Ep.6-29
名前を呼ばれた瞬間に、全身が硬直する。何かを言うべきなのか、レイチェルたちやエリシアのように、ここに集った人たちの士気を上げるような何かをするべきなのか。そんなことを考えて、思考がぐるぐると回り大事なことが散逸していく気がする。緊張でその場から一歩も動けない。こんなことをしていては士気に関わるというのは分かっているけれど、それでもやはり十万人近い人々の前に立つというのは——それもあれだけ期待を煽るような紹介で——頭が真っ白になってしまう。
そんなシャールにユーラリアはくすりと笑いながら歩み寄ると、そっとその手をとって彼女をテラスの際、将兵たちを見下ろせる場所へと連れて行く。
「大丈夫ですよ。ほら、彼らをちゃんと見てあげて」
ユーラリアに促されるままにシャールは眼下の兵士たちを見る。総体として、群衆としてではなく、一人一人の人間として。
彼らの目はきらきらと輝いているように見えた。自分のような小娘に期待と希望を抱いてくれている。それを実感した瞬間、シャールの身体は動いていた。
アメルタートを抜き放ち、両手でその刀身が皆の目に映るように掲げる。その瞬間、アメルタートの刃が美しい若草色の光を放つ。
その柔らかな光に、眼下からは歓声が上がった。シャールはゆっくりとした動きで聖剣を鞘に収めると、すぅと息を吸ってから口を開く。
「よ、よろしくお願いします!」
思いの外響いたその言葉に、一瞬場が静まり返る。余計なことをしてしまった——そんな後悔がシャールの頬を真っ赤に染める。
しかしすぐに、そんな彼女の不安を吹き飛ばすように、割れんばかりの拍手が鳴り響く。テラスの上のレイチェルやエリシア、ザロアスタやリリス、そしてユーラリアも拍手をしていた。
シャールは嬉しさとも恥ずかしさともつかない感情に、震えながら元いた場所へと戻る。
それを見送ると、ユーラリアは再び軍勢の前に立ち、付け加えるように言葉を紡ぐ。
「そして最後に、微力ではありますがこの私も持てる力の限りを尽くして、貴方達とともに明日を奪還するため戦います。どうぞ、よろしくお願いします。さて——」
そこまで言うとユーラリアはちらと後方に控える統制局長を見遣る。彼女の視線に促されるように、統制局長は、僅かなため息を漏らしてからすぐに貼り付けたような笑みを浮かべて兵士たちの前に進み出る。
それと同時に、神殿の奥から二旒の旗をそれぞれ騎士が運んでくる。
どちらも天鵞絨の艶めいた生地に豪奢かつ精緻な刺繍が施された威厳ある旗。そのうちの一つはシャールも見たことがあるものだった。
勅令旗——最高巫司と統制局長の勅令の遂行時に掲げられる旗であり、勅令発布と同時に発令者から執行者へと手渡されるもの。
ユーラリアと統制局長の背後で騎士たちがそれぞれの勅令旗を高く掲げ交差させる。それと同時にレイチェルとザロアスタがそれぞれ羊皮紙をユーラリアと統制局長に手渡す。
二人はそれを広げ、口を開く。
「我、アヴェスト聖教会教義聖典官統制局長ジャン・コーション・ド・ルーアン。神の正義の執行者たる地位の下に——」
「我、アヴェスト聖教会祭儀神託官最高巫司ユーラリア・ピュセル・ド・オルレーズ。神の意思の代理人たる地位の下に——」
二人の名乗りに、ざわめきや歓声は鳴りを潜めて、周囲は厳粛な雰囲気に包まれる。そんな中二人は声を揃えて高々と宣言する。
「我ら連名の下、神の子たる汝らに勅を以て命ずる。不遜にも神の敵対者を名乗る魔王モルゴース、ならびにその配下たる魔物たちを討伐し、暗黒大陸を平定するべく死力を尽くせ!」
開戦の勅令がこの瞬間、下された。
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