Ep.4-31
気づいたらとんでもない時間になっていました
「——貴方は、一体……」
恐怖と困惑が入り混じった、震える声がシャールの薄紅色の唇から溢れる。
シャールには、目の前の老騎士が分からなくなっていた。もとより狂気的なまでの信仰心を持った騎士だとは思っていた。ただ聖剣を所持していると言うだけで、怒り狂って殺しにかかってくるのだから。それ以前の豪放磊落とした姿との落差にも驚かされた。だが、それはあくまでその程度のものだった。
世の中には他人には理解のできないような逆鱗を持つ人間がたくさんいる。自分からすれば下らない、あるいはおかしいとすら思えることにも心血を注ぎ、魂をかけて怒り出すような者がいる。
勝手な理屈を振りかざし、自分の利益のために人を恫喝するかのように怒り出す人間もいる。シャールはそんな人間を、それなりに見てきた。
だから、ザロアスタもそういうタイプなのだと考えていた。
——尊き神の奇跡、古くから守られた教義、伝統。そんなものを心の底から盲信的なまでに信仰し、自分の中で極限までその価値を肥大させたそれを、踏み躙られたと自分が認識した瞬間に怒り出す。そんな少し自分とは価値観の違う人なのだと。シャールはそう認識していた。
だが、違った。
「ォォ、オオォォ! 小娘よ、我輩が汝の魂を神の御許へと導こう! 汝はひとえに我が導きに従い、安らかに神の元へと迎えば良い! これ以上罪を重ね、その魂を穢すな——我が情けを、我が願いを聞き入れてくれィ!」
彼は善人だった。
鋼のように強い信仰心と、真っ直ぐすぎる善性、磨き上げられた力と剣の技術、そして神と教義への忠誠。それは、一つ一つなら高く評価されるものであり、忌避されるようなものではない。しかし、ことストラ・ザロアスタという男の中でそれらが結びついてしまったのは、もはや不幸としか言いようがない——きっと、本人にとってはそのようなことはないのだろうけれど。
その信仰心は、狂気的な盲信と成り果てて。
その善性は、己の価値観の下暴走し。
その力と剣の技術は、彼自身を彼の信ずるものを否定し破壊する暴力装置と変えて。
その神への忠誠は、彼自身の狂気を肯定して、固定した。
その果てが、彼なのだ。
彼はもはや「価値観が違う」などと言う言葉では生温い——まさしく「狂っている」のだ。
「——私は……」
シャールは声を震わせながらその場に立ちすくんだ。そんな彼女を見て何を勘違いしたのか、ザロアスタはその凶悪な表情を一瞬緩める。
「おお、オオォ! そうか、分かってくれたのか! 異端に慈悲を与えるのは、統計局の規則には反するだろうが何のことはあらん! 我輩は自身が処分を受けたとしても汝を救おうぞ。さあ、その聖剣から手を離すのだ、そして我が剣の前に跪き、神に祈りを捧げるのだ。我輩が汝を神の御許へと連れ行こうぞ」
攻撃の意思が緩んだシャールを見て、彼女に自分の言葉が届いたのだと考えたのだろう。ザロアスタは感動に打ち震えながら、両の手を大きく広げてシャールを迎え入れようという姿勢を見せる。
そんなザロアスタの表情に、仕草に、シャールは思わず心が揺らいだ。あの老騎士は心底からの善意をシャールに向けている。それを無視すること、踏み躙ることはどうにも躊躇われた。
しかし——
「だめ、です……」
「何?」
「だめなんです……私は、例えこの生存が罪だったとしても……私に資格が無かったとしても」
シャールは訥々と呟くように、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「ごめんなさいザロアスタ様——私は、生きて目的を果たさなければならない。だから、貴方の慈悲は受けられない」
割と最近昼も夜も投稿時間にバラつきが出ていますが、ご了承ください。
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