6月13日〜6月16日
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ようやく終盤に近づいてきました
□ 六月一三日 大学の大図書館
昨夜の騒がしさから一転、今朝の大公屋敷は静かだった。夜遅くまで大公たちは会議を続けていたようで、まだ寝ているのかもしれない。
わたしは支度を終えると大学へ向かった。
市街にいつもと変わった様子は見られなかったし、大学も特段変わったところはなかった。教授、大教授たちは各々の部屋に閉じこもり研究を続けているし、廊下で雑談する助手たちの話にこっそりと耳を傾けたが、賭け事の戦略だとか、夕方何処で飲むかの相談だとか、他愛のない内容だった。
しかし、まったく同じとも言えなかった。図書館の鍵を受け取りに事務室へ向かうと、そこにはクレメンスがいた。
「おはようございます、猊下」
わたしは当たり障りのない挨拶をして通り過ぎようとしたら、クレメンスは「ちょっと」と呼び止めてきた。
「特任大教授殿、昨日の騒ぎは知っているな?」
「騒ぎ? 魔王の軍勢が迫っているっていう」
「静かに、声が大きい」クレメンスは顔を近づけ、囁くような声で言った。「大学に来て、そのことを誰かに話したか?」
「いいえ。大公屋敷の人たち以外とは話していません」
「そうか。ではくれぐれもその話を関係者以外にはしないように」
どうして、と訊きかけてようやく気づいた。他の人たちは魔王の軍勢のことを知らないのだ。
「ですが……」
「民を護るためだ。不要な混乱で社会不安を招くわけにはいかない。賢者であればわかるだろう、それくらい」
理屈はわからないでもないが、都民にだって知る権利があるのでは?
しかし、クレメンスは有無を言わせぬ口調で念を押してきた。
「わかったな、賢者殿。これは教会と大公による決定事項だ」
釈然とはしないものの、頷かざるを得なかった。見えない荷物を背負わされたようで、両肩がずっしりと重くなるのを感じた。
図書館前にはアランがいた。
「どうしたんですか、ヒロミさん。随分表情が険しいですけど?」
「大丈夫、問題ない」
図書館の扉の鍵を開けて中に入った。席に向かう途中、わたしはアランに訊いた。
「ねえ、昨日の騒ぎは知ってる?」
「昨日の騒ぎ? 何のことでしょうか、昨日はずっと部屋に籠ってたので」
「そう……」
やはり知らないようだ。このまま彼にも黙っておくべきだろうか?
「ヒロミさん。じゃあ今日も頑張りましょう」
普段より張りのあるアランの声に、わたしは驚いた。
「そっちはいつになく元気ね」
「そうですか? あっ、でも昨日ちょっと良いことがあって」
資料を開きながらわたしは言った。「マリエルとベッドで楽しいことでもしたの?」
ドスンッと大きな音がした。見るとアランが椅子から転げ落ちていた。
「ヒロミさん。何を突然言い出すんですか。ぼ……僕たちは教会信者なんですから。結婚もしてないのに、そんなことはしません!」
と弁明するアランの顔は真っ赤だった。……あっ、ちょっと可愛い!
