Ep.4-15
レイチェルの聖剣が、エリオスの権能を打ち破ったその頃、シャールは森の中を駆けていた。
シャールの足には、街でアリアが見繕った彼女にとっては少し高めのヒール。走りにくいその靴で、シャールはそれでも懸命に獣道すら満足にない森の中を走った。
時折ちらと背後を振り返ると、猛り狂った熊のような威容のザロアスタが迫ってくる。大地を踏み締め、支配するような足取りは、走ってもいないはずなのにとても速い。少しでも休めば、すぐに追いつかれてあの剣戟が脳天に振り下ろされてしまうだろう。
「——どうしよう、どうしよう……」
震える唇は先ほどから同じ五つの音を繰り返して零す。「どうしよう」などと言っているが、その実今のシャールに「どうしよう」かと考えるような余裕は無い。
そう繰り返しているのはきっと自己満足、或いは本能的な自己防衛なのかもしれない。まだ「どうしよう」か考える余地——選択肢が存在しているはずだと自分に言い聞かせるための。
シャールはちらと強く握りしめたアメルタートの刀身を見遣る。その刀身にはいつかのような若草色の光はなく、ただの鋼の剣となり果てているように見えた。
そう、シャールが逃げている原因はこれだ。
アメルタートがシャールに応えなくなった。あの若草色の光を放ち、権能を発揮出来なくなっていたのだ。一度ザロアスタの剣戟を受け止めようとした時にそれに気づいたシャールは、本能的に悟った。聖剣としての力が無い今、自分はザロアスタの攻撃に耐えることが出来ないと。そして逃げ出した――
「どうして……」
胸の中に冷たい鉛を流し込まれたような、絶望的な気分。アメルタートは自分を見捨てたのだろうか。
「やはりお前のような村娘に自分は相応しくない」、「お前はただ自分の本当の価値を勘違いして空回りするだけの小娘だ」——聖剣の冷たい重みが、シャールにそう告げているように思えた。
涙が込み上げそうになる。迫る恐怖からではなく、悔しさから。
ザロアスタは自分のことを「簒奪者」と言った。その言葉がシャールの感情を大いにかき乱し、心の深くて柔らかい部分を踏み荒らした。
きっと思い当たる節があったからなのだろう。ずっと心のどこかでつかえていたものがあったからなのだろう――そうなのかもしれない。シャールはふとそう思ってしまう。
あの日、ルカントが死んだ後に聖剣を手に取った自分にアメルタートが適合したように思えたのは、何かの勘違いだったのかもしれないとさえ思えてくる。
そうだ、自分は聖剣に選ばれてなどいない――ルカントの死に乗じて、聖剣という宝物を掠め取った簒奪者。それが自分なんだ。
「さぁァァァ! 返せェ、我らが神にその身、その剣、その魂——全て返上せよォォ!」
地響きのようなザロアスタの咆哮が森を揺らす、鳥も獣も木々さえもその威容と声に恐れ慄いているように見えた。
シャールはひたすらに走った。走って逃げた。ザロアスタから、認めたくないのに湧き上がってくる不安から。
不意に森が開けた。めちゃくちゃに逃げ回っていたシャールは、自分が森のどこにいるのかなど分かっていなくて——だから、目の前に広がる景色に思わず動揺して足を止めた。
そこに鎮座していたのは黒い館——エリオスの屋敷だった。シャールは思わず乾いた笑いを零す。
「はは、私ってば……逃げて逃げて、こんなところに戻ってきて……あはは……やだ……あはは」
この期に及んで、私は無意識下でエリオスに——仇にでも頼ろうというのか。なんて見苦しい、なんて情けない。納得だ——こんな小娘、聖剣アメルタートが選ぶはずもないんだ。
そんなことを思いながら、シャールはよろよろと、不安定な足取りで館の方へと歩く。彼女の中には、「もうそれでもいい」と思うような気持ちがあったのかもしれない。情けなくても、無様でも、卑怯でもいいから、逃げ出してしまいたい。そんな敗北宣言じみた思いが。
そんな時、何か大きくて硬いものが彼女の足にぶつかってその歩みを止めて、視線を足下に落とす。
そこにあったもの、彼女の足を止めたのは、鬱蒼とした森の木々の狭間にあって異質なもの。3枚の石のプレート——ルカントたちの墓だった。
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