Intld.Ⅱ-xiv
ローマ数字表記って、数が大きくなるとときどき怪しくなりますね
「私と一緒に、ここから逃げてくれる気はありませんか――」
リリスの言葉に、シャールは言葉を失った。思考は停止し、辺りの風景も止まって見えた。
それでも、彼女の言葉が冗談や噓の類ではない事だけは、シャールにも分かっていた。その真っすぐな瞳に見られるだけで、身が引き締まる思いだった。
シャールは震える唇で、問い返す。
「どう、して……そんなこと……」
「エリオス・カルヴェリウス――彼は傷ついた私を屋敷に留め置いてくれました。その点は感謝するし評価もしますわ。それでも、やっぱり彼らは危険――いつ、彼の気まぐれな悪意の矛先が貴女に向かうか分からない」
返す言葉もない。表面上は穏やかな日々が続いていて、シャールはエリオスの機嫌を窺って生きているわけでもない。しかしその一方、この館で生活する中でその神経を常に張り詰めさせていた。実験体として彼の研究に与する中で気まぐれに致死の薬を投与されるかもしれない。些細な言葉の綾に機嫌を損ねて、彼の権能で殺されるかもしれない。あるいは地下の実験室に今監禁されている彼のように――
そんな緊張感の中での日々が続いていた。それから逃れられるというのなら、安寧の中再び生きられるというのなら、それはとても好ましいコトなのだろう。
「私……私は……」
痺れるような喉の奥から幽かな声が零れ落ちる。
そんなシャールを見ながら、更にリリスは続ける。
「貴女が私と一緒に逃げることを望んでくれるのなら、私は転移の魔術を使って貴女と一緒にどこまででも――彼の手の届かない、遠い遠い場所まで。世界の果てまでだって行けますわ」
嬉しそうな、期待のこもったリリスの声。シャールは足元がぐらついていくのを感じる。
どうしよう、どうすればいい――本音を言えば今すぐ逃げてしまいたい。命も尊厳も、魂すらエリオス・カルヴェリウスは弄ぶ。そんな彼の下にいることは、泣き出してしまいたくなるくらい恐ろしいコトなのだ。
「わ、私は……」
「逃げた先のことだって心配ありません。私の魔術があれば、彼以外からなら貴女を守り切れます。生活だってどうにかなりますもの――だから、ね」
そこまで言ってリリスはシャールを見つめて、その右手を差し伸ばす。震える手指、弱弱し気なそれは手を取らなくては崩れ落ちてしまいそうなほどに脆く、か弱くて――
「だから、お願いします――私を選んで、シャール」
リリスのか弱い声が響いた。シャールは差し伸べられたその手に震える指を重ねようと、手を伸ばす。そんな時、不意に腰に掛けたアメルタートが熱を帯びたような気がした。
「――ッ!」
シャールはリリスに触れかけた手を弾かれたように引っ込める。それを見て、リリスは酷く悲しそうな表情を浮かべる。
「どうしたんですの……ねえ、シャール。お願い、手を……私を――」
「ごめんなさい」
その短い音がシャールの唇からこぼれた瞬間、リリスは一瞬悲痛な声を漏らす。そんな彼女の顔を見つめて、シャール自身も悲痛な顔を浮かべながらも、歯を食いしばり、そして口を開く。
「ごめんなさい――一緒には、行けません。私は……ここに残ります」