「冗談よ」
「ヒロミさんにしては珍しい冗談ですね。やっぱり何かありました?」
「だから、別に何でもない」
とは答えたが、自分でも地に足がついていないようなふわふわとした気分だった。
「そうですか」
アランはわたしにまだ不審な視線を向けつつも席に座りなおした。
わたしは話を戻した。「で、本当は何があったの?」
「昨日お休みだったから僕の研究を進めていたんですけど、そうしたら、ここで分類していた本の中に、僕の説を支持する記事があることに気づいたんです。図書館も使ってみるものですね」
「そう、良かったね」
一時期に比べずっと元気とやる気を取り戻したアランを見ていると、今ここで不安にさせるような事を口にすべきではない、と思えてきた。
きっとロジェがこの国を、わたしたちを守ってくれる、そう信じよう。
「じゃあ、今日も始めましょうか」
と、わたしは声を張った。
さすがにこれ以上先送りにするわけにもいかない、と思い、これまで他の本に目移りして一向に進んでいなかった、『闇の黙示録』の確認を本格的に開始することとした。結構分量が多く、一読するだけでも一日はかかりそうだ。もし古代神聖文字が日本古語でなかったらと思うだけで、冷や汗が出てくる。
昼前に、マリエルがお弁当を持って手伝いに来てくれた。わたしは大公屋敷で何か動きがあったかを、マリエルに訊ねた。
「午前中に来客はなかったわ。それで暇だったから、手伝いに来たの」
「屋敷の方で何かあったんですか?」
と、マリエルが持ってきたハムサンドを食べながら、アランが言った。
「えっと、魔王の軍勢が……むぎゅ!」
わたしは咄嗟にマリエルの口を塞いだ。そして彼女の耳元で囁いた。
「ダメでしょ、そのこと言っちゃ」
「あっ、そう言えば、屋敷を出る前にメイド長から他言無用と言われたっけ」
「二人して、どうしたんですか?」
「「べ、別に……」」
わたしとマリエルは一緒に首を振った。
クレメンスと話をした時は、反発を覚えていたはずなのに、気づけば秘密を守る側に回っている自分に内心呆れながらも、しかし、大公屋敷で働くメイドとボーイの数を考えると、秘密にしておける時間もそう長くないかも、と思えてきた。
□ 六月一四日
一読するのに一日ぐらいかかるだろうと見積もっていた『闇の黙示録』だが、思ったより大変だった。教会独特の言い回しが多いし、暗号めいた書き方をしているところもあって、それを確認するのに時間がかかってしまっている。
一方、大公屋敷では、一昨日、昨日と中止になっていた夜の晩餐会が催された。たった二日なのに久しぶりと思えてしまうわたしもすっかりこっちの生活に慣れた、ということだろうか?
晩餐会はいつもと変わらない豪華さで、遠くでは大勢の兵士たちが敵と戦っているというのに、わたしたちだけこんなことしていて良いのだろうか?
今日のお酒と料理は美味しいとは思えなかった。
□ 六月一五日 大学
予感していた通り、魔王侵攻の噂が広がり始めた。
大学でも教授や助手たちが廊下に集まり、「ランカスター砦が陥落した」「連合軍が壊滅的被害を受けた」とか、不安げな表情で囁き合っていた。
すると、昼前に臨時の会議が開かれることになった。このまま噂を放っておいたら、教授たちの仕事に支障をきたす恐れがあり、魔導書探索計画の関係者に対しては、ある程度の情報を共有しておこう、という方針になったようだ。
会議場でクレメンスは演壇に立ち、集まったわたしたちに対して現状を説明した。
そこで枢機卿は、魔王の軍勢が大公領に迫っていることは認めたが、領土を守る全ての砦は健在だと言った。各砦には連絡要員として魔法使いが駐屯し、逐一魔法で状況を聖都に報告しているが、全ての砦と連絡が取れている、とのことだった。更に後詰として神聖騎士団が向かっており、各国へも救援部隊を派遣してもらうよう交渉中であり、聖都への脅威はない、と明言した。
クレメンスの話に、集まっていた教授、大教授たちは一様に安堵の表情を浮かべたが、この会議を境に、「そろそろ、賢者の助言をいただきたいところだ」と声が聞こえはじめ、わたしにとっては、お尻に火がついた形になってしまった。
肝心の調査の方だが、ようやく一通り『闇の黙示録』を読み終えたところだ。
魔導書のありかを示していると言われている箇所、『暗き川の畔の寺院に楔を残す。』について、現在の翻訳された聖典と、神聖文字版の聖典を比べてみたが、その前後も含めて、特に誤訳や誤植らしきものは見当たらなかった。つまり神聖文字版の聖典も『暗き川の畔の寺院に楔を残す。』なのだ。
