6月8日〜6月11日
□ 六月八日 ブロイ大公領クレイの街
今日は、魔導書調査はお休みで、大公とテレーズに伴われて聖都から少し離れたところにあるクレイという街に向かっていた。そこに駐屯している連合軍へ陣中見舞いをするという。
どうしてわたしが? と思ったが、大公曰く、これも伝承の賢者の責務とのこと。個人的には賢者としての責任を負ったつもりはないのだけど、食事と寝場所の面倒を見てもらっていることに対する務めは果たすべきだろう。
わたしは騎士団の護衛の中、クレイへ向かう馬車に乗っていた。……テレーズと一緒に。
「いい天気ですね、テレーズさん」
隣に座るテレーズに向かって、形式通りの質問を投げかけた。
彼女は真っ直ぐ前を見たまま言った。「ええ」
「その、目的地まであとどれくらいでしょうか?」
「二時間ほどです」
「クレイの街ってどんな感じでしょうか? 聖都みたいに賑やかなところ?」
「そうですね」
「……」
会話が続かない。とてつもなく居心地悪かった。こういう時にお喋り好きのブロイ大公が居てくれればずっと和やかな雰囲気だっただろうが、大公は連合軍の関係者と別の馬車に乗ってしまっている。
あっという間に話のネタも尽き、とうとうわたしは切り札とも言うべき、昨日の差し入れに触れることにした。
「そ、そういえば、昨日のチョコレートありがとうございます」
テレーズは前を見据えたまま言った。「いえ、ほんの気持ちです」
——気持ち? わたしが嫌いって事?
「とっても美味しかったです」
と、結局一口しか食べていないことはおくびにも出さず、社交辞令のお手本のように答えると、テレーズは表情を変えずに言った。
「そうですか。ではまた作りましょう」
一瞬、耳を疑った。
「……えっ、作った? あれを、テレーズさんが?」
信じられなかった。雰囲気的にも身分的にも料理をするようには見えない。しかも、黒いタイトドレスを皺一つなく着こなす彼女が、可愛らしい猫だなんて!
「ええ、それが何か?」
初めてこちらへ向けられた彼女の針先よりも鋭い視線にわたしは何も言えなかった。
……彼女の意図がさっぱりわからない。
それから目的地に着くまで、重苦しい空気が立ち込める馬車の中で、わたしたちは一言も喋らなかった。
連合軍兵士たちへの陣中見舞いはつつがなく終了した。わたしは集まった屈強の男たちの前で簡単な演説をさせられたのだけど、彼らは皆わたしの話に涙を零し、演説が終わると「教会、万歳!」と盛大に叫び、闘志を湧き立たせていた。
と言うと、わたしが伝承の賢者としてさも立派な演説をしたかのように思われるかもしれないが、あらかじめ用意されていた原稿(これもテレーズが作成した)を読み上げただけにすぎない。だから何を喋ったのかほとんど記憶に残っていない。
演説を終え、控室としてあてがわれた教会堂の一室で休んでいると、ご満悦な表情のブロイ大公がやってきた。席から立とうとしたら、大公は手で制止した。
「どうかそのまま。賢者殿、ご苦労様でした」
「いえ、あれで良かったんでしょうか?」
「最高でした。私まで感動で泣きそうでしたよ。さすがは賢者殿。これで今度の戦いは勝利間違いなしだ」
「戦い、ですか……」
集まった兵士たちはこれから、魔王の支配下にある砦を攻めるのだという。わたしにはまだ実感が湧かなかった。これから戦争にいくというよりも、スポーツ競技大会へ向かうような雰囲気だったからだ。
「今日はクレイで一泊して、聖都へは明日戻ります。連合軍の司令官がぜひとも賢者殿のために一席設けたい、と言っておりますし」
「わかりました」
本当にこの国の人々は宴会好きだ。ますます戦争中だとは思えなくなってくる。
「では賢者殿、夕方までお休みください」
と言って、部屋から出ていこうとするブロイ大公をわたしは呼び止めた。
「大公陛下、あの、ロジェ……公子殿下は何処にいらっしゃるのですか。しばらく姿を見ていないのですが」
大学での会議以来、ロジェの姿をずっと見ていない。毎夜開かれる食事会にもいないし、今日の道中も騎士団の護衛だというのにロジェはいなかった。別に会いたいわけではないのだが、居なければ居ないで気になる。
「息子は今領土内を警備巡回しています。心配はいりません、数日中には帰ってきます。……で、賢者殿、息子とはどこまで進んだのですかな?」
「なっ!」
大公の目じりがだらりと下がった。「息子はずいぶん賢者殿を気にかけているようだ。私としても貴女が身内になっていただければ大変光栄なことです」
「そ、そんなことは……」
しかしわたしの言葉を聞こうともせず、大公は鼻歌を歌いながら部屋を出ていってしまった。
ロジェがわたしのことを気にしている? いやいやただの道楽でしょ。誰それ構わず手を出す女好きだっていうし。
「誰があんな奴の事……」
窓から差し込む西日がとても眩しかった。
□ 六月九日 大公屋敷
昼過ぎに聖都に戻ってきた。今日も調査はお休みだ。
珍しく外出も来客もないので、クレイにも一緒に付いてきてくれたマリエルが休暇を取りたいと言ってきた。きっとアランに会いに行くのだろう、彼女がクレイのお土産を買っていたのを知っている。
「ヒロミ、何なら一緒に行かない?」
と、マリエルは言ってくれたがわたしは辞退した。彼女たちの邪魔をするほど無粋ではないし、この前の図書館のようにラブラブモードを見せつけられても惨めな思いになるだけだ。
気づけは、誕生日から一か月が経とうとしている。……大台まであと十一か月。
——ロジェは、わたしのことを本当に気にしているのだろうか?
