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7月20日

□ 七月二十日 大学の大図書館


 救世主ヴィクトルの魔導書は無事発見された。


 ヘッセ村に派遣された発掘隊の徹底した調査により、例の廃寺院で秘密の地下室を発見、そこでたくさんの古い書物と一緒にヴィクトルの魔導書があった。魔導書は今、教皇の元で大切に保管されている。


 それから、少し前の話になるが、テレーズの粘り強い交渉の末、ようやく連合軍による増援部隊が結成され、現地に派遣された。そして魔導書発見と前後して、魔王の軍勢が撤退したとの連絡も入ってきた。


 これら、立て続けにもたらされた朗報に、人々は大いに沸き立ち、「今喜ばねば、いつ喜ぶのだ」というブロイ大公の一言で、聖都あげてのお祭りが今日、急遽開催されることになった。本当に宴会好きの国だ。


 今はちょうど祭りの真っ盛りで、外は耳が痺れそうなほどの大歓声に包まれているだろう。しかし、わたしたちのいる図書館はいつも通り静かだった。


 わたしから少し離れたところで、マリエルの声がした。

「それで、どうして二人とも、今日もここにいるの?」


「どうしてって」アランは本を見たまま言った。「僕は論文の続きを書かないといけないし」


 少々ふてくされた表情で、マリエルはアランの背中を見つめた。

「論文って……、街はお祭り騒ぎだよ。今日くらい、仕事も研究も忘れて、楽しく騒ごうよ」


「マリエル、別に僕たちに付き合わなくても、一人で祭りに行っていいんだよ」


 マリエルはますます頰を膨らませた。

「一人でお祭りに行けって! 信じられない。それが婚約者に向かって言うセリフ! ヒロミも何か言ってやって」


「そうねえ……」わたしも本に目を向けたまま答えた。


「ほんと、二人とも何考えてるの」マリエルは大きなため息をついた。「まだアランはわかるとして……いや、わかりたくないけど……、そもそもどうしてヒロミも図書館にいるの? 魔導書探しは終わったんでしょ」


「まあ、そうだけど」

 確かに魔導書探し自体は完了した。しかし当然と言うべきか、ヴィクトルの時代に書かれた魔導書は古代神聖文字で記されているため、今度は本の解読を頼まれてしまったのだ。皆が崇める伝承の賢者様のはずなのに、いいようにこき使われているんじゃないか、と思わないでもないが、ブロイ大公でもなくテレーズでもなく、クレメンス枢機卿御自ら頭を下げての依頼とあれば、協力してあげなくもない、と若干上から目線で承諾したのだった。


 しかし、解読作業が本格的に始まるのはお祭りが終わった後だ。今日は元の世界へ戻る手がかりとなりそうな文献を調べていた。


 この異世界では、大勢の人に支えられ、その中で、大切な友人や、頼りにしてくれる人たちができた。しかし、元の世界にだって、わたしのことを想って、助けてくれた人たちがいる。母、木坂先生、千恵や茜といった友人たち……、その人たちに感謝の一言も伝えられず永遠に離れ離れになるのは嫌だ。


 そしてなにより、たとえ辛い現実が待っていようとも、中途半端になっている研究をやり遂げ、名誉だけではない博士号を取りたい!


 それにしても、異世界に放り出され、賢者だと持ち上げられても、気づけば結局、やっていることは今までと何も変わっていない。実に凄まじき業だと我ながら思う。しかし、これがわたしなのだと、諦め半分、覚悟が半分、といったところだ。


 マリエルが子猫のようにアランにすり寄って、「ねえねえ、行こうよ、お祭り〜」と駄々をこねている姿が見えた。

「でも、少しでも早く論文を完成させないと……」

 わたしと同じ業を抱える助手見習いは困惑した表情を浮かべていたが、

「いいじゃない、少しぐらい。大学の偉い人たちもみんな遊んでるんだよ。ねっ、行こ」

 という、婚約者からの猛勢にとうとう根負けした。

「……わかったよ、この節を読み終えたらね」

「やった!」

 マリエルがアランの首にぎゅっと抱きついた。

「苦しい苦しい、マリエル、息、苦しい……」


 あーっ、見てられない。幸せ者はさっさとお祭りにでも行ってしまえ!


