Ep.5-130
「そもそもね、『悪の女神』を殺したところだって世界は救われたりしないのよ」
「――は?」
アリアの言葉に教主はその顔を強張らせる。その顔に刻まれた衝撃の色は、もしかするとエリオスに腕を切り落とされたときよりもよっぽど恐怖と驚愕に歪んでいた。それほどまでに、彼女の言葉の威力はすさまじかった。
「な、何を言っているんだい……『悪の女神』はこの世の全ての悪を司るものとしての役割を……」
「そう、『悪の女神』はこの世の悪を司る存在。そのために生み出された、造物主にとっての最後の作品——そう、彼にとって正真正銘最後の創造だった。この意味が分かるかしら?」
アリアは愉しげに、教主の目の周りをいじくりまわしながらそう口にする。教主はいつ目を潰されるかも分からないという恐怖を感じながらも、それ以上の戦慄を覚え口をパクパクとさせている。
「ま、まさか——君が言わんとしているのは……!」
「そう、『悪の女神』は彼の最後の創造物——人間よりも後に生み出された存在。多くの争い、多くの罪を重ねた人々の世界に、それを嘆いた神々が生み出したのが『悪の女神』——悪を司るというのは、人の世に悪や罪という概念をもたらしたという意味じゃない。神が人に悪を与えたのではなく、人が神に悪を与えたの。全ては逆なのよ」
冷然としたアリアの言葉に、教主はふるふると首を振る。それは幼い子供が嫌いな食べ物を拒むかのような幼児退行じみた抵抗。
「ば、馬鹿な……神話にはそんなこと……一言も書いてなかった……!」
「じゃあ聞くけれど、貴方の思った通りだったとして最高神は何のために悪も罪も無かった世界に『悪の女神』なんてものを生み出して悪を撒き散らす必要があったのかしら? 悪という概念を糾弾し、人に善を勧めていながら……ねぇ、どうして?」
薄ら笑いを浮かべたアリアの言葉に、教主は言葉を詰まらせる。そんな彼にアリアは追い討ちをかけるように更なる言葉の矢を番える。
「悪という概念の発生は、最高神が人間という存在を作った時に生じた一種の不具合、あるいは予想外の作用と言うべきかしらね。世界全土にわたる繁栄の結果、人は多くの悪と罪を重ねた——傲慢、嫉妬、色欲、怠惰、強欲、暴食、憤怒、憂鬱、虚飾……それぞれが組み合わされば、もはや数え切れないほどの罪を人は生み出した。その罪は、いつしか世界に歪みをもたらし始める。その歪みを管理する役割を押し付けられ、地上へと追いやられたのが『悪の女神』なの」
彼女の展開する理論に、教主は口を挟むことすらできなかった。自分の腕を切り落とした恐ろしい魔術師がそばに控えているという状況の影響が絶無とまでは言えないけれど、それ以上に彼女の言葉の説得力があまりにも強すぎて、自らの理論でもって対抗できるという自信が食い破られてしまったのだ。
そんな教主にアリアは口の端を吊り上げて、止めと言わんばかりの言葉を紡ぐ。
「貴方は頭が悪すぎたのよ。学者として、魔術師として、聖職者として、多くの研鑽を重ねて来たのでしょうけれど、その研鑽の結果が立つ貴方自身の人格が最初から終わっていた。だから、貴方が全てを捧げて来たものは完璧に無駄だったってワケ。アハハ、本当に下らなくて笑えない、三文芝居みたいな人生だこと」
そう言ってアリアは硝子の鳴るような声で高く笑った。
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