Ep.5-101
「なんで……どうしてここに貴方が来るんですか、エリオス!」
そう叫んだシャールをエリオスはちらと一瞥するが、そんな彼女の問いに応える代わりに、彼は掴み上げたアリキーノの身体をシャールの目の前に放り投げた。
「ぐぇぁ!?」
アリキーノの口から潰れたカエルのような短い悲鳴が溢れた。その身体には馬車の窓ガラスの破片が突き刺さり、顔も含めた至る所が血塗れになっている。
シャールはそんな彼に駆け寄ろうとしたが、それより先にエリオスがアリキーノの頭を掴んで持ち上げる。
その細腕からは想像もつかないような凄まじい力で、彼の頭部を鷲掴みながら、アリキーノの丸々とした身体を高く掲げるエリオスの姿にシャールは思わず息を呑む。
「だ、だずげ……」
「嗚呼、まだちゃんと生きているね。それは結構なことだ、死んでしまっていては私は溜飲を下げることができないからね」
折れた歯の除く口で、喘ぐような声を上げるアリキーノの顔を、エリオスはまるで汚物を見つめるような蔑んた表情で見ていた。
その口ぶりは目の前の男の凄惨な姿とは対照的に、穏やかだった。
「え、エリオス……貴方は……」
「とはいえ道楽じみたイベントはさっさと済ませて仕舞おう——本題がまだ残っているのだからね」
シャールの言葉などまるで聞こえていないかのように、独り言ちるように、エリオスは淡々とそう告げる。彼の瞳に宿る光は鋭く、普段なら見られるような誰も彼もを見下し、玩弄するような嗜虐的な色は一切排斥されていた。
そんな彼の様子に、シャールはただただ圧倒されていた。口を差し挟むことなど許さない、そんなことをすれば彼の殺意が自分に向いてしまうという確信があった。それ故なのか、言いたいことも問いたいこともたくさんあったけれど、今の彼に向かって口を開くことすらシャールにはできなかった。
「……ま、ってくれぃ……な、何が望みだぁ……何故私をぉぉ……」
「何故? 単純な話だよ、君たちは手を出してはいけないモノに手を出した。だから報いを受ける――シンプルな話じゃないか。奪ったからには、それ以上を奪われる――尤も、私にとっては彼女『以上』なんてものは存在しないんだけどね」
「な、何を……言ってるんだ……」
虫の息で絶え絶えに喚くアリキーノに対して、エリオスは滔々と告げる。アリキーノは、今更ながらに彼が自分を殺そうとしているということに気が付いたのか、唾を飛ばし、涙を流しながら、傷ついた身体の限界を超えて叫ぶ。
「待て! やめろ、待ってくれェ! 金ならいくらでもやる! 奴隷も、財宝も! 我がアリキーノ家の隠し財産だってくれてやる! だから――」
「アリキーノ……ああ、そうだったね。そう言えば君、あのアリキーノ子爵の弟らしいね……兄弟そろって私の手に掛かって死ぬなんて、因果だね。尤も、弟君の死に様は兄以上に無様だけど」
エリオスの言葉に、アリキーノは固まる。自分の眼のまえに立つ少年が何者なのか、ようやく理解したようで、唇をぶるぶると震わせている。
「き、貴様……エリオスと言っていたな……まさか、まさか……エリオスとはあの……!?」
「君が言っているのが、どのエリオスかは知らないけれど――もしレブランクを滅ぼした魔術師のことを言っているのなら、大正解だ。残念ながらご褒美は無いけどね」
そう言いながら、エリオスは空いた右手を彼の前に差し出す。その手の上には、黒い靄のようなものが漂っていた。それを見た瞬間、シャールはさっと青ざめる。
「――『我が示すは大罪の一。踏破するは暴食の罪……私の罪は全てを屠る』」
エリオスがそう口にした瞬間、彼の手の上にあった靄は黒い風となり、アリキーノのまわりをとぐろを巻くように吹き荒れる。
「な、なんだこれは――ひぃ! ぎぃぃい! ががががが!?」
黒い竜巻の中で、アリキーノの皮膚が食い破られ、肉が引きちぎられていく。吹き出す血の一滴すら、黒い風に食まれて消える。
「や、やめろおおぉぉぉぉ!? ぎいいああああッ!? だ、だずげ……じ、じぬううう……」
壮絶な断末魔――目の前で人間が喰い殺されていくという異常な様子に、倒れ伏したアリキーノの部下たちは呆然自失とした様子でその様を見つめている。黒い竜巻の中、暴れるアリキーノがこちらに手を伸ばす。その手は一瞬黒い風を突き破ったが、直ぐに食い荒らされてぼとりと地面に落ちた。
黒い風の奥で絶望の色に染まったアリキーノの瞳とシャールは一瞬目が合ったような気がした。
「あが……あああああ……」
最後に聞こえたのは黒い風に呑まれそうな力のない声だった。




