Ep.1-11
刃がエリオスの細い首筋に到達するまで、もはや刹那の間もない。だというのに、変わらずエリオスはぶつぶつと何事かをつぶやいている。この状況でも、未だに聖剣に御執心なのか? 拍子抜け――そんな安堵にも似た思考がアグナッツォの脳裏によぎる。しかしそれは、エリオスの口から漏れ出る詞を彼の聴覚が認識した途端に消し飛ぶ。
「――『踏破するは怠惰の罪』‥‥‥」
「コイツ――ッ!?」
アグナッツォは腕に力を込めて、より早く――限界を超えた速度で刃を振りぬく。しかし――
「――『私の罪は全てを屠る』」
首筋に死神の刃が迫っているにも関わらず、エリオスはそっと置くように、最後の一音を紡ぐ。それと同時にアグナッツォの刃がエリオスの首の皮を切り裂く――はずだった。
「――な、にッ!?」」
広間に響く硬い音――それと同時に、アグナッツォの渾身の一撃は弾かれ、その手に握られたカットラスはその反動で後方へと、くるくると周りながら放物線を描いて飛んでいく。
彼とエリオスの間で、彼のカットラスの一撃を阻んだもの――蜃気楼のように広がる空間の歪み、それが金剛石のような、あるいはそれ以上の硬さでアグナッツォの攻撃を打ち払ったのだ。
「――私もちゃあんと周りくらいは見ているんだよ?」
刃を失い飛び退くアグナッツォを振り返ってエリオスは流し目気味に小さく笑う。そんなエリオスにアグナッツォは舌打ちをしながら距離をとる。あの硬さは想定外――だが、この展開は想定内だ。
「ならついでに覚えとけよ、悪役ッ!! 大事なのは視野の広さってことをな!!」
アグナッツォは叫ぶ。その言葉に怪訝そうに眉を顰めるエリオス――しかし次の瞬間、彼はその言葉の意を理解し振り返る。その視線の先、そこには槍の穂先を振り上げたミリアが彼の頭蓋を捉えてそれを振り下ろさんとしている。
「ルカント様の――ルカントの無念、思い知れッ!!」
「――なんと」
振り下ろされる槍の一撃にエリオスはわずかに驚きを帯びた声を上げる。
ミリアの槍もまた、リリスの手により魔術強化を付与されている。その上、この槍は貴族令嬢たる彼女の家に伝わる家宝の一つである宝槍。そしてそれを振るう彼女自身、幼少よりルカントと共に鍛錬を重ね、同じ時間を過ごしてきた生粋の武人でもある。
その力量は、こと武術に限れば、万能型のルカントすらもしのぐ。頭蓋にその一撃が到達すれば即死は必至。相手の意識の外から、この距離まで迫れば先ほどの空間を歪める防御式の詠唱は間に合わない。まともな反射神経では回避も不可能。
「――砕けろッ!!」
槍の穂先、白く光る刃が頭蓋に迫る。その瞬間、エリオスはとっさに空いた左腕をかざして頭をかばおうとする。
無駄なこと――そのはずなのに、ちらと見える彼の瞳には焦りの色が浮かんでいない。それを目にした瞬間、ミリアは底知れぬ、得も言われぬ不安感に戦慄する。
否、そんなはずはない。
焦ることなど何もない。
そう思った瞬間だった――
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