Ep.5-134
興奮し、高笑する教主を目を細めながら黙って見つめていたアリアだったが、不意に口を開く。
「さて、と。満足したかしら、教主サマ? でもね、お忘れかもしれないけれど、これは罰なのよ——私がただ褒め称えているだけだと思ったらそれは残念でした。私はそんなにヌルくない」
そう言ってアリアは教主の耳元に口を寄せて、そっと囁く。
「さっきまでの私の言葉が正しいコト、認めてくれるわよね?」
「——ぁ」
アリアの声はまるで耳の中へと、小さな蜘蛛が入り込んでいくかのように、奥へ奥へと這い進み、彼の脳を侵す。
「思い出してくれたかしら。『悪の女神』を殺したって世界を救ったりはできない、無意味だ——私はそう言って、貴方はそれを信じないと拒んだ」
アリアの言葉はねっとりと、絡みつくようにして教主の逃げ道も抵抗の術も奪っていく。容赦のない、彼の希望も何もかも断ち切っていくような、奪い去っていくような言葉。
その言葉に、教主はいよいよその表情から笑みも興奮の色も無くして、唇をぶるぶると震わせながら青ざめた顔でアリアを見ている。
「やめ、やめろ……」
「あら、まだ拒むんだ。現実に引き戻されて怖いから、忘れたフリ? それなら、私がちゃあんと妄念の中から貴方を現実へと引き摺り出してあげる——『悪の女神』を殺したって、世界は救えない。何故なら『悪の女神』は人類に悪を齎すものなんかじゃないから。今ならこの言葉を、貴方はいやがおうにも信じざるを得ないわよね? だって自分で確信しているから、目の前の小娘が神話の生き証人にして当事者である『悪の女神』だと」
淡々と、滔々と。嗜虐の悦びに満ちた笑みを浮かべながら、アリアは論理をつないでいく。ここまでになされたいくつかの話を点として、それを線で繋いでいくように。囲い込み、教主を逃すことのないように。
そして彼女はとどめを刺すように、彼の耳元で囁く。
「——貴方が探し求めた『悪の女神』が結論を下してあげる。貴方の人生はどこまでいっても無駄なモノでした」
「やめろ……やめて、やめてよぉ……」
「探求に費やした時間も、金も、人生の何もかも無駄で無為でした。貴方の努力は報われることなく、何かを成すこともない」
「いやだ、いやだぁぁ……うううああ!!」
駄々をこねる子供のように、或いは獣のような声を上げながら、教主は首をぶんぶんと振り、耳から流し込まれるアリアの言葉に意味のない抵抗を試みる。
アリアはそんな彼の耳元から顔を離して姿勢を戻し、彼の目をまっすぐ見据えながら微笑む。
「自分を放逐した聖教会を見返すことなんて出来ないままで——」
「もう……もう……いやだ……」
「貴方は虫けらよりも無意味に死んでいくのです。ああ、どこまでも価値のない人生。残念でした♡」
「あ、あ……ああああああああ!! いやだ、いやだいやだぁぁぁ!」
教主は発狂した。
錯乱し、涙をぼろぼろとこぼしながら。腕や足をばたばたとさせて、鼻水を垂らしながら。嗚咽を漏らし、唾を飛ばしながら。彼は叫び、嘆く。
そんな彼を愉悦に満ちた笑みを浮かべながら、アリアは見つめる。そして、祭壇の上からひょいと飛び降りるとエリオスの肩にぽんと手を置いた。
「終わったわ。あとはアンタが好きなように殺しなさい」
そう楽しげに告げた彼女の言葉に応えるように、エリオスは指を鳴らす。すると天井にあった黒い塊から再び手が伸びてくる。何本もの手が自分の方へと迫ってくるのを見て教主は叫ぶ。
「いやだ、いやだ待ってよぉ! お願いだ、こんなのは嫌だ、アイツらに馬鹿にされたまま、見下されたまま見返すことも出来ないで死んでいくなんて嫌だ! まだ死ねない! こんな、こんなところで終わりだなんて!」
命乞いのような喚き声が広間に響く。しかし、アリアもエリオスも、その言葉に応えることはない。
黒い手が彼の身体を掴んだ。膝から先のない彼の右腕を掴んだ黒い手は、それを強く捻る。
教主は激痛に絶叫する。そんな彼に構うこともなく、黒い手はそのまま彼の右腕を肩から捻り、引きちぎった。
「ぎゃあああああッ!? いだ、痛いィィィ! やめ、やめてくれェェェ!」
教主が叫ぶのに構うこともなく、他の黒い腕たちも教主の左腕や両足へと殺到し、ねじ切ってはそれを天井に鎮座する本体の口へと運ぶ。
そして四肢を失った彼の軽くなった身体は、黒い腕たちに掴まれて、ゆっくりと天井の本体の口へと運ばれていく。
「いやだ、いやだぁぁぁ! 助けて、助けてぇ! 助けて神様ァァァ! こんな、こんなところで……死にたくない、死にたくないんだぁぁ!」
彼の絶叫はぱくりと大きな口に呑まれて消えた。そのあとに響いたのはばりばりと骨を噛み砕く音と、くぐもった悲鳴だけだった。
次で一応、Episode.5最終パート(予定)です




