3. 腐女子の出逢い
「…?あ”~?」
物音がした気がして、目が覚めた。
寝ていたつもりはないのだが、意識がなかったような気がする。それが一瞬のことなのか、はたまた数時間経っているのかはわからない。
辺りを見回すと、真っ暗なままだ。どうやらまだ夜中らしい。
「っ!?」
突然、洞窟内にガチャガチャと何者かが近づいてくる足音が鳴った。足音は一つのようだ。
まるで鎧を動かしているかのような金属音。――これは、人間だろうか。少なくとも、先ほど出会ったモンスターの中にこんな物音を立てるのはいなかった。
「ぁ、はぁっ!くっ―…エレ、ン、どこ、だ―…っ!」
近づいてくる足音とともに、聞こえてきたのは乱れた息遣いと苦しそうな声。
間違いない、人間だ。この世界で初めての――
ガチャガチャガチャッ!
大きな音を響かせ、池の近くに人影が見えた。
私は思わず立ち上がり、この世界の人間を喜んで迎える――が。
「なっ――こんなところに、アンデッドだと!?」
「あ”~?(…え、私!?)」
彼女は手を広げて迎えた私を見て、手に持った剣を構えた。
「あ”っあ”ぅあ”ぅあ”~~~~!(待って待って、私、敵じゃないよ?)」
「くそっ、こんな時に…!近寄るなっ!」
「あ”~~~~っ(ぎゃー!剣が、西洋っぽいどでかい剣が、目の前に!)」
「はぁっ、くそ、逃げるなっ!私は…ここで死ぬわけにはいかんのだ!」
「あ”ぅあ”ぅあ”~!!(に、逃げるなって無茶言うな!!)」
彼女は、女性が持つには大きすぎる西洋剣のようなものを片手で構え、私を斬り伏せようと剣を振る。いくらこの身は既に死んでいるようなものと言っても怖いものは怖い。
思わず悲鳴を上げながら逃げ回っていると、彼女の動きが見る間に悪くなっていった。
「っは、…く、くそっ、目が、かすんで…っ」
「…あ”~?」
よく見ると、彼女の身体はボロボロだった。
ガチャガチャと音を鳴らす白銀の装甲は、端から見てもかなり高級そうなものだが、ところどころひび割れていて、肩や腰の辺りが欠けており、汚れや傷がひどい。
剣を振るう彼女自身も怪我をしているようで、右手や腹あたりに血のようなものが見える。
顔色もかなり悪いようだ。相当出血しているのではないだろうか。それでも剣を振り回すあたり、必死な様子が窺えるが、それもそう時間は保たなかった。
「は、ぅ…くっ―え、レン―…っ!」
「あ”~…」
とうとう力尽きたのか、崩れ落ちた彼女は、悔しそうに私を見つめて気を失った。
「…あ”~…」
倒れた彼女にそうっと近づいてみた。おそるおそる顔を覗き込むが、どうやら完全に気絶しているらしく、ぴくりともしない。
心配になり、首筋に手を当ててみるが、鼓動を刻んでいることに安堵した。危うく殺されそうにはなったが、この世界で初めて出会った人間だ。このまま死なれるのは私の精神上よろしくない。
とりあえず、怪我の有無を確認する為に白銀の鎧を脱がせることにした。死んだように脱力している彼女を持ち上げつつ、重そうな鎧を一つ一つ外していく。意外にもそこまで苦労せず外せることができてホッとするが、彼女の身体を見て思わず息が止まった。
「あ”~…(これは…この怪我は、マズイんじゃ…!)」
脱がせた途端に広がった血の匂い。
重厚な鎧の下は、軽装ともいえるほど薄い服。泥や埃などで汚れてはいるが、元は白いだろうその服は、胸の心臓辺りから腹に向けて真っ赤に染まっていた。
酸化して黒い染みとなったその上から、今なお新しい鮮血が溢れ出ている。
驚いて仰ぎ見た彼女の顔は、血の気がなく、今は青白いを通り過ぎて白くなっている。
このままでは30分ももたずに死んでしまうだろう。
(え、でも、どうしたら?こんな、何もない場所で…だ、誰か!)
慌てて辺りを見回すも、自分たち以外の誰かがいるわけもなく、私は意味もなくうろうろと動き回る。意を決して彼女の血に染まったシャツを脱がそうとするが、薄汚い自分の手を見て躊躇する。
こんな腐った手で触れて、傷口からばい菌でも入ったらどうしよう。悪影響がないとはいえない。というより、ないはずがない。
では、せめて水で傷口を綺麗にと思っても、水を入れる容器すらない。彼女の持っている西洋剣の鞘ならと思ったが、鞘自体かなり汚れていて清潔とは言い難い。第一、泉の水が安全とはいえないのだ。使える水もない。
(そんな、どうすれば…)
考えているうちにも、彼女の顔色は一層悪くなっていく。先ほどまで荒かった呼吸も細くなり、いつ止まってしまってもおかしくはない。
そんな中で何もできずに焦ることしかできない自分が、ひどく悲しかった。
「あ”ぅ~あ”ぁ”~!あ”ぅ”あ”~!!」
(お願い、死なないで…!よくわからないけど、誰かを探しているんでしょう?こんなところで私に看取られて逝ったらダメだよ!)
