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5月27日〜6月1日

□ 五月二七日〜三一日 聖都


 気づけば五月が終わろうとしている。


 ところで、月が変わると言っても、それは日本の暦に準じた話であって、この異世界の暦で言えば、今日五月三一日は中春月三三日にあたる。メモの日付もこの世界に合わせてもいいのだけど、後から読み直したときに混乱しないように、これまで通り日本の暦で記している。幸いなことに一年の長さも一日の長さも日本とほぼ同じなので、わたしが異世界にいる間に日本が改暦しない限り、相互の変換は難しくない。


 しかしこの五月は本当に色々あった、大学の研究室で二十代最後の誕生日を迎えたかと思ったら、異世界に飛ばされ、そこで農作業を手伝い田舎ライフを堪能していると、今度は大都会で伝承の賢者そして特任大教授に祭り上げられてしまった。


 本当に、人生は何があるかわからない。


 聖都での生活は、広大な屋敷でメイドのお世話になったり、豪華なドレスを着せられたり、と、あまりの激変っぷりにまだ戸惑うことも多い。でも、すぐ近くにマリエルがいるおかげで何とかやっていけている。彼女には感謝してもしきれない。


 さて、賢者としての最初の仕事は、聖都の有力者たちに対する挨拶回りという、平凡というか、泥臭いものだった。それもようやく終わり、わたしはこの国の領主であるブロイ大公、大公長女にして秘書のテレーズ、それに教会の枢機卿メンバーのクレメンスと共に、馬車に乗って大公屋敷に戻るところだった。


 一番偉い領主なのだから、相手の所へ出向くのではなく、自分のところへ呼び出せばいい、と思うのだが、話はそう簡単ではないらしい。世俗の権力者である大公と、信仰の世界での主である教皇が居る聖都の力関係は色々と複雑のようだ。


 ともあれ、有力貴族や高僧たちに対する、挨拶回り自体は穏便に進んだ。ほぼブロイ大公とテレーズ女史が話をして、わたしは簡単な自己紹介の後は、ひたすら黙ってにこにこ微笑んでいればよかった。そして、訪問を受けた人たちは、わたしの前に跪き、会えて光栄だと、賢者を讃えた。

 最初はなんだか申し訳ない気分もあったが、わたしよりもずっと年上の男たちが身を低くして「賢者様、賢者様」と褒めちぎってくるのは、正直言って悪い気分はしなかった。これまでさんざん頭の固い教授陣どもに冷たくあしらわれてきたのだ。偶にはこんなことがあってもいいだろう。


 しかし問題はこの後だ。一通りの挨拶を終えると、続いて饗宴が催された。どうやらこの国の人々は宴会が大好きらしい。来訪者を、贅を尽くした料理でもてなし、その質で自身のステータスを誇示する。そして、接待される側は残さないことがマナーである。


 どの屋敷で出された料理も大変おいしかったが、挨拶回りは一日に五、六件はある。最後の方は拷問かと思いながら、口に無理やり放り込んでいった。体重計に乗るのが怖い。


「やれやれ、ようやく挨拶も終わったな」

 と、ブロイ大公は言って、太鼓腹を擦りながら盛大なゲップをした。


「はい、皆、賢者様を認知しました。魔王との戦いに勢いがつくでしょう」と、テレーズ。


「皆、待望していたことですから、当然でしょう」クレメンスが言い添えた。「あとは民衆への告知ですが、来週より同盟諸国を含めた各教区の大司教が担当することになっています。賢者殿、次は民衆の前に出てもらうことになります」


「本当に? まるで、地方巡業する芸人みたいね。どんどん大事になっていく」


「当然だ。教会の礎となった、救世主ヴィクトルがご降臨された以来の奇跡なのだから」ブロイ大公は鼻息荒く言った。「民衆には大々的に告知せねば。さあ、ますます忙しくなるぞ!」


「しかしお父様、これはまだ第一歩に過ぎませんよ」


「わかっておる、あの計画を進めねばな」


「計画?」


 この前の晩餐会でも出てきた単語だ。どうやら賢者であるわたしはその計画に参加することになるらしい。


「賢者殿の来訪は我々にとって大いなる福音だが、それだけでは片手落ちだ。勝利を完全なものにするために、重大な計画が進行中なのだが、特任大教授の力があれば、その完遂も時間の問題だろう」


 おいおい、どこまでわたしは期待されているんだ?


「そこで賢者殿」クレメンスが低い声で言った。「明日、大学に来ていただきたい。そこで計画の説明をさせていただく」


 わたしは頷いた。面倒なことを依頼されませんように、と祈りながら。


□ 六月一日 朝 大公屋敷から大学へ


「マリエル、そういえば、最近アランと会えてる?」

 大公屋敷に与えられた自室で、わたしはマリエルに彼女の婚約者のことを訊ねた。今こうしてメイドとして外出の準備を手伝ってくれているが、彼女の本来の目的はアランの付き添いだ。ずっとわたしのところに居ていいのだろうか?


