
「アメルタート、彼の者を捕らえて」
シャールの声が響いた。