強いて言うなら、『川』は、本当は『河』と当てはめたほうがいいかもしれない、くらいだ。何が違うのか? 特に違いはない。ただ『川』より『河』の方が大きいニュアンスが伝わるだろうと思っただけだ。
どちらにせよ、これを以て、現在の翻訳された聖典は正しい、と断言することもできない。アランが本の分類をしてくれた中に、年代が異なる別の神聖文字版の聖典があと二冊ある。書写が繰り返される中で、誤植や誤訳が紛れ込んだ可能性もあるからだ。だから、できる限り年代の異なる、聖典と比較することで、より、文章の確からしさがわかるだろう。
□ 六月一六日
残り二冊の神聖文字版聖典の確認を終えた。だいぶ教会独特の言い回しにも慣れてきて、読む速度も上がってきた。しかし、これらにも特に誤植らしきものを確認できなかった。ということは、『暗き川(河)の畔の寺院に楔を残す』で正しいと考えるべきだろう。
この結果にアランは、
「結局僕たちは半月近くかけて何を調べていたんでしょうか?」
と訊いてきた。
それに対してわたしは、
「何が信じられるかを、段階を踏んで確認することも研究の重要な要素なの」
と、返したものの、確かに徒労感は拭えない。
明日から、『闇の黙示録』に関する注釈書を確認して行く予定だ。
夕方、図書館の鍵を返しに事務室へ行くと、クレメンスがいた。
「特任大教授殿、ちょっと」クレメンスが手招きする。
「なんでしょうか?」
なんとなく嫌な予感を覚えつつ、枢機卿の近くへ寄った。
「特任大教授殿は公子殿下と親しくしているようだな」
「ロジェと? いえ、別にそこまで親しいわけじゃ」
「ふむ、以前殿下と二人で遠乗りに出かけたと聞いているが?」
急に頰が熱くなるのを感じた。
「な、なんで猊下がそのことを知ってるんですか!」
「別に隠すことでもなかろう」
クレメンスの口角がわずかに吊り上がった。このジジイ、わたしをからかいたいのか?
これ以上クレメンスの術中に嵌るまいと、わたしは突き放すように言った。
「そんなことより、用件はなんですか?」
「一応、貴女が屋敷に帰る前に耳に入れておこうと思ってな」
クレメンスの声が一段と低く重くなった。その瞬間、わたしの脳裏に警戒アラームが鳴り響き、身体中が硬直した。
クレメンスの唇がゆっくりと動くのが見えた。
「神聖騎士団との連絡が途絶えた」
「……えっ」
わたしの喉から掠れた声が漏れていた。
「今日の朝、前線の砦に向かっているという定時連絡を最後に、連絡がつかなくなった。一時的なものだとは思いたいが……」
「そ、それって……、どういうことですか?」
わたしの問いかけに、クレメンスは大きく息を吐いただけで、何も答えなかった。
「そ、そんな」わたしはクレメンスに詰め寄っていた。「ロジェは無事なの。早く救援を出さないと! こんなことしている場合じゃ……」
「うろたえるな!」クレメンスの一喝に鼓膜が破れそうなほど耳が痺れた。「賢者としてもう少し落ち着いたらどうだ。戦況がどうであれ、我々がやることに変わりはない」彼は席から立ち上がった。「やはりここで伝えておいて正解だった。賢者殿のこんな無様な姿を、大公陛下や公女殿下に見せるわけにはいかないからな。屋敷へは気分が落ち着いてから帰るがいい」
そしてクレメンスは足早に事務室から去っていった。
「そ、そんな……ロジェ……」
胸は締め付けられるように痛く、水底に沈んだかのように息が苦しかった。
空がすっかり暗くなってから、わたしは大公屋敷に辿り着くと、マリエルが迎えてくれた。
「ヒロミ、顔色が悪いよ、大丈夫!」
「ええっ……、なんとか。それよりも、奥はなんだか賑やかね」
奥のホールから、盛大な笑い声が聞こえてくる。
「ええ、晩餐会が開かれてますから」
「晩餐会!」耳を疑った。「なんで、よりにもよって今日に」
「おお、賢者殿。遅いお戻りでしたな」ワイングラスを片手にブロイ大公が姿を現した。「今日は久しぶりに立食形式にしてみました。皆待っておりますゆえ、賢者殿も来てください」
再びホールへ戻ろうとする大公に、わたしは思わず詰め寄っていた。
「陛下、大学で枢機卿から話は聞きました。なのに、どうしてこんなことを!」
すると大公は優しくわたしの手をポンポンと叩いた。
「わかっている。しかし大公である私が、息子のことで動揺する姿を見せてはならぬのだ」
「陛下……」
わたしはワイングラスを持ったブロイ大公の手がずっと小刻みに震えているのをみて、すっと怒りの波が退いていくのを感じた。
「ほんの数分だけでいい、皆に賢者殿の顔を見せてはもらえないか?」
わたしは静かに頷いた。