 マリエルは肩をすくめた。「それが、ずっと大学に籠ってて、全然会えないのよね。アランともいろいろ行きたいところはあるんだけど」


 論文審査が芳しくないのだろうか? 彼のことも心配だ。


「今日はわたしも大学へ行くから、ついでに様子を見てこようか?」

「大学?」

「ええ、クレメンス枢機卿に呼ばれているの。大事な計画があるとかなんとかで」


 わたしはいつもより身軽な格好で——昨日までは有力者たちへの挨拶回りで肖像画の女王様みたいなドレスを着させられていた——大公屋敷を出て、馬車で大学へ向かった。


 到着すると、玄関口には二十人近い白い法衣を着た男たちがずらりと並んで、わたしを出迎えてくれた。彼らの中から背の小さな老人が進み出て、恭しくわたしの手を握った。


「副学長のドミニクです、賢者様。本日はようこそおいで下さいました。この前の晩餐会でもご挨拶させていただきましたが、改めまして、よろしくお願いいたします」


 全く覚えていなかった。何せもう数えきれないほどの晩餐会に参加していたからだ。


「え、ええ」わたしはそのことを悟られないよう、愛想笑いを浮かべた。「よろしくお願いいたします」


「では、ご案内いたします」


 ドミニクに促され、大学の廊下を進んだ。わたしの後ろからぞろぞろと白い法衣の男たちが付いてくる。まるで、社会派ドラマなんかで出てくる院長総回診のような絵面だ。


 隣のドミニクが大学の説明を始めた。


「賢者様……それとも特任大教授とお呼びしましょうか? もちろんご存知かと思いますが、本大学は、教会の最高学府として、大教授以下、教授、助手が日々研究を続けております」


 ほとんどご存知ではないので、副学長の説明はありがたかった。


「具体的には、どのような研究を?」

「もちろん、主は聖典を読み解き神の御意向をより深く理解することです。ここでの研究成果が教区での司教たちの説教に反映されるのです。それから、魔法の研究も盛んです」

「魔法? あの、ファンタジー映画とかで出てくる、カボチャを馬車に変えたり、杖の先から火の玉を出したりするやつのこと?」

「ファンタジー映画というのは存じ上げませんが、火の生成は可能です。ほら、このように」


 ドミニクはわたしの目の前に手をかざすと、何もないはずの掌から、ポッと線香花火のような小さな火の玉が現れた。


「おおっ!」


 わたしは思わず感嘆の声をあげていた。こちらの世界に来ていろいろ驚くことはあったが、今のはベストスリーに入りそうだ——もちろんナンバーワンは異世界に来てしまったこと自体だ——。


「凄い。どうやってやるんです?」


 ドミニクは得意げに「ふふっ」と笑った。「長年の訓練と研鑽がなせる業ですよ」


「素晴らしいです。ちなみに火の玉以外に、電気……雷なんかも発生させられますか?」


「無論です」ドミニクは自信たっぷりに頷いた。


 これは良いことを聞いた。雷の魔法とやらが使えれば、スマホの充電が高速化できるかもしれない、と思ったからだ。これまで太陽電池でバッテリーを充電してきたが、最近曇りの日が多くて、不安を感じていた。ブロイ大公に頼めば、魔法使いを派遣してもらえるかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、わたしは小さな応接室に通された。


