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6月3日〜6月7日

□ 六月三日


 今日も大学の図書館で、床に散乱した本の分類の続きを行った。


 昨日と変わらず、アランとわたしで、魔導書調査(と、私が興味を持ったもの)を分類し、メイドたちが書棚に収めていく。ただし昨日は三人だったメイドが今日は五人に増えていた。おかげで本の整理は大きく進んだ。


 古代神聖文字で書かれた聖典を更に二冊見つけた。やはりこれも日本語だ。もしかしてこれが、異世界の人間を賢者と呼ぶ理由なのかもしれない。確証は全くないけど。


 その他、興味深そうな本として、大陸中の伝承を収集したものと、大昔に書かれた遺跡観光ガイドを見つけた。時間があるときに読んでみたい。


 夕方で作業を終え、大公屋敷に戻ると、休憩する間もなく、隣国大使との会食が始まった。マリエルにドレスを着る手伝いをしてもらうが、やはりこれは慣れない。特にお腹が締め付けられて苦しい(そのくせ、胸周りはとても余裕があって、腹立たしいことこの上ない)。


 会食では大公とテレーズが最近の国の情勢について、大使と熱心に話し合っている間、わたしは、黙って作り笑いを浮かべ、時折相槌を打っていた。


 顔面の筋力が大変鍛えられる。



□ 六月四日


 引き続き、昼間は大学の図書館で、本の整理……じゃなかった、魔導書調査だった。


 手伝いに来てくれたメイドの数が十人に膨れ上がっていた。床に散乱した本の整理に留まらず、頼んでもいないのに壁や窓の雑巾がけまで始まり、さながら図書館大掃除の様相を呈してきた。この大学はよっぽど暇なのだろうか? と思わずにはいられない。


 そして夜も変わらず晩餐会。今日の相手は聖都でも有数な商会の会長だ。わたしは静かに黙っていることも変わらない。はっきり言って退屈だが、出てくる料理だけはコンビニ弁当なんかよりもずっとおいしい。しかし、体重計に乗るのが本気で怖くなってきた。



□ 六月五日 大学の大図書館


 今日は大学の助手たちと話をする機会が得られた。バイトに来たメイドたち(人数はさらに増えて十五人だ)に混じって、手伝いに来てくれたのだ。彼らには本の分類を担当してもらうことにした。


 作業をしながら、彼らに聖都や大学の事など色々聞くことができた。特に、助手たちとほとんど年齢の変わらないアランは、彼らに興味津々だった。だいぶ打ち解けたところで、アランは満を持して彼らに訊ねた。


