ストーキング
夜中に椿が怪物を見た翌日、椿はいつもどおりに学校へ登校をしていた。
しかし椿は怪物を見た後眠れなかったのか、目元には濃いくまができていた。
フラフラと眠たげな表情で歩いていく椿であったが、ふと背後からの視線を感じて後ろを振り向く。背後には最近自分につきまとっている男子生徒の姿があった。
「ひ!」
こちらを凝視している男子生徒の顔を見た椿は、小さな悲鳴を上げて学校に向かって走り出すのだった。
「はぁはぁはぁ……」
後ろを振り向かずただひたすらに走り続けた椿は、校門をくぐり抜けて苦しい呼吸を抑えるために深呼吸をしていた。
始業のチャイムまでまだまだ余裕があるのに、校内まで走ってきた椿を他の生徒達が視線を向けているがそれに気づく椿ではなかった。
呼吸を整え終わった椿は、先程まで感じた男子生徒の視線が無いことを確認すると、そのまま自分の教室に向かうのだった。
自分を見ていた視線を感じなくなった椿は、落ち着いて教室へ向かって行く。その道中彼女は再び後ろからの視線を感じて、すぐさま背後を振り返る。
背後に居たのは椿が弓道部に在籍していた頃から慕ってきた後輩、坂井洋子であった。
洋子はじーっと、椿を見つめ続けるが、椿に気づかれたことが分かると曲がり角の向こう側に隠れるのだった。
(あの子は坂井さん、どうして私を見ているの?)
椿は洋子を訝しんだ目で見ながら、そのまま教室に入っていくのだった。
「お姉さま……」
椿が入っていた教室をジッと見つめ続ける洋子は、ボソッと暗く劣情のこもった声でつぶやくのだった。
教室に入った椿はそのまま無事に授業を受けることができた、しかし休み時間のたびに教室の外から二つの視線を感じるのだった。
一度トイレに行くために教室を出れば、洋子と朝に椿を見ていた男子生徒がジッと椿を陰から見つめている。
二つの視線に気づいた椿は、顔を青ざめさせてトイレに向かうのだった。
「うえええぇぇぇ」
トイレに駆け込んだ椿はまず個室に駆け込むと、胃の内容物を勢いよく吐き出した。
嘔吐物を水で流した後に、そのまま椿はお手洗いの鏡を見るとそこには、不健康そうに見えるほどに真っ青な顔をした椿の姿であった。
(先輩……)
もはや我慢の限界だった椿は、心の中で響の顔を思い出して心の均衡を保とうとするのだった。
そのまま椿は教室に戻ると、自分の席に座ってそのまま突っ伏す。
しかしそんな状態の椿に声をかける者が居た、椿のクラスメイトである。
「あの下屋さん、あの人達……」
クラスメイトが指差したのは、教室の入口から椿を見ている洋子と。朝に椿を見ていた男子生徒の二人であった。
椿はフルフルと顔を横に振ると、そのまま再び突っ伏すのだった。
そんな椿の様子を見たクラスメイトは、何も言わずに椿から離れるのだった。
昼休み、響と達也、結奈に薫は机を近づけて昼食をとっていた。
話題は達也が告白を受けていた時の、結奈の様子であった。
「んで、薫あん時俺は居なかったら分からないんだけど、蒼樹さんどんな様子だった?」
「うーん言っていいのかな」
そう言って薫は結奈の方へ視線を移す、結奈は無言でお弁当を食べていたが、よく見ると頬はほんのりと赤く染まっていた。
「えっとね、響が教室を出た後は蒼樹さんは教室をウロウロしたり、黒板に色々書いては消してたよ」
「うーんこの不審者」
薫から結奈の様子を聞いた響は、おかずを頬張りながらそうポツリとつぶやくのだった。
なお響と薫の間では結奈は達也のことが好きではないか、という認識になっている。
しかし結奈の好意は達也に通じていないのか、達也は無反応のまま昼食を進めていた。
「達也のあの様子だとさっぱり気づいてないな」
「そうですね、あそこまで思われているのに……」
響と薫は小さな声で、結奈と達也に聞こえないように意見を出し合う。
そのまま昼食は進んでいき、話題は中間テストについてとなった。
「ところで皆、中間テストは大丈夫か?」
上之宮学園の高等部ではテストの赤点ラインは四十点である、それ以下の点数を取った者は夏休みに補修を受けなければならない。
