Ep.5-33
「――え、あ……」
空っぽの引き出しを見て、シャールは呆然とした声を浮かべる。慌てて、他の棚も開けるが、どの引き出しも空っぽか、あるいは焼け焦げた何かが残っているだけ。ブローチはおろか、両親から残された金銭や貴金属なども残っていない。
「あ、あはは……それは、まあそうだよねえ」
シャールは灰にまみれるのもかまわずに、否そんなことにすら気を払うことすらできずにその場に崩れ落ちる。それと同時に、炭と化したキャビネットも崩れて、ただの黒く灼けた木片と化した。
――本当に、何もかも奪っていったんだ。
シャールは乾いた笑い声をあげながら、青い空を見上げた。涙は出なかった。
シャールの家は、このディーテ村にあっては比較的裕福な家だった。まじめで商才に秀でた父は、結婚後から温泉を活用した事業や宿の経営に乗り出しささやかながらに財を成した。そのお金も無利子で村人に貸し付けて、村を豊かにするべく奔走し若くして村長候補と目されるほどになっていた。
それゆえに、シャールの家にはそれなりの財産があった。幼いシャールが一人遺されても、なんとか生活が成り立つほどには。
この棚の中には、そんな彼が貯めていた金貨や貴金属が入っているはずだった。シャールが旅立った時には確かにブローチとともに両親のささやかな遺産がこのキャビネットに入っていたのだ。
「……あはは」
この家を焼いた村人たちは思った以上に冷静だったのだ。
冷静に、シャールから全てを奪っていった。財産も、思い出も何もかも。そりゃあそうだ。財産があると分かっているのに、困窮した村人がそれをみすみす焼失させるわけもないんだ。しっかりと奪ったうえで、手に入らないものは焼き払ったわけだ。
「……私は……」
もう一度村人たちと話したい――村長に伝えた言葉。アレは間違いなく本心だったはずだ。
それでも、どこかで意地になっていた自分がいたことも否定できない。ここで、手を引いてしまったら、村人に失望して、憎しみを抱いたままでいるのは癪だったから。昨夜、部屋に現れたエリオスのにやついた顔が脳裏に浮かんだから。まるで彼の思い通りになってしまうようで、それが何よりも気に食わなかったから。
そんな動機が心の端にあったからなのだろうか、今この瞬間、自分というモノが揺らぎ始めていた。果たして、村人たちが会話のテーブルに着いたとして、自分は彼らとちゃんと話せるのだろうか。いや、それ以前に自分はこの村のために命をかけて戦えるのだろうか。
全てを失ったのではなく、奪われたと改めて自覚した今、自分は――
「やめよう……今は、考えないで……」
そう自分に言い聞かせて、シャールはゆらりと立ち上がる。
震える脚で家から出て、シャールは庭先で立ち尽くす。辺りを見渡すと、シャールに気付いていないのか、嫌悪の視線を向けるでもなく、普段通りの生活を送る人々が見えた。
なんで――?
こんなに手ひどく私から奪っておいて、どうして笑っていられるの? どうしていつも通りに過ごしていられるの?
そんな思考が濃霧のように、いくら振り払おうとも何度も何度も脳内に立ち込め、彼女を侵していく。
「あれ……?」
そんな時、シャールはふと庭の端に奇妙なものを見つけた。
植栽の根本、影になっている地面に円環状に小石が並んでいて、その下の地面が妙に盛り上がっているように見えた。
それを見た瞬間、シャールは反射的にそちらに向かって歩き出していた。




