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5月16日

□ 五月一六日 昼 神隠しの祠


 大きなリュックサックを背負い、ママチャリに乗って、村の史跡を巡った。神社や寺を周り、通りかかった村人に声をかけていたらあっという間に昼近くになってしまった。

 わたしはママチャリを飛ばして、神隠しの祠へ向かった。


 梅岩翁が教えてくれた場所は、今ではただの雑木林になっていた。腰ほどもある雑草が生い茂り、木々も全く手入れされていないのだが、奥の方に石灯籠と思わしき人工物が見えた。たしかに老人の言う通り、ここには昔、何かがあったようだ。


 一方反対側には、用水路を隔てて小学校があり、高学年くらいの子どもたちがグラウンドで走り回っていた。神隠しの言い伝えが残る場所のすぐ横に小学校とはずいぶん皮肉な話だ。伝承というものが、いとも簡単に忘れさられる脆弱なものであるかを端的に表しているのかもしれない。もっとも、いちいちそんなこと気にしていたら、現代の都市設計などとても行えないのだけど。


 わたしはリュックを背負い直し、雑木林に足を踏み入れた。伸びた雑草をかき分け、奥を目指して進む。

 数歩進んだだけで、ジーンズには葉っぱが張り付き、やぶ蚊が顔の周りに寄って来た。足場は悪く何度も転びそうになった。湿気も高く、身体中が汗をかいたみたいにねっとりとして、ますます葉っぱがまとわりついてくる。リュックサックからタオルを取り出し、腕や顔を拭いて、首に巻いた。


 しっかりと準備してから来るんだった、たちまち後悔が押し寄せてきた。


 一旦戻ろうかと思い、来た道を振り返ると、道路に停めたママチャリのすぐ横に、四、五歳くらいの小さな女の子が立っていた。


 女の子はこちらを指差した。

「おばさん、何やってるの?」


「おっ、おば……」


 見も知らぬ子にそんな呼ばれ方をされるなんて、思いもよらなかった。


 ショックで何も言い返せず、呆然と立ち尽くしていると、明るい茶色に髪を染めた女性が、女の子のところに近づいて来た。どうやら女の子の母親らしい。


「どうした?」

 と、母親は女の子に問うた後、女の子が指差す方へ顔を向けた。


 わたしと目が合った。


 母親はわたしより若い、もしかすると、まだみのりちゃんぐらいの年齢かもしれない。


 母親はさっとわたしから視線を離し、女の子の手を取った。


「あんな変な奴と関わるな。行くよ」


「ちょ……っ」


 弁明する間も無く、母娘は逃げるように早足で去っていった。


 確かに、大きなリュック背負ってやぶ蚊に襲われ葉っぱまみれになりながら、何もない雑木林を一人進んでいく姿を見たら、普通は変な人だと思うかもしれないけど。それでも……。


 手を繋ぎわたしの前から逃げ去る親娘の姿が未だ脳裏に焼きついている。


 ふと、昨日の孫娘に介抱される梅岩翁の姿が思い浮かんだ。すると次の瞬間、「あたし、先月とうとう籍を入れたの」という同窓会での茜の言葉、仏壇に手を合わせる母の姿、テレビに映る女性特任准教授、博士論文の結果を伝えた時の木坂先生の顔、七年前の先輩の姿が、洪水のように押し寄せて来た。


 わたしは葉っぱまみれになった自身の体をじっと見つめた。


 ——わたし……、何やってるんだろう?


 駄目だ、問うてはいけない。これを自身で問うてしまったら心に歯止めがかからなくなる。しかし、問わずにはいられなかった。


 定職にもつけず、結婚もせず、一心に研究に邁進するが、本当に実になるかどうかはわからない。数少ない知人、親類から心配され、それ以外の人々からは白い目を向けられる。


 ——いったい自分は何がしたいのか?



 気づけば、目の前に古びた石灯籠があった。結局、無意識のうちに、前進していたらしい。


 来た道を振り返ると、道端に停めたママチャリが小さく見えた。


 ——ここまで来たら後戻りはできない。どんなに不毛で理不尽あろうとも先に進むしかない、ということか?


 石灯籠のさらに奥に、腰ほどの高さしかない小さな朽ち果てた木造の建物があった。左に大きく傾き、屋根から瓦が滑り落ちてしまっている。雑草と蔦に覆われ、両開きの扉の片方は外れかかっている。かなり昔に作られ、久しく手入れがなされていないようだ。


 わたしはゆっくりと建物に近づいた。これが梅岩翁のいっていた神隠しの祠だろうか。


 ——神隠し、か……。


 神隠しが、本当に超常的な力によって人々を異界へ連れ去る、なんてもちろん思っていない。神隠しの噂のほとんどは、その人自身の意思による家出か、第三者による誘拐、あるいは不慮の事故に巻き込まれそのまま発見されなかった、のいずれかだ。梅岩翁の言っていた神隠しだってそうだ。若い女性も消えた、ということだから人さらいの線が高いだろう。


 ——それでも、もし……


 ふと思う、ここではないどこかへ行けたなら……。


 ごとりと祠の中から物音が聞こえた。


 身体中に緊張が走る。


 ——何? もし蛇だったらどうしよう。


 それでも気になって、その場で屈みこみ、ぽっかりと洞穴のように空いた祠の入り口を慎重に覗き込んだ。


 次の瞬間、それまで真っ暗闇だった内部が急に白く輝きだしたかと思ったら、光の渦がわたしに向かって迫って来た。

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