Ep.4-23
「いいなぁ…… 嫉妬、しちゃうなあ……ふふ」
エリオスの口から漏れ出る言葉などに気を払うことなく、レイチェルは彼の後ろ手に繋いだ手錠を強く引く。
「——ぐ……ぅぅ……」
「——立ちなさい」
呻き声を漏らすエリオスに僅かに表情を曇らせながらも、レイチェルは容赦なく彼を立ち上がらせる。ふらつく足は正しく産まれたての子鹿のよう。
そんな彼の姿を見て、レイチェルは僅かに声音を和らげる。
「貴方を聖教国へ連行する。でも安心して。レブランク王国の崩壊を起こした危険分子ではあるけれど、最高巫司様から、貴方を必要以上に傷つけることのないようにとお達しを受けている。酷いことにはならない」
「——ふ、くく……あはは、お優しい……コト、だね……」
エリオスは自分の首筋にあてがわれた聖剣の煌めきを見ながら、小さく息を吐いた。そして、身体を少し揺らしてレイチェルによる拘束が解けないかと試みてみる。しかし、手首に嵌められた手錠も、彼の身体を抑え付けるレイチェルの手も、エリオスには解けそうになあ。
レイチェルはそんな彼を見てゆるゆるとかぶりを振る。
「諦めなさい。貴方じゃあ、私には力勝負では勝てない。腕も細く、力も弱い。見たところ体力だって無さそうね——尤も、あんな権能を持っていて、しかも魔術師だというのだから、わざわざ鍛える必要も無かったのでしょうけど」
そう言って、レイチェルはエリオスの左腕を掴むと、籠手を着けたままの手で思い切りその細腕を握りしめる。みしみしという骨が軋む音が響いた。
「ぅ……ぐぅぅ……ああ、ああああッ!!」
骨が折れ砕けていく感覚にエリオスは叫び声を上げる。そんな彼の声にレイチェルは、目を強く閉じて歯を食いしばりながら、さらに力を込める。
乾いた音がエリオスの腕の中から響いた。
「ああああッ! ぐぅぅ……くぅ……ァァ……」
エリオスはその激痛に思わず叫び声を上げるが、すぐにそれを噛み殺そうとして、唸り声を漏らす。
そんなエリオスにレイチェルは冷たい視線を送りながら告げる。
「力の差を理解していただくために、腕を一本へし折らせて頂きました。これに懲りたら、抵抗すること無く私たちに従って……」
「くぅ、ァ……く、ふふ……あはははははは!」
「——何です?」
突然笑い出したエリオスに、レイチェルは困惑の表情を見せる。それは得体の知れない怪物を見てしまったような眼だった。
そんなレイチェルの方をエリオスはちらと振り返り、にいっと笑ってみせる。
「いやぁ……はは、うん……羨ましいなぁってね……その戦いのセンスも、力も……技術も、体力も……私に欠けてるものを君はちゃあんと……持ってる……ふふ、羨ましい……羨ましいなぁ……嗚呼、『嫉妬』しちゃうね……」
とろんとした瞳でエリオスはあどけなく笑いながらそう言った。レイチェルはその言葉の意味を図りかねて、怪訝そうな表情を浮かべていたが、不意に彼の言葉の意味に気付く。
「……嫉妬——まさか!」
叫んだ瞬間、レイチェルはエリオスの首にあてがった聖剣を振り抜いてその首を一太刀で刎ね飛ばそうとする。先程までエリオスに感じていた憐憫のような感情も、最高巫司からの指令も、この瞬間の真っ白になった彼女の思考からは消え失せていた。
彼を殺さねばならない。そうでなければ自分が死ぬ——そんな単純でいて鋭敏な本能が彼女に瞬間的にその決意をさせていた。
しかし——
「ざァんねん……一歩遅い」
そんな言葉と共に聖剣の一振りは弾かれた。レイチェルは自分の一太刀を弾いたモノを、先程まで自分が完全に捕らえていたはずだった者を見て目を瞠る。
弾かれた反動で、上体を大きく退け反らしながらレイチェルは彼を睨みつけた。そんな彼女に彼は、自由になった手をひらひらと振ってみせる。
「始めよっか……第二ラウンド」
そう言って彼は——エリオスは嫣然とレイチェルに微笑んだ。