Ep.3-80
予告通りちょっと長めです
「――死ね。悪魔ども」
そう呟き、青年は剣を振り下ろした。力と憎悪のこもった刃はシャールの白い首筋に迫り、血の華を散らす――はずだった。
しかし、その刃はシャールには届かなかった。その剣は彼女の首まであと髪の毛一本ほどの距離だというのに、その薄く柔らかな皮膚すら切り裂くこともできないで、中空で固まったまま震えていた。
その刃には、黒く薄っぺらい平面的な槍が絡みつき、太い青年の腕で振り下ろされた剣は完全にその動きを封じられていた。
「――ひどいなあ、誰が悪魔だって?」
どこからか呑気な声が響いた。
その声に、青年たちは振り返りその表情を強張らせる。そこには、彼らが悪魔と呼んだ少年——彼らの住む王都を焼き、多くの市民たちを殺した虐殺者・エリオスが立っていた。
シャールを斬ろうとした青年は驚いて剣から手を離して後ずさる。それとほとんど同時にエリオスが影の槍を引っ込めたことで、その剣は床にごとんと音を立てて落ちる。
その音に、シャールは身体をびくんと震わせて薄目を開ける。何が起きているのか分からない——そんな表情だった。
そんな呆けた表情のシャールにエリオスは苦笑を漏らす。
「全く、君もなかなか太々しいね、シャール。騒乱の只中、暴徒ひしめく城の中で寝入るだなんて」
「ぇ、あ……私……」
張り付いた瞼を擦りながら、シャールは自分の今置かれた状況、自身に迫っていた危険がなんだったのかを理解する。
そんな彼らを睨みつけながら、青年が叫ぶ。
「お、お前ら! 自分たちの状況——自分たちがしたことを分かってるのか!? お前たちは——」
「さて、私たちが一体何をしたというのかな? 私が何をしたかはよく分かっているけれどね――君たち一体何を見てたんだか」
エリオスはそう言いながら、ゆらりと歩みを進めてシャールと青年たちの間に立ち塞がる。わずかに毒気のある言葉にシャールは複雑な表情を浮かべて、エリオスの背中を見ていた。
華奢で背もそこまで高くない少年の姿だというのに、その顔は柔らかな笑みを湛えているというのに、青年たちはそんな彼を前に固まっていた。恐怖していた。
昨晩の惨劇が、その中心にいた彼の姿が頭の中をちらついていたから。
「――ッ! だまれだまれだまれ! お前らのせいでみんな死んだ、お前たちが殺したんだ!」
青年はエリオスの言葉をかき消さんとするように、怒鳴り散らし敵意の目をエリオスとシャールに向ける。実際、シャールもエリオスの側にいながら虐殺を止めることなく――尤も、彼を止めることなどシャールには不可能だったろうが――ただ彼について歩いていただけだったのだから、「お前たちが殺した」と言われても、否定できない。それでも、その言葉はシャールにとっては酷く辛いモノだった。
シャールは唇を噛んでうつむく。エリオスは、そんなシャールをちらと一瞥すると、肩を竦める。
「ま、君たちがそう信じたいのなら好きにすればいい。私にそれを矯正する義理は無いしね――それで、どうするんだ?」
「――殺すッ」
青年たちは各々武器を構えて、その切っ先をエリオスに向ける。エリオスは、小さくため息を吐いて一歩前に進み出る。
「そうかい。それじゃあ、せっかくだからハンデをあげようじゃあないか。私は、素手で、魔術も使わずにお相手しよう」
「な、舐めてるのか……お前」
「舐めてるのは君らの方だろう? まさか、ハンデ無しでこの私に勝てるとでも?」
エリオスはそう言うと、誰にも聞こえない声で素早く口を動かす。『Pride』――そんな響きがシャールの耳には聞こえた気がした。腕を組みながら、青年たちがいつ掛かって来るのか待っているような目を向ける。
「みんなの仇ッ!」
「死んで詫びろォ!」
「悪魔め!」
各々に叫び声をあげながら、青年たちは斬りかかる。その目には憎悪と興奮と、そして色濃い不安が混じりあっていた。エリオスは、本当にただそこに素手で立っているだけ、影の槍を展開する様子もない。あと一瞬で青年たちの刃が彼の頭蓋を叩き割る――そう思えた瞬間。エリオスは、その華奢な右腕を思い切り振り払った。その瞬間、エリオスの面前まで迫っていたはずの剣が、いつの間にか床の上に折れた状態で転がっていた。
魔術ではない。エリオスの腕に振り払われて、全て吹き飛んだのだ。
そんな有様にシャールも、青年たちも唖然とした表情を浮かべる。ただエリオスだけは当然と言わんばかりに笑っている。
「もう終わりかい? 君たちに与えた温情も意味をなさなかったみたいだ」
エリオスはそう吐き捨てたかと思うと次の瞬間、エリオスはその左脚をわずかに引いたかと思うと、思い切り蹴り上げた。
蹴り上げられた細い脚の先は、青年たちの顔の高さまで持ち上げられ、勢いのまま青年の1人の首を蹴り飛ばした。がっしりとした青年は、その体格が嘘のようにエリオスの蹴りに吹き飛ばされる。
蹴り飛ばされた青年の身体は他の青年たちを巻き込んで壁にぶち当たった。
青年たちは起き上がってこなかった。しかし、呻き声や不規則な呼吸音は聞こえてくるので、どうやら死んだわけではないらしい。
シャールは小さく安堵の息を漏らす。そして、ちらとエリオスの方を見て問いかける。
「——殺さないんですね」
「彼らにはもっとふさわしい絶望があるからね――それとも、君は殺して欲しかった?」
エリオスは意地の悪い笑みを浮かべて問い返す。対するシャールにはそんな彼の戯言にまともに取り合う気力など既になく、ゆるゆると首を横に振って再びソファに身体を沈めた。
そんなシャールの姿に苦笑を漏らしつつ、エリオスはちらと反対のソファに眠るリリスを一瞥する。
「ご褒美は有効活用してもらえたみたいだね。お土産も確保できたようで何より」
エリオスはそう言うと窓の方へと、つかつかと歩み寄る。そして、締め切られたカーテンを勢いよく開いて言った。
「——それじゃ、帰ろうかな。我が屋敷へ」
エリオスはそう言ってシャールの方を振り返る。窓の向こう、王都の空を覆っていた雲には切れ目が生まれ、そこから差し込んだ蜂蜜色の光が荒廃した街に降り注いでいた。
これにて、episode.3はひとまず終了となります。
この話の後日談的な部分については、次回以降のインタールードで触れていければと思っています。
作者の予想を超えて80パート目まで行ったepisode.3に皆様お付き合いいただきありがとうございました。
また、どこぞのパートでお約束していた、レブランク王国関係者たちの名前の元ネタについては、後日活動報告の方でお話しさせていただこうかな、と思っています。
このepisode.3までは、この作品においては序破急でいうところの「序」になります。
インタールードを挟んで、次のepisode.4からは「破」の部分。さらに、文章力や物語の構成に磨きをかけられればと思い、精進してまいります。
それでは皆様、今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