「あの、助手ってどうすればなれるんでしょうか? 僕、何度論文を提出しても全然認めてもらえなくて……」


 すると、さわやか笑顔が似合いそうな短髪の青年ジャンが、少し驚いた表情で答えた。

「助手になる方法? さあ、気づいたらなってたしな。何か特別なことをしたって事はないな」

「これだから伯爵家の次男坊様は」研究より体力仕事が似合いそうな青年ロベールが口を挟んできた。「お前の親父がせっせと教会にお布施しているからだろ」

「親父は関係ないだろ。……そういうお前はどうやって助手になれたんだ?」

「そりゃもちろん実力に決まってる」

「嘘つけ、お前こそ教授の叔父のコネだろ」

「言いがかりだ!」


 取っ組み合いの喧嘩が始まりそうだったので、「もうやめて」と制止した。二人の助手はすぐさま大人しくなって「も、申し訳ありません、特任大教授殿」と平謝りした。


 アランを見ると、彼の顔はすっかり青ざめてしまっていた。


 ここで話を終わらせてはいけない。わたしは二人の助手に向かって努めて明るい声で言った。

「二人とも、なんだかんだ言って、もちろんそれなりの実力があるから採用されたんでしょ」

 ジャンは言った。「もちろんです。私の審査論文は大変高い評価を受けました。是非、特任大教授殿にも目を通して頂きたく」

「俺は大学始まって以来の最高の出来だと、副学長はじめ絶賛いただきました」と、ロベール。

「そっ、そう……」さすがに盛り過ぎだろ、と心の中で突っ込んだ。「でも、そんな優秀な助手たちがわたしの手伝いなんてしていて良いの?」

「いえいえ、特任大教授殿の仕事を手伝えるなんて、この上ない名誉です」


 二人の助手が揃って謙遜したが、賢者にして特任大教授であるわたしに自分を売り込もうとする意図が見え見えだった。


「それに……」と、ロベールが言った。「今月遊び過ぎて、そうしたら割の良いバイトがあるってメイドたちが噂しているのを聞いて」

「割の良い?」


 聞くと、どうやら、わたしが払うバイト代が大学からの給金よりも良いらしい。どうりでメイドたちが日々増えてくるわけだ……。


「とにかく、このバイトのおかげで、明後日のクラブには参加できそうだ」

 と言って、ジャンとロベールは笑った。 


 わたしは心の中でため息をついた。助手なんていっても、所詮はこの程度だ。こんな連中に決してアランは負けていない。そう思いながら、もう一度アランを見たが、彼は意気消沈したままだった。



□ 六月六日 大学の大図書館


 モバイルバッテリーを一つ駄目にした。


 事の次第はこうだ。昨日手伝いに来てくれた助手の一人、ジャンに魔法の心得があると知ったので、雷の魔法でスマホのバッテリーを充電できないか? と相談した。彼は「特任大教授殿のためなら」と二つ返事で引き受けてくれた。


 しかし、助手がバッテリーに手をかざし、その指先から稲光がほどばしった瞬間、バッテリーから真っ黒な煙が立ち昇り、次いで火を噴いた。危うくテーブルに置いてあった本が巻き添えを食うところだった。出力調整の失敗だ。

 ジャンは泣いて謝ったが、冷静に考えると、そもそも精密機器であるバッテリーを雷で充電しようなんて、無謀過ぎたのだ。魔法ならなんでもできるという、勝手な幻想を抱いたわたしが悪い。


 わたしはジャンに向かって、「こちらこそ変な事させてごめん」と謝った。するとジャンは目を丸くして大いに驚いた。どうやら、教授や大教授は助手に向かって謝罪など決してしないという。習慣も文化も違う異世界だが、似ているところも多々あるようだ。


 ともあれ、精密機器も魔法も正しい用法で扱うべき、が今日の教訓。



□ 六月七日 大学の大図書館


 最大で二十人以上に膨れ上がったメイドたちがいなくなった。


 大学から苦情が来たのだ。「メイドが皆図書館のバイトに行ってしまって、他の仕事が回らない」と。


 充分な給与を払っていない大学が悪いのではないだろうか? なんならクレメンスに直接、「給与体系見直した方が良いんじゃないですか?」と言ってやろうかと思ったが、わたしの研究経費の請求先もクレメンスだということで、今回は思い止まった。


 しかしこれまでの彼女たちの働きによって、晩秋の街路樹の落ち葉のように床に散乱していた本たちは片付いた。


 そして残るは、テーブルの上でミャンマーのバガン遺跡のようにあちこちで塔を成している未分類の本たちだ……。


「気が滅入りそうです」


 かれこれ五日ほど本の整理を手伝ってくれているアランが、心底うんざりしたような表情を浮かべていた。


「でもだいぶ片付いたわ、もうひと頑張りよ」

 と、アランを励ますように言ってはみたものの、百ページを超える英語の長論文の一ページ目を開いた時のような吐き気を感じていた。もっとも、昨日の食事会で出たワインがおいしくて少々飲み過ぎたせいもあるかもしれない。


 書籍の整理を手伝ってくれていた助手たちもいなくなってしまい、今日から再びアランと二人きりだ。現実的な話、これではいつまでたっても内容の調査に入れない。そこで、引き続きアランが書籍の分類、わたしは原書の調査を始めることにした。


 現在の聖典は、日本の古字という古代神聖文字で書かれた原書を大昔に翻訳したものだ。わたしの仕事はその原書から、ヴィクトルの魔導書の所在地を調べることだ。魔導書は聖典の『闇の黙示録』に記されている。

 では、そこだけ読めばいいのか? というと、そうはいかない。それ以外にも様々な文献にあたる必要がある。何故なら、わたしの教会に対する知識はまだまだ少ない。それに、聖典の記述だけを鵜呑みにするわけにもいかない。様々な情報から総合的に事実を導く必要がある。そんなことをクレメンスの前で言ったら首を絞められそうだが、学問的な調査というのは、批評的な精神が不可欠だ。


 それに、これが最も重要なのだけど、純粋な好奇心もある。見たことも聞いたこともない本がこれだけ揃っているのだ。否が応にもテンションは上がってくる!


