Ep.6-30
「——明日を奪還する、ねぇ……」
歓声が響く神殿前の広場を、隣接する建物の屋根の上から見下ろしながら、エリオスはぽつりとそう零した。頬杖をつきながら目を細める彼は、広場でユーラリアがぶち上げた演説に咆哮をあげる兵士たちをどこか冷ややかな目で見ていた。
「死んでしまえば掴めたはずの明日も掴めなくなるのに、全く乗せられやすいことで――それとも、彼女が上手いだけなのかな?」
皮肉っぽくエリオスはそう口にした。
実際、ユーラリアの手際は見事だった。統制局長の言葉で一瞬下がってしまった士気に付け込むように、彼とは違う立場、視点からの言葉で自分の側へと取り込み、「士気高揚」の大義名分の下、統制局長の面子を潰して見せた。立ち回りとしては
最初から意図的だったのか、あるいは偶然に乗じた策略だったのかは知らないけれど、いずれにしても彼女の人心を操る言葉遣いには眼を瞠るものがある。
「――ッ。嗚呼、くそ」
頭に刺すような痛みが一瞬走り、古い記憶が蘇る。エリオスは、辛酸を喉の奥に流し込まれたような苦し気な表情を浮かべる。そしてそれはすぐに忌々し気な表情へと変わる。
「全く気に食わないなあ……」
言葉を弄して、人心を操り、人々の怒りや恐怖といった強い感情を一つの方向へと束ねる。それは、かつて自分に破滅をもたらしたもの。使い方はともかくとして、その手段はあの時自分を死の淵まで追いやったモノと同種だ。どうにも、それを操る者には反射的に嫌悪感を覚えてしまう。
エリオスは口元に手を当てたまま、ちらと自分が座る屋根の端の方を見やる。そこには一羽の小鳥が佇んでいた。日向ぼっこをするかのように、その場で微動だにせずじっと広場の方を見ている。
そんな小鳥を見て、エリオスはわずかにほほ笑むとちらと左手の指先をそちらへと向ける。
次の瞬間、エリオスの足元で影が蠢く。
「ま、仕事はちゃあんとやらせてもらうさ」
エリオスの足元で蠢いた影は黒い槍となって立ち上がり、小鳥を刺し潰した。
§ § §
「――おっと、バレてしもうたか。むむ、遠目に見ていたはずなんだがのう……残念残念」
言葉とは裏腹に、からからと楽しそうに笑う声が響く。その声が響くのと同時に、声の主の目の前に置かれた水晶玉が砕け散った。床に散らばった破片には、未だにどこか遠くの神殿の景色が映っていたが、すぐにそれも消えていく。
そんな色を失っていく水晶玉を見ながら、声の主は深いため息を吐いてからくつくつと笑う。
「明日を奪還する、か。はは、最高巫司サマは良いことを言うのう。そう思わんか、諸君」
黒い城の大広間、その中の一段高いところにある玉座に座りながら、声の主は口の端を吊り上げながらちらと眼下に跪く三つの影を見下ろす。
影の一つ――腰から何本もの剣を佩びた短髪の女性が、顔を上げて苦々し気な表情を浮かべ、口を開く。
「――恐れ多いことです。御身に盾突き、剰えあのように悪し様に……」
「おうおう、そんなに怒ってくれるとは。我は嬉しいぞ。我が騎士よ」
憤激の色を浮かべる女剣士に、玉座に座る影は目を細める。それから、他の二つの影の方をちらちらと見遣る。
そんな視線に応えるように、一つの影が苦笑混じりに立ち上がる。一見すると黒い燕尾服に身を包んだ執事然とした青年だが、その表情にはどこか底知れないものが感じられる。
「ふふ、強き言葉は恐れと自信の無さの裏返し——とも申します。矮小なる人間たちのせいぜいの強がりを、優しく見守って差し上げるのも強者の在るべき姿かと」
「優しく……とは、心にもないことを……」
青年の言葉に、もう一つの影が反応を示す。
しわがれたその声の主は、黒い衣を身にまとい目深にフードを被っている。口元は布で隠され、指先は皮の手袋に包まれ、徹底的にその肌が隠されている。
青年は、黒衣の男の指摘を否定することも肯定することもなく、ただ苦笑で応じる。黒衣の男もまた、そんな彼の反応にどこか楽しげに鼻を鳴らす。
そんな彼らの反応を確かめると、玉座に座る影はゆらりと立ち上がる。
「では、彼らに倣い我も汝らに勅令を下すとしようかのう」
窓から差し込む赤い光の中、玉座から立ち上がったその姿に、女剣士は思わず息を呑んだ。
流れるような長い銀髪は赤い光を一身に受けて燦き、しなやかな身体を包む赤と黒の禍々しい配色のドレスがその危険な魅力を引き立てる。
影は眼下に控える配下たちを見下ろしながら、どこか楽しげな声で告げる。
「我、魔王モルゴースが命ずる。サウリナ、ナズグマール、サルマンガルド——我が下僕達よ、我が行手を遮らんとする不遜なる愚者たちを、我が名の下に征討せよ」