「学長が到着され次第、会議を始めます。それまでここでお待ちください」

「学長?」

「クレメンス猊下のことです。あの方はもともと学者系で、枢機卿とここの学長を兼任されておられるのです」


 だから、わたしを大学に呼び寄せたらしい。それにしても、呼び出した側が遅刻してどうする。


 しかしせっかくの空き時間だ、今のうちにアランと会っておこうと思った。「ではごゆっくり」と言って応接室を出ていこうとしたドミニクを呼び止めた。


「今、この大学にアランって子がいるはずなんですが、ご存知ですか?」


「アラン?」ドミニクは首を捻った。「その方の役職は教授ですかそれとも助手?」

「いや、どちらでも……」

 ドミニクの眉間に皺が寄った。「なぜそのような者が大学に?」

「彼、助手希望で、わたしの知り合いなんです」

「なるほど。そういえば最近、論文審査を希望してきた者がいましたな。わかりました、探してみましょう」

「よろしくお願いします」

「賢者様の頼みとあらば、断るわけにはいきますまい」

 と言って、ドミニクは出ていった。


□ 六月一日 大学の応接室


 六日ぶりに再開したアランの顔は、もともと青白かったが更に色を失い、目の下には大きなクマができ、無精ひげまで生やしていた。


「これは、賢者様」


 アランは恭しく跪いたつもりだろうが、わたしには力尽きうずくまるようにしか見えなかった。


「だから博美で良いって……。それよりも大丈夫、今にも死にそうじゃない」


 わたしはアランのもとに近づき、彼の肩を支えてソファーに座らせた。それから部屋のベルを鳴らし、大学のメイドを呼び寄せ、紅茶とサンドイッチを用意させた。


「ずっと大学に籠っているようだけど、ちゃんと食べてる? 寝てる?」


 論文審査の方はどうなったの? なんて訊くまでもなかった。散々な結果だったに違いない。それで寝る間も惜しんで必死に修正しようとしていたのだろう。


「と、とにかく今は食べて」


 届いた紅茶とサンドイッチをアランに勧める。


「面目ないです……」

 とアランは呟き、サンドイッチを一口食べた。最初は遠慮するようゆっくり食べていたが、だんだんとペースが速くなり、結局一皿平らげた。そしてぐいっと紅茶を一気に飲み干した。


「もう一皿、頼む?」


 アランは黙って頷いた。わたしは再びベルを鳴らし、メイドにお替りを頼んだ。


 静かに目を伏せるアランに向かって言葉をかける。「根詰めるのは良いけど、たまには休まないと。マリエルも心配してるよ」


「ああっ、僕は本当に駄目な人間です。……四回目だったんです、論文審査に挑んだのは。今度こそ行けると思ったんです。前回の指摘事項はちゃんと直したし、フランシス司教様に何度も添削してもらいました。それなのに今回も駄目だった。もうどうしていいのか、僕にはわからない。やっぱり田舎の平民出じゃ、助手なんて無理なんでしょうか」

 と言って嗚咽を漏らすアランにかける言葉が、わたしには思い浮かばなかった。

 ここでマリエルだったら「何よ、論文の一つや二つ。落ちたところで、死ぬわけでもあるまいし」なんて持ち前の底抜けに明るい声で励ますかもしれない。しかし、日本では何度も論文を突っ返されてきたわたしには、アランの心境が痛いほど伝わってくる。研究者にとって論文は命そのものだ。今後の人生を決定しうる審査論文となれば尚更だ。


 二皿目のサンドイッチが届いて、わたしは黙ってアランに差し出した。彼は時々鼻をすする音を立てながら、むさぼるように食べた。


 人間、元気を失い追い込まれるとますますネガティブなことを考え、ますます周りが見えなくなってしまう。きっと今のアランには気分転換が必要だ、とわたしは思った。


 二皿目も空になった。アランの顔色もほんのわずかながら赤みが戻ってきたような気がする。


「アラン、少しは落ち着いた?」

「あっ、はい……」アランは紅茶を啜った。「ありがとうございます。賢者様」

「だから博美だって。誰も彼も賢者、賢者って……。そんなに凄そうに見えるのかしら、わたし? 今日だってよくわからない会議に呼び出されて……」

 と、喋っている途中で一つ妙案が浮かんだ。


 アランの顔へ目を向けると、戻りかけていた彼の顔色が再び青ざめた。

「な、なんですか賢者……、いえ、ヒロミさん?」

「アラン、貴方、これからわたしと一緒に会議に出て」

「か、会議ですか? 何の?」

「知らない。どうやら魔王に関係することだって。それに一緒に出て、わたしのわからないところを教えてほしいの。ほら、わたしまだ聖都や教会について知らないことも多いから」

「で、でも、論文の修正をしたいですし」


 わたしはアランを威厳たっぷりにねめつけてやった。「アラン、賢者様の言うことが聞けないの?」


「えっ、えっ? ヒロミさん。今さっき賢者って呼ぶなって言ったじゃないですか!」

「それとこれとは別。で、一緒に来てくれるよね?」

「わ、わかりました」アランは全面降伏した様子で頷いた。

「よろしい」満足してわたしは頷いた。


 もちろん、見も知らぬ人しかいない会議に、アランがいてくれた方が心強いのは確かだが、彼を論文から少し距離を取り気分転換させたい、とも思ったのだ。それに『伝承の賢者様』の補佐役となれば、アランにも箔がついて、今後彼の論文も通りやすくなったりしないだろうか? なんて腹黒いことも考えていた。


 さすがに無精ひげを生やしたまま出席させるのは良くないだろう思い、わたしは三度ベルを鳴らしメイドを呼び出すと、紅茶のお替りと髭剃りセットを持ってくるように依頼した。


 応接室にやってきたメイドは少々驚いた様子を見せていたが、「わかりました」と言って部屋を後にした。扉を閉める直前、彼女が、

「こんな短期間に何度も何度も呼び出さないでよ、人使いが荒い……」

 と文句を呟くのが聞こえてきた。


 ……わたしも今の生活に充分慣れてきたのかもしれない。

お読みいただきありがとうございます。

引き続き宜しくお願い致します。

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