「なっ、何!」
わたしはすぐさま、世迷い事を頭から振り払った。
——何を考えているの、わたし。どうしてロジェのことを?
きっとこの一か月で色々あり過ぎて疲れているに違いない。気分を変えないと。
そこで、時間があるときにやろうと思っていたことに着手する。それは、これまでスマホのメモアプリに書き溜めていた文書を紙に書き写すことだ。
普通逆じゃない? どうして時代に逆行するようなことを? という声が聞こえてきそうだが、今は時代が逆行したような異世界にいるのだからしかたがない。ここにはクラウドサービスはもちろんインターネットもなく、外付けハードディスクすらも売っていない。つまりデータをバックアップする術がないのだ。モバイルバッテリーを全て失えば、データは二度と読めなくなる。これなら紙に記録していった方が安全だと思ったのだ。
この考えに至ったのは、もちろん魔法に失敗してバッテリーを一つ駄目にした時だ。写真だけはどうしようもないので、諦めなければならないが……。
紙より便利でかつ永続性の高いメディアを人類はまだ開発できていないのだ、としみじみ思う。
□ 六月十日 大学の大図書館
調査再開。人前で慣れない演説をするよりも、資料を読んでいる方がずっと気は楽だ。
休み前に比べてアランの顔色がかなり良くなっていた。マリエルのおかげで元気を取り戻してくれたようだ。支えてくれる人がいるってやっぱり重要だな、と思う。
——そんな人わたしには……。
いけないいけない。弱気になっちゃだめよ、博美。
今日も興味深い本を見つけた。例の原書を読み進めている途中で、わからない箇所が出てきたので、関連文献を探していたところ、異世界に行ったと主張する人々のインタビューを集めた書物を見つけたのだ。その中で『エド』という単語を見つけた。もしかして『江戸』のことだろうか? 日本に帰る重大な手がかりが得られるかもしれない。更に調べようと別の文献を漁っていたら、今度はこの世界の少数民族の歴史を紹介した本が見つかって、それもなかなか面白くてページをめくる手が止まらなくなってしまい、気づけば一日が終わってしまった。
こんな感じで一向に調査は進んでいかないのだけど、正直、急いで魔導書を探す必要性があるのか? とも思う。と言うのも、今日の午前中、魔導書探索計画の会議があったのだけど、参加する教授、大教授たちから今ひとつ緊張感が伝わってこないのだ。今回は彼らの中で一番厳格そうなクレメンスが出席していなかったせいかもしれないが、各人、調査の進捗をだらだらと話すだけで、それに対して誰からも質問や助言がなかった。彼らのほとんどの報告が、進展なし、にも関わらずだ。
本気で魔導書を探すつもりがあるのだろうか? 先日のクレイ街の件といい、本当に魔王という驚異が差し迫っているのか、甚だ疑問に思えてくる。
夕方になって図書館を出たところで、クレメンスと会った。わたしは無視して進もうとしたところ、呼び止められた。
「賢者殿、調査は順調かね」
「ええ、まずまずです」愛想笑いを浮かべて言った。他の本が面白過ぎて、一向に調査は進んでいない、とはさすがに言えない。「猊下こそ順調ですか? 今日の会議に参加されていなかったようですが」
「学長としての仕事以外に、枢機卿としての職務もあるのでね」
「へえ、魔導書を探すよりも大切なことがあると?」
皮肉を込めて言ってやったら、クレメンスは顔をしかめ「ふんっ」と鼻息を荒くした。
「だから、これだけの人員を集めているのだ」
会議に集まっている面々を思い浮かべた。「集めている、ねえ」
次の瞬間、クレメンスは目を細め、わたしを睨んできた。
「賢者殿といえども、教授たちを侮辱するのはやめていただきたい」
「そ、そんなことしてないですよー」わたしは大根役者のようにわざとらしく首を振った。
クレメンスは小さく舌打ちすると、「失礼する」と言って、踵を返し、早足で去って行った。
ほんの少しだけ、胸の奥がスッとした。
□ 六月一一日 大公屋敷
本日の調査を終えて(とある山岳地方の特産物の変遷を解説した本が思いのほか面白くて、結局一日読みふけってしまった)、大公屋敷に戻ってくると、メイドやボーイたちが忙しなく駆け回っていた。