 昨日までとは打って変わって静寂に包まれた図書館で、本のページをめくる音だけが聞こえる。息苦しいドレスを着る必要もなければ、愛想笑いを浮かべる必要もない。ただただ調査に没頭できる。この感覚、久しぶりだ。


 正午近くになって、図書館の扉が大きな音を立てて開いた。


「ヒロミ、アラン、居る?」

 そんな元気な声と共に、マリエルが入ってきた。

「どうしてここに?」アランが顔を上げ、目を丸くした。「大学は関係者以外立ち入り禁止だよ」

「良いのよ、あたしは関係者の関係者だから」

 ガキ大将みたいな理屈だが、彼女がここまで来られたということは、大学側も問題ないと判断したのだろう。

「マリエル、今日はどうしたの?」

「お遣いよ、ヒロミへの。はい、これ。公女殿下からの差し入れ」

「テレーズさんから?」


 マリエルから差し出された箱を開けると、チョコレートが入っていた。

「糖分が必要だろうって」

「これはこれは……」

 箱からチョコレートを一つ摘まみ上げる。とても可愛らしい猫の形をしていた。とりあえずスマホで撮って、少しもったいない気もしたがぱくりと口に放り込んだ。たちまち口内でチョコレートが溶け出し、ほのかな苦みが広がり、続いて……凄まじい甘さが襲い掛かってきた。


「なにこれ、甘っ!」

 甘味物は嫌いじゃないが、この甘さは度が過ぎている。


「……マリエル、アラン、食べる?」

「良いんですか!」


 マリエルがとても嬉しそうな顔で、箱に手を突っ込んでチョコレートを取り出した。一方アランは何かを察したのか、ぶるぶると素早く首を振って辞退した。


「いただきます……、うわ、何これ」

 チョコレートを口に含んだ瞬間、マリエルの表情が崩れていった。


 これも、何かの嫌がらせ?


 いつもテレーズがわたしへ向ける冷たい視線、彼女もクレメンス同様、わたしのことを本当は嫌っているのだろうか?

 きりりっと胃が傷んだ。


 マリエルが淹れてくれた紅茶で口直しして、原書の調査を再開した。マリエルがアランを手伝って本を分類に合わせて本棚へしまっていく。


 アランのテーブルに置かれた本を持ち上げながら、マリエルは言った。

「でもよかった。アランは思ったよりは元気そうで」

「どういうこと?」アランが手を止めてマリエルの顔を見上げた。

「ヒロミから、アランが結構辛そうだって聞いてたから。でも顔色も良さそうだし、安心した」


 アランがちらりとわたしの方を見た。わたしは本に視線を向けたまま、気づかない振りをした。


「いつもと変わらないさ」そっけない口調でアランは言った。

「……ごめんね、あたしのせいで」

 突然、マリエルの声が小さくなった。

「どうした、いきなり?」

「だって、あたしの親が定職に着けない男とは結婚させないなんて言うから。それでアランがこんなに苦しんでて……」

「そ、それは違う、マリエル」アランがそっと彼女の肩に手を掛けた。「僕が望んでやっていることだから。僕の方こそごめん。ちゃんと結果が出せなくて」

「ううん。あたしアランを信じてるから。絶対大丈夫。だから、無理だけはしないで」

「わかってるよ……」


 二人はぎゅっと抱き着いて、それから、唇を重ね合わせた。


 わたしは堪らず、大きな咳払いをした。


 ……だから、そういうことはわたしのいない時にやってよね!

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