Ep.1-13
紫電の柱に塗りつぶされた魔法陣をリリスたちは見つめていた。絶えず焼き尽くさんと荒れ狂う稲妻の束の向こうにはもはやエリオスの影は見えない。
紫閃に塗りつぶされた円陣——大魔術式『絶獄の檻』。高位の魔術師であるリリスであってもその発動までに、一分以上の時間を要する大魔術式だが、それ相応の、否それ以上の破壊力を有するその一撃は間違いなく現在この世界に存在する攻撃型の魔術の中では五指に入る威力。
円陣の中で際限なく縦横無尽に輝く稲妻は、内部のありとあらゆる存在が灰燼と化するまで焼き尽くす。
「やった――か?」
「これを食らって‥‥‥生きているわけがないですわ。私の、最高傑作ですもの――せめて、あの方の手向けに‥‥‥」
凄絶の光に目を奪われたアグナッツォのつぶやきに、息を切らせながらリリスが答える。安堵の息を漏らしながら、ミリアも肩の力をわずかに抜く。
しかし次の瞬間、そんな彼らの顔に戦慄が奔る。
「――すばらしい一撃だな。ああ、本当に素晴らしい」
弱まっていく紫電の柱の中央に影が現れたのだ。そして紫電の柱の向こうから声が響いた瞬間、リリスたちの表情は安堵の色から蒼白へと変ずる。
「――なんで‥‥‥どうして、どうしてなの‥‥‥?」
紫電が消え失せる。
力の抜けたようにつぶやくリリスの視線の先、そこには先ほどと何ら変わらぬ姿のエリオスが立っていた。その身体はおろか服にすら傷跡一つ、焦げ跡もない。まるで稲妻など受けていなかったかのような健在たる姿でエリオスはそこに立っていた。
「――うん、見事な連携、見事な魔術だったよ。だがね、もう飽きてしまった」
そういうと、エリオスは自身の指を口元に運ぶと、その端を歯で小さくかみちぎる。そしてあふれ出る血を自ら大理石の床の上、自身の影の中へと一滴、二滴と垂らす。
「――『刮目せよ、眼の眩むほど‥‥‥』」
そしてエリオスは詠唱を始める。歌い上げる様に、眼を閉じて。
「『賛美せよ、燃ゆる罪業を‥‥‥眼を背けても‥‥‥忘れず刻め――我が示すは大罪の一‥‥‥踏破するは憂鬱の罪』」
そこまで詞を紡ぐと、エリオスは目を開く。そして、何処か気だるげな流し目をリリスたちに送りながら、小さく笑う、嗤う。
「さあ、終わりにしよう――『私の罪は全てを屠る』」
その瞬間、彼の足元の影が歪み始める。最初は目の錯覚かとも思われた――しかしそれは次第に波打ち、カタチあるモノへと変転していく。
「――ッ!!」
最初に動いたのはアグナッツォだった。彼はエリオスの目を見て既視感を覚えたのだ――自分たちを見るあの目は、あの目に魅入られたこの感覚は、かつて駆け出しのころに出会ってしまった獅子の魔獣と同じ――絶対的な狩る者の瞳。
何が起こるのかは分からない、何をしてくるのかも分からない――ただ、今目の前の敵の息の根を絶たねばならぬと、冒険者としての勘が彼を突き動かしたのだ。
飛び掛かるアグナッツォ――その勢いは強弓にいられた矢のごとく、一直線にエリオスの喉元へと最短にして最速を駆ける。しかし――
「――え?」
次の瞬間、アグナッツォは困惑する。身体の感覚が無い―――風を切る肌の感覚、カットラスを握りしめた手の感覚、大理石の床を蹴り込む足の感覚。その一切が消えていた。いつの間にか視界の中央には天井のシャンデリア、次に驚愕と恐怖に表情を歪めるリリスとミリア――おかしい、二人は自分よりも後方にいたはずだ。
そうだ、ルカントと約束したのだ――彼に万が一のことがあったとき二人の命だけは何とか守ると。普段感情を見せないあの堅物な王子サマの、やけに熱のこもった言葉。初めて見せたあの心根は、どうにも無視が出来なくて、だからなし崩し的に了承してしまったのだ。
だが、約束したからには守らなくてはならない。それは軽薄に生きる自分が、自身に掛けた唯一の縛り。だからこそ、彼女たちを守るために二人より先に飛び出したのに――どうして二人が俺の目の前にいる?
「アグナ! アグナぁぁぁ!!」
叫ぶリリスとミリアの声。その悲痛さにようやくアグナッツォは自身の状況を理解した。しかし、その瞬間彼の意識は消失した。




