Ep.5-21
「……そう、大衆の愚かさ……そんな、そんなことが……あるものなの……?」
シャールは、エリシアがかつて口にしていたその出自を思い出す。スラムで生まれ、盗賊として過ごしてきた半生。人の醜さはいくらでも見てきただろう。悪意も見てきただろう。
それでも多くの人間たちが練り上げる単純だけれどもそれゆえに恐ろしい悪意というものには触れることが無かったのだろうし、学ぶような機会も彼女には設けられてはいなかったのだろう。そして、それはほんの少し前の自分も同じことだった。
それ故に、逆にこうも思うのだ。何故エリオスはこんなにも、人の愚かさを知っているのだろう。エリオスもエリシアも、見た目だけでいえば、年のころはほとんど変わらないというのに。何が彼をこんな風にしたのだろう――
「く、ッ……ああ、もうだめだ……」
不意にエリオスが口元を抑える。全身を震わせながら、自分の身体をその細腕で抱きしめながら。うつむき、そして次の瞬間――
「ああ――ッははははははは!」
高く高く笑いだした。ひどく無邪気でただただ楽しそうな表情で、彼は笑っていた。シャールもエリシアもそんな彼を黙って見つめていた。そんな二人の目の前で、エリオスはベッドにその上体を倒れ込ませながらわざとらしく笑い転げる。
「あーもう無理! しんどい! 君たちは本当に愉快ないい表情をしてくれるね! 私を笑い殺す気かい!」
エリオスは二人を見ながら大声で笑った。シャールは一瞬この笑い声が階下の村長の耳に届くのではないかと危惧したけれど、どうやら防音の魔術がかけてあるようで、村長がやってくるような気配は感じなかった。
そんな彼女の杞憂をよそに、エリオスは立ち上がり唇を噛み締めて自分を見つめるエリシアの目の前へとつかつかと歩み寄る。そして彼女の頬にその細い指先で触れる。
「ねえ、エリシア……君は今どんな気持ちだい? さっきからずっと、君は自責の念ばかり口にしている。でも、本当にそれだけかい? 愚かな村人たちのコトを憎んではいないかい? スカっと殺してしまいたいとは思わないかい? そも、醜悪で愚かな人間に愛想が尽きてしまったんじゃないかい?」
エリオスは彼女の耳元でそっと囁く。悪魔が人を悪徳の道へと引き摺り込むように、甘く密やかに。エリシアはその言葉に目を剥いて、ほとんど反射的に立ち上がり叫ぶ。
「――ッ! そんな、ことは! だって……ボクは、勇者……なんだよ……」
エリシアの言葉は竜頭蛇尾と言った風に最後は消え入りそうな微かな音に成り果てていた。エリオスの言葉がその心を犯している。そんな風に見えた。そんな彼女にエリオスは続ける。
「勇者だから何だっていうんだい? そもそも、勇者なんていうのは聖剣に選ばれた者に便宜的に与えられる呼び名に過ぎない。そんなものは君の感情を縛る枷にはなり得ない、君は自由だ——誰かを愛しむのも、誰かを憎むのもね」
「——ッ」
「ねえエリシア。君は今、人の醜さに絶望してはいないのかい? シャールを傷つけた人々から、彼女から大切なものを奪った奴らから、何もかも奪い取ってやりたいとは思わない? その剣は、そんな君の想いに応えてくれはしないのかい?」
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