必死な声で誰かを呼んでいた彼女。どういう事情かはわからないが、大怪我をしながらもこんな危険な場所を探し回っていたのだ。相手は、相当大切な人なのだろうと察することができた。それなのに、その大切な人に会えずにこんな場所で死んでいくなんて、そんなのは駄目だ。
触れることに躊躇ったが、傷のついていない手をそっと握る。初めはそっと、次第に強く、両手で包み込むように。久しく感じられなかった感触を噛みしめるようにして――あ、歯が取れた。こんな時にまでこの身体は思うようにならない。
う”~う”~と唸りながらも、必死に彼女に呼びかけるが、反応はなかった。血の匂いはますます強くなっていく。もう一刻の猶予もなさそうだ。
(あーもう!!このままじゃ彼女が死んじゃう!傷を治さなきゃ…!!お願いだから、彼女を助けて!助けたいの!!!!)
そう願った瞬間だった。
ぶにょん。
「あ”…?」
私の身体から何かが零れ落ちた。
白い、ゴムみたいな感触の…
(なにコレ…うぎゃあああああああっ!!!!)
思わず悲鳴を上げた。それはもう野太い悲鳴だった。ゾンビでなかったとしても酷い声だっただろう、そう思えるほど。
ソレは、まるで生き物のように彼女に向かっていった。
いや、おそらく生き物なのだろう。外見はまるで芋虫だ。真っ白でふっくらとした芋虫。
昔見たカブトムシの幼虫のようなものだといえばわかりやすいかもしれない。
まるまるとしたソレは、外見では想像がつかないほど素早い動きで彼女に、正確には彼女の傷口へと向かっていく。
止めることはできなかった。
なんでかはわからない。
だが、ソレが彼女を傷つけることはないだろうと、なぜか確信したのだ。
それに―…
「あ”ぅ~あ”ぅあ”ぅあ”~!!(ぶにょんて…なんで芋虫が私の身体から…しかも大きい!いやー!)」
私はといえば、ショックでそれどころではなかった。
百歩譲って小さな芋虫ならともかく、ソレは手のひらくらいある大きさだったのだ。
そんなモノが、私の身体から…ゾンビとは、虫を産む存在だっただろうか。
混乱している私をよそに、芋虫は彼女の傷口までたどり着くと、まるで傷口を守るかのようにじっと丸くなった。
その様子をなんとなしに見ていた私は、疑問に思いながらも黙って見つめる。
「あ”…!?」
しばらくすると、芋虫の身体から黄色い光が立ち上っていくのが見えた。
それと同時に、溢れるように流れていた血が止まる。
不思議な光景に思わず目を丸くすると、両目から瞼が取れたので急いで付け直した。
そんなことをしているうちに、真っ白だった彼女の顔にもほんの少し顔色が戻り、ほとんど止まっていた呼吸も微かにだが戻る。
それを見てようやく、この芋虫が彼女の治療をしているらしいことに気づいた。
(治療…だよね?)
芋虫が微かに動いているように見える。
その様子がどことなく彼女の傷口をもぐもぐと食んでいるようにも見え、少し不安になる。
だが、先ほどまで微かにしか感じられなかった彼女の呼吸が、次第に力強く、また安定し始めたのを見てホッとした。
(なんだっけ…マゴットセラピー?…アレみたいなものかなぁ…)
確か、前世の現代医療であった治療法の一つだ。
一昔前、戦時中の話だ。戦時中は物資も乏しく、例え軍人が大怪我をしてもろくな治療ができないことも多かった。
物資はもとより、衛生状態も悪く、診療所にハエが飛んでいることも多かったと聞く。
当然命を落とした者も多いが、軍人の中には怪我に蛆がわくこともあった。
不思議なことに、蛆がわいた患者の怪我は治りが早かったという。
うろ覚えなので、それが真実かはわからないが、現代医療でも糖尿病で壊疽した部分を蛆に食べさせるという治療法があった。
虫が大嫌いな私は、たまたま見たTV番組で卒倒したから間違いはない。
そういうわけで、彼女に虫がはりついている今、私は彼女に近づくことはできないでいる。
(早く治ってくれますように。そして芋虫よ、お前はさっさとどこかへお行き)
勝手なことを切実に願う私を当然のように無視し、芋虫はうごうごと蠢いていた。
別作品も投稿しています。よろしければ下記リンクからご覧ください。
https://ncode.syosetu.com/n9310ed/