故に生徒たちは夏休みを謳歌するために、中間テストへの勉強を頑張るのだった。
「俺は大丈夫だ」
「僕も不安は無いですね」
「私は古文とか文系が不安です」
問題がなさそうに答える達也と薫、二人は全教科平均点以上は必ず取れるために不安は無かった。
やや不安げに答えたのは結奈で、彼女は理系科目はほぼ満点を取れても文系が弱く、赤点スレスレの点数を取ることもしばしばあった。
「そう言う響君はどうなの?」
「英語を頑張らせていただきます」
薫の言葉に響は申し訳無さそうに突っ伏してしまう。
響の英語の点数は常に赤点ギリギリの水上飛行である、応用問題は殆ど解けず、教科書の部分をそのまま出した基礎問題を解くために、テスト前には教科書とのにらめっこは何時ものことであった。
そんな響の様子を見て、三人はアハハと笑うのだった。
そのまま時間は過ぎていき、全員昼食を終えるのだった。
昼食終えた響達がダラダラと昼休みを過ごしていると、椿が走って教室に入ってくる。
勢いよく教室に入ってきた椿に対して、響達は一斉に視線を向ける。
「先輩……助けてください……」
息も絶えたえな椿の様子を見て、響は急いで椿の元に駆け寄る。響を追いかけるように達也、薫、結奈も近づいていく。
「どうしたんだい椿君」
「とりあえず……廊下を見てください……」
響達はとりあえず椿に言われたとおりに、廊下に顔を出す。
下から結奈、薫、響、達也の順にまるでトーテムポールのように並んだ響達は、廊下の陰に隠れてこちらを見ている洋子と、朝に椿を見ていた男子生徒を確認するのだった。
二人の周囲は陰湿な空気が漂っており、周囲の生徒達も陰湿な空気を嫌って近づこうとしない。そんな二人は響達を眉間にシワを寄せて睨みつけていた。
「椿君、何あの二人?」
椿のもとに戻った響は、いの一番に廊下に居た二人の事を聞くのだった。
「女の子の方は坂井洋子といって、弓道部の後輩に当たる中等部の子です。男性の方は先輩も知ってのとおり最近ストーキングしてくる人です……」
怖がりながらも説明する椿の言葉を聞いた薫と結奈は、椿に同情するような視線を向ける。
震えている椿の体を響は、落ち着かせるように優しく撫でるのだった。
達也は教室の入口に姿を隠しながら、スマートフォンで二人の姿を撮影する。
「とりあえず俺は男子生徒の名前を調べてみるか……」
「悪い達也」
「気にするな」
そのまま達也は教室を出ていく、生徒会室に行って男子生徒について調べに行くのだった。
少し落ち着いた椿は、まだ怖いのか響の両手を掴んで離さない。
響も両手を離さずにギュッと握り返すのだった。
「でもどうするんだい響君?」
「んーとりあえず予鈴が鳴るまでは教室にいてもらって、その後は俺が教室まで送るかな」
流石に校内でストーキングが起きているなんて説明しても、教師陣はすぐに動いてくれないと判断した響は、とりあえず教室に椿を保護することに決めた。
そのまま椿を教室に保護していったが、時間は過ぎていき昼休み終了前の予鈴の時間になる。
「んじゃあ行ってくる」
「先輩ごめんなさい……」
「気にしないで、俺もそのままなんて出来ないし」
椿は申し訳無さそうに頭を下げるが、響は微笑みながら気にするなと腕をふる。
そして二人は椿の教室に向かうのだった。
(凄い視線を感じるな)
廊下を歩く響は、二つの視線を背中に感じ取っていた。
響がスマートフォンの画面を利用して後ろを見ると、十メートル程後ろに洋子と男子生徒が鬼気迫る表情で響を睨んでいた。
それを見た響は椿の体を二人から隠すような位置取りをして、椿を教室まで送っていくのだった。
「すいません先輩……」
「良いって良いって、もし何か困ったら言ってくれ」
「はい!」
教室まで送り届けられた椿は、感謝して頭を下げる。そして響の言葉を聞いて、元気よく返事をするのだった。
椿が教室の中に入っていったのを確認した響は、チラリと後ろを振り向く。先程まで響達を見ていた二つの視線はいつの間にか消えていた。
(とりあえずは去ったか、ひとまずは達也の情報を当てにするか……)
昼休みの終了前の予鈴が鳴り響く校内を、響はゆったりと歩いていくのだった。