 アランは荷物を片付けると、席から立ち上がった。

「じゃあ、ヒロミさん。僕たち行きます」

「お疲れさま、明日からも引き続きよろしくね」二人に向かって手を振る。

「えっ? ヒロミも行くんでしょ? お祭り」

 マリエルはキョトンとした表情を浮かべた。

 わたしは首を振った。「わたしはここにいるわ。二人の邪魔なんてするつもりもないし」

「いやいや、そうじゃなくて。……公子殿下と」


 どくりと心臓が大きく脈打った。


 クレメンスが伝えてくれた通り、神聖騎士団も無事だった。一時は、魔王の軍勢に襲われ窮地に陥ったが、幾多の苦難を乗り越え、死地から脱出、そして合流した連合軍の救援部隊と共に、敵の撃退に成功したのだ。彼らも今日聖都へ凱旋することになっていた。


 もちろん、騎士団を率いていたロジェも……。


「ど、ど、ど、ど、どうして、わたしがあいつと?」

 わたしは動揺を悟られまいと顔を伏せたが、マリエルはくすくすと笑い声を立てた。

「またまた、照れちゃって。愛しの人とようやく再会できるのよ」

「別に、愛しの人でも何でもないし。あいつの事より、今はこの本を読む方が大切なの」


「そうですか、そうですか。もっと素直になればいいのに」

 マリエルは肩をすくめると、とても自然な仕草でアランと手をつないだ。

「じゃあ、あたしたち『先』に行ってるね」

「どうぞどうぞ、楽しんでいらっしゃい」

 と、図書館を出ていく二人の背中に向かって言ってやった。


 ようやく静かになり、わたしは改めて、本に目を向ける。


 ——せっかく、意識しまいと耐えてきたのに……。


 しかしもう、本に集中することが出来なかった。頭の中はロジェの顔で一杯だ。


 素直になれば良い、だって? できるならそうしている。今すぐ図書館を飛び出して、ロジェに会いに行きたい。でもどんな顔して行けばいいの? どんな言葉をかけてあげればいいの? これまで、人に恋した経験も人に恋された経験も無いわたしにはさっぱりわからない。


 居ても立ってもいられず、わたしは図書館の中を歩き回り、目に入った本を開いては閉じ、別の本を開いては閉じ、と意味のない行動を繰り返していた。こうしているうちにお祭りは終わってしまうというのに。


 その時、図書館の扉が大きな音を立てて開き始めた。マリエルかアランが忘れ物をしたのだろうか? こんな悶々としている姿なんて見られるわけにはいかない、わたしは咄嗟に席に戻ろうとしたが、扉の向こうから現れた姿に、わたしの全身は鎖で縛られてしまったかのように固まってしまった。


 ロジェだった。


「やっと会えたな、ヒロミ!」

「ど、どうして、ここに……?」わたしは思わず訊き返していた。


 ロジェは顔も服も泥や埃で汚れていた。聖都に帰還して直接ここへやって来たのだろうか。


「もちろんヒロミに会いに来たからに決まってるだろ」


 ロジェはゆっくりと歩み寄ってくる。


「でも、凱旋パレードだって、大公や教皇への挨拶もあるし、忙しいんじゃ」


 何を言っているんだ、わたしは! もっと他に言うことがあるだろ! 頭の中でわたしの分身がわたしの頭を何度も叩いていた。


 一方、ロジェは真っ直ぐこちらへ向かってきた。

「そんなの、後からいくらでもできるだろ。俺は真っ先にヒロミに無事な姿を見せたかったんだ」


 わたしは離れることも近づくこともできず、その場で立ち尽くしていた。そして、あと一歩のところで、ロジェは足を止めた。


「もしかして、迷惑だったか?」

「そ、そんなことは……」


「ない」とどうしてその一言が言えない、わたしのバカ!


「ヒロミ……」

 ロジェの顔が見る見るうちに曇っていく。


 せっかく生きて再会できたのに、そんな顔しないで!


「ロジェ、わたし……」


「どうした?」ロジェがわたしの瞳を覗き込んできた。


 再び言葉に詰まってしまった。


 不眠不休で続ける調査に比べれば、今の自分の気持ちを伝えることなど、大したことではないはずなのに、どうしてたった一言が言えないのか。


「ああそうだ、ヒロミ」


 突然ロジェが指をパチリと鳴らした。何を閃いたのか、一瞬にして晴れやかな表情に戻っていた。

「これから馬で遠乗りに出かけないか?」


 わたしはさっきまでの苦悩をすべて忘れてしまうほど唖然とした。


「はっ、突然何を言ってるの?」

「ほら、前に約束しただろ。それに、ヒロミは騒がしいところはあまり好きじゃなさそうだし、どうだ、良い考えだと思わないか?」


 ……まったくこの男ときたら、なんて自分勝手で独善的なのだろう。


 でも、真っすぐで、正直で、そこが彼の良い所だと思う。


 そして、こんな彼と出会えて、わたしはきっと幸せ者なのだろう。


 こちらに微笑みかけるロジェのコバルトブルーの瞳を見据え、わたしは決死の覚悟で伝えた。


「……ええ、喜んで」

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。


本当は二月中に投稿し終えるつもりだったのですが、グダグダしてたら三月になってしまいました……。


こんな話を書いてみましたが、私自身は博士課程に在籍したこともなければ、文系学科を卒業したわけでもありません。書籍やウェブサイトの受け売りで、実情に合っていないところも多いかと思います。あくまでフィクションです(……フィクションであってほしいと思います)。


誤字脱字等のご指摘、感想や突っ込みなど、なんなりとコメント等に残していただけましたら幸いです。

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