Ep.3-60
「じゃ、やめようか」
エリオスはあっけらかんとそう言い放った。その言葉に、シャールも市民たちも、貴族もファレロも言葉を失う。
一瞬、冗談か何かかとも思ったが、エリオスは次の瞬間には術式展開のために差し伸ばしていた腕を横に薙ぐように振り払う。すると、市民たちを取り囲んでいた薄紅色の光の壁も、その中に満ちていた赤青白の入り乱れる光も、彼らの足元の魔法陣も一瞬にして霧散してしまった。
しばらくの間、誰も彼もが固まってその場から動けずにいた。
そんな中、エリオスは固まった人々の顔を見てくすくすと口元に手を当てながら笑っていた。
「き、貴様ァァ!」
笑い声に弾かれたように、ファレロがエリオスに掴みかかる。エリオスはそれを振り払うでもなく、ただ掴まれるままに、嫣然とした笑みを浮かべたままファレロを見つめていた。
「何を考えている! ま、まさか我々を——」
「いやぁ、別に。君らの命も貰い受けたりはしないよ? 単純に、ウチのシャールやそこの一般市民の皆んなの声があんまりに悲痛だから、やめてあげようかなーって。一種の同情ってヤツ?」
そう言ってのけたエリオスの顔は、「同情」なんて言葉とは縁もゆかりもなさそうなほどに、一点の曇りもない晴れやかな満面の笑みだった。
エリオスは、自身の胸ぐらを掴んだファレロの手を振り払うと、静かに口を開く。
「『我が示すは大罪の一‥‥‥踏破するは憂鬱の罪』」
権能を呼び覚ます呪詞を詠うエリオス。その足元からはゆらりと幾本もの影が立ち上がる——何度も見た影の槍の権能。その立ち上がった影の先端はまっすぐに、ファレロや貴族たちを捉えている。
「ひ——」
貴族の一人が、テラスから城内へと逃げ出そうとする。しかし、それをエリオスが見逃すはずもない。
「『私の罪は全てを屠る』」
最後の一音が、灰色の空に溶けた途端影の槍たちは素早く動き出した。しかし、それは彼らの心臓を穿つでもなく、首を刎ねるでもなく、床の上を低く走り、彼らの足に絡みつく。
絡まれた貴族やファレロたちはバランスを崩してその場に倒れ伏し身動きの取れないまま、ただエリオスを見上げることしかできない。
そんな中、ファレロが叫んだ。
「貴様——人の魂が魔力の源だと言っていたではないか! なぜ諦める! なぜ奴らを殺さぬのだァ!」
「——だってアレ、嘘だもの」
「は——?」
悪びれるでもなく言い放ったエリオスの言葉に、ファレロや貴族たちは一瞬呆けたような顔を浮かべた。そんな彼らをくつくつと笑いながら、エリオスはネタバラシをするように滔々と語る。
「もちろん人を殺して喰らえば幾ばくか魔力は回復したり、或いは増強されたりもするさ。でもね、それはあくまで『魂』なんてモノじゃなくて魔力の話——ヒトの体内にある魔力をいただくに過ぎない——だからまあ、絶対に不要と言うわけではないんだけど……」
「だったら——!」
「でもさ、私はそんなことしなくても強いんだよ——だから、割とそんなのはどうでもいいの」
エリオスは冷たい笑顔を絶やさないまま、そう言った。対するファレロの額には冷たい汗が流れ落ちた。
静まり返ったテラスの上で、エリオスはさらに彼らを甚振るように言葉を続ける。