Ep.4-13
誰よりも早く動いたのはレイチェルだった。彼女はエリオスが紡いだ「ゼロ」の音が虚空に融けるのと同時に身体を深く沈めたかと思うと、次の瞬間にはエリオスの目の前でその剣を大きく振り上げた。
「——受けられよ!」
短くそう叫ぶとレイチェルは握りしめた聖剣をエリオスの脳天に向けて振り下ろす。
しかし、エリオスはそれをちらと一瞥したかと思うと、凄まじい勢いで振り下ろされた剣戟をさらりと身をかわしてみせた。
「——お断りするよ」
エリオスはそう笑って見せたかと思うと、レイチェルの足元を指差してみせる。レイチェルがそれに釣られて自身の足を見ると、エリオスの影から伸びた黒い鞭のようなナニカが絡み付いているのに気づく。
歯噛みするレイチェルの顔を見ながら、エリオスは愉快そうに笑って右手を横に薙いでみせる。
その瞬間、黒い影の鞭は大きくしなったかと思うと、レイチェルの身体を釣り上げて、思い切り振り払った。
鎧を纏ったレイチェルの身体は木々にぶち当たり、地面を跳ねて森の奥へと飛んでいく。
エリオスは木々の狭間の闇へと消えていくレイチェルを見ながら、楽しそうに笑う。
「さて、シャール。君は君なりに戦ってみてくれたまえ。仮にも聖剣を持っている君だ、死なないように頑張ってね——死ぬ気でさ」
冗談のつもりなのだろうか。その無邪気とも邪気に満ちているとも判断のつかない子供っぽい笑みに、シャールは文句の一つでも溢したくなったが、状況はそれを許してくれない。
エリオスがレイチェルとの交戦を開始した瞬間、ザロアスタを食い止めていた影の槍が消え失せたのだ。当然、獣のように怒り狂ったザロアスタによるシャールへの攻撃も、それと同時に再開される。
「——ゼァァッ!!」
咆哮が響くのと同時に、シャールの髪の先を太い鋼の剣が掠めた。
「——ひッ!」
その一撃にシャールの口から情けのない悲鳴が漏れる。ザロアスタの大振りながら豪速の剣戟が振りおろされるたびに、シャールは死を強く意識させられる。
「返せェ! 返せェェ! その薄汚く堕ちたる魂共々ォ我らが神に返上せよォォォォ!!」
「——ッ! ざ、ザロアスタ様! どうか、落ち着いて——私の話を!」
「聞くにィ、能わずッ! 盗人の戯言など一片の価値すらないわァ!」
アメルタートを構えたまま、シャールはザロアスタの剣戟を右は左へ、そして後ろへと避けるしかない。アメルタートで受けることも考え無かったわけではないが、ザロアスタの重すぎる一撃を下手に受ければ腕が折れ砕けるのではないかという、確信めいた恐怖があった。
ザロアスタと向き合いながら、森の中でタップを踏むように逃げ踊るシャール。
どうすればいい——シャールは土砂降りのように降り注ぐザロアスタの剣戟を避けながら考える。
何とかしてザロアスタを打ち倒す? ——否、アヴェスト聖教の騎士に、村娘でしかないシャールが勝てるはずもない。
言葉を尽くしての説得? ——今の彼が話を聞いてくれるとは思えない。先程までの豪放磊落とした雰囲気はどこへやら、今の彼は獲物を前にした獣と同じ。激情のままに剣を振るっているのだ。
エリオスがレイチェルを倒すのを待ち、助けを待つ? ——それはいやだ。エリアスの手を借りるのが癪に触ると言うのもあるが、それ以上に彼の手を借りると言うことはレイチェルもザロアスタもその命を落とすと言うことだ。
それは嫌だった。シャールには、二人が悪い人間だと思えなかったから。
「——どう、しよう……」
凄まじい剣戟の嵐の中、シャールは泣きそうな声で溢した。