Ep.4-32
「ごめんなさいザロアスタ様——私は、生きて目的を果たさなければならない。だから、貴方の慈悲は受けられない」
シャールの言葉に、ザロアスタは歩み寄る脚を止めた。その表情も四肢も硬直し、まるで時が止まった標本のようだった。
「今、何と言った?」
「私は貴方に殺されるわけにはいかない。そう言ったんです、ザロアスタ様」
石像のように固まった表情を僅かに動かして、絞り出したザロアスタの言葉を打ち払うように、シャールはぴしゃりと返した。
その言葉に、ザロアスタは全身を震わせる。
「ゥゥゥゥオオォォ……何故だァ……其方は罪を犯したのだ……償わねばならぬ。その命をもって、浄罪せねばならぬ……せめて一瞬の痛みで以ってその罪を贖わせてやろうという我が慈悲をォォ……貴様は……貴様はァァァ!」
そこまで言ってからザロアスタはぴたりと身体の震えを止める。そして、ぶつぶつと何事かを呟く。そして不意に顔を上げた。
「そうか、そうか! そうなのだな! あの魔術師と青い小娘か!」
「え?」
ザロアスタは先ほどまでの怒りに満ちた顔から一転して、笑顔を浮かべる。その笑顔があまりにも晴れやかで、それなのに瞳は笑っていなくて。シャールは逆に空恐ろしいものを感じる。
そんな彼女の怪訝な顔など顧みることなく、ザロアスタは頷く。
「あの二人が其方の思考を操っているのだな! 嗚呼、そうに違いあるまい。一国を滅ぼした魔術師と、その主人を騙る小娘——其方と違い邪悪な面構えをしていたあやつらが悪いのだなァ!」
「な、何を言って——私、操られてなんて……私は自分の意思で!」
「オオォォォォ! なんと! 何と哀れなのかァ! 操られた挙句、その罪を一身に背負わされるとはァァァ!」
シャールの言葉の一つ一つが、ザロアスタの脳内で都合よくその意味を上書きされて、彼の中でエリオスとアリアへの憎悪が際限なく高まっていく。
言葉が上滑りして右から左へと流れ落ちていくような感覚。もはや彼には、言葉を通してシャールの想いなど届けられはしないのだろう。
「シャールは洗脳されている」——ザロアスタの耳にはそんなバイアスが既にかかっていて、シャールが言葉を発するたびに彼にとって都合のいい解釈が固められていくのだ。
「どうして……どうして分かってくれないのですか……どうして私の言葉にちゃんと向き合ってくれないんですか……」
シャールは絶望に満ちた声を漏らした。
しかし、そんな悲痛な嘆きもザロアスタには届かない。ただ、彼は自分の中でエリオスとアリアへの怒りを培養し、シャールへの憐憫を募らせている。
そんな彼を見てシャールは胸の中に乾いた綿を詰め込まれていくような感覚に陥る。
ザロアスタがエリアス達に怒りを向けたのは、自分のせいなのではないか。彼の言葉を、慈悲を、拒絶してしまったからなのではないか。そんな思考がシャールの脳内を支配する。
彼は自分の慈悲が絶対的にシャールのためになると思っていた。そしてそれは誰の目から見ても明らかなのだと信じていた。
だからこそ、それを受け入れない人間はまともな思考力を持てていないのだと確信したのだろう。
ザロアスタは涙を滝のように流しながら剣を握りしめた。
「待っているがいいッ!其方は、我輩が必ず! 解き放ち、神の御許へと送ってやるからなァァ!」
ザロアスタの涙ながらの叫びに、シャールはただ呆然と立ち尽くすしか無かった。
当初の予定より、だいぶザロアスタのキャラがやばいことになってきたな、と。