「騒がしいけど、何かあったの?」
と、出迎えてくれたマリエルに訊いた。
「公子殿下が任務から戻ってきたみたいです」
「ロジェが?」
「それで、公子殿下の慰労として晩餐会を開くことに」
……この世界に体重計が存在しないことを幸せに思う。
噂をすれば当の本人が満面の笑みを浮かべ、こちらに近づいてきた。
「ヒロミ、会いたかったぞ」
ハグしようとするロジェの両腕をさっとかわした。
「せっかくの再会だっていうのに。ヒロミも俺にずっと会いたがっていたんだろ」
「そんなわけないでしょ」
ロジェは肩をすくめ大げさに首を振った。
「照れるなよ、子猫ちゃん」
寒気と吐き気を催してきた。
「いい加減にやめて、気持ち悪い。わたしを何歳だと思ってるの?」
「何を言ってる。女性の愛らしさに年齢なんて関係あると思うのか?」
「なっ……」
気づけば微笑を浮かべるロジェの凛々しい顔がすぐ間近に迫っていて、わたしは息を詰まらせた。胸がぎゅっと締め付けられたように苦しい。
「なあヒロミ、明日俺、久しぶりの休暇なんだ。よかったら一緒に馬で遠乗りに行かないか? この前約束しただろ」
約束? ああ、聖都に来た日のことだ。あの時は何かの迷いで考えておく、と言ってしまったが……。
「そ、それは……。明日も、魔導書の調査があるし」
「いいだろ、一日ぐらい。本は逃げやしない」
「まあ、そうだけど……」
今日一日魔導書と関係ない本を読んでいた手前、否定できない。
「よし、じゃあ決まりだ」わたしが怯んだ隙に、ロジェは威勢良く言った。「明日の朝、厩舎の前に来てくれ!」
「あっ、ちょっと。今のはそういう意味じゃ……」
わたしは慌てて呼び止めたが、ロジェは駆けるような足取りで去ってしまった。
晩餐会では、ロジェは騎士団たちが集まる賑やかな席に座り、一方わたしはいつも通り、テレーズとクレメンスに囲まれるという生きた心地のしない席だったため、彼に釈明する機会は得られなかった。晩餐会後も、何時ぞやの双子夫人に捕まり、女性陣の前で日本の話をさせられて、夜遅く解放されて部屋に戻った頃にはくたくただった。
部屋では、マリエルはくつろいだ様子で椅子に座ってクッキーを頬張っていた。
「お疲れ、ヒロミ」
「待っててくれたんだ。遅くなるから先に休んでくれて良かったのに」
「こう見えてもメイドだから。……それに、夕方は忙しくて訊けなかったこともあるし」
マリエルは席から立ち上がって、エプロンについたクッキーの屑を豪快に払った。メイドとは思えない態度である。
聖都に来た直後はぴったり合っていたはずのドレスを脱ぐのを手伝って貰いながら、わたしはマリエルに訊ねた。
「訊きたいことって何?」
「もちろん、公子殿下のこと」
「……うっ」これは、半分は驚き、半分は服がお腹に引っかかった苦しみの叫びだ。
「ヒロミ、さっきの公子殿下の誘いどうするの?」
「どうするって……」腹に力を入れ、その隙にマリエルが紐を解いてくれた。「行くわけがないでしょ」
「ええっ。申し出を蹴るの。信じられない!」
「こっちもいろいろ忙しいし……」
「良いじゃない一日くらい。殿下との関係を深める方がずっと重要よ!」
「関係って……。別にわたしとロジェの間には何もないし。向こうが勝手に言い寄ってくるだけ。どうせ他の女と同じく遊びでしょ。……痛たた。もっとゆっくりお願い」
「別に良いじゃない相手が遊びでも」
「それは駄目」
遊びで付き合うなんて不誠実だと思う。真剣に相手のことを思えなければ交際なんてすべきじゃない。
「硬いなあ。ヒロミは深く考えすぎだよ。相手のことをよく知るために交際するんだから。遊びでもなんでも、とりあえず付き合ってみれば」
アラン一筋のマリエルに言われても説得力に欠けるが、ふと、同窓会の時に千恵が同じような話をしていたことを思い出した。
「……そんなものかな?」
「そんなもんだよ。はい、完了」
ようやく窮屈なドレスから解放され、体が楽になった。
「じゃ、明日は調査休みだって、アランにはあたしから言っておくから。楽しんできてください、お嬢様」
「ちょっと待って、マリエル」
しかし、マリエルはさっさと部屋から出ていってしまった。




