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5月24〜26日

予定より話数が増えてしまいましたが、このあたりから中盤です。

□ 五月二四日〜二六日


 こうして、一番最初に述べた通り、わたしは今、聖都に向かっている。


 教会でのフランシス司教との会話の後、一応、断ろうとは試みた。伝承だとか賢者とかが胡散臭く思えたからだ。まるで、

『貴女は見事一千万人の中から豪華賞品を手に入れるチャンスが得られました! つきましては下記アドレスに連絡を!!』

なんて書かれた詐欺メールのようじゃない。


 しかし、結局承諾した。理由は三つ。

 一つは、一度聖都を見てみたいという好奇心が勝ったこと。

 もう一つは、聖都に行けば元の世界に戻る手がかりが得られるかもしれない、と考えたのだ。聖都には、古今東西あらゆる書物を集めた大図書館があり、そこになら異世界に関する情報が存在する可能性がある。

 そして最後の一つは、フランシス司教に「後生だから、聖都に行っていただけまいか。枢機卿たちに顔を見せるだけでもいいから。決して悪いようにはしない」と、何度も懇願されては、わたしも血の通った人間だ、同意せざるを得なかった。


 ここで疑問に思うのは、どうして教会は伝承の賢者とやらを求めているのか? ということだ。

 どうやら、魔王との戦いが芳しくないらしい。今回の遠征、騎士団の責任者であるロジェは力強い演説をし、事実、騎士団自体も目覚ましい活躍を遂げたそうだが、遠征計画全体を俯瞰すると、実際は予定していたほどの戦果をあげられなかったという。

 このままではじりじりと魔王に押し負けてしまう。そこで、現状を打開する知恵と、そして何より、人々の士気を高揚させるため、伝承の賢者というマスコットを欲しがっているようだ。なんだか、研究プロジェクトに箔をつけるため、有名人を教授に起用するような話じゃない。


 わたしは馬に揺られながら、思わずため息が出た。


「どうした?」すぐ前から声がした。「もしかして、恋のため息かな。ヒロミ」


 ぞぞぞっと、全身に悪寒が走って、身震いした。


 ロジェ=ブロイがこちらへ首を向けてきた。

「おっと、暴れないでくれよ。ちゃんと俺に体を預けるんだ」


 わたしは身をよじってロジェから距離を取った。


 聖都までは馬での移動となるが、もちろんわたしに乗馬経験はない。そこで、誰かに乗せてもらう必要があったのだけど、

「賢者殿をエスコートする役目は、俺をおいて他にいようか?」

 と、ロジェが宣言したのだ。こちらとしては全力で断りたかったが、代わりに乗せてくれる人などいない(そんなことしたら、当然公子殿下への反逆である)。わたしはしぶしぶ従うしかなかった。そうしたら、道中ずっとこんな調子だ。

 アランの『公子殿下は手癖が悪い』という言葉が思い出される。確かに顔も体も凛々しく、所謂イケメンで、大公の子息である以上、財力も申し分ないだろう。しかしこういう軽い男は苦手だ。


「おいおい、体をちゃんと密着させないと危ないだろ」


 そんなロジェの言葉に対して、わたしは、

「ゆっくり進んでくれれば、大丈夫なんで」

 と、冷たく言い返してやった。


「やれやれ、まだ怒っているのか? ほんの出来心さ、酒も入っていたし。さっさと水に流して、俺たちはもっとお互いのことを知るほうが建設的じゃないか」

「人のお尻を触る人なんて、信用できるわけないでしょ」

「ふーっ、賢者殿はずいぶん変わったお方だ。他の女たちは、俺が触れると、キャーキャー嬉しがるんだがな」

「貴方の取り巻きたちと一緒にしないで。それにわたしを賢者と呼ぶのは……」


「ヒロミー!」


 背後から声がした。

 振り向くと、馬が一頭近づいてくる。手綱を握るのはアラン、その背中で、マリエルが手を振っていた。

 わたしを聖都行きの一団に放り込んだ張本人であるフランシス司教は、あろうことか、長旅で疲れたと言って、ヘッセ村に残った。「おいおい、ふざけてるのか!」と言ってやりたいところだったが、超がつくほどの人生の大先輩に面と向かってそんな暴言を吐けるような教育をわたしは受けていない。グッと心にしまい込んだ。

 その司教の代理としてアラン、それにアランが行くなら、と言ってマリエルが半ば強引についてきたのだった。


 彼女たちを乗せた馬がすく横に並んだ。マリエルはアランの腰に手をまわして、その背中に立派な胸を密着させている。わたしたちと並走する騎士団の男たちは全員、アランに羨望と憎悪の眼差しを向けていた。


 そんな彼らの殺気だった視線に、顔をますます青くするアランとは対照的に、マリエルは無邪気に身を乗り出し、こちらへ顔を近づけてきた。


「どうどう、殿下との仲は順調?」

「あのねえ、どうしてそうなるのよ」

「玉の輿よ、玉の輿。将来の大公夫人、そうしたら一生遊んで暮らせるじゃない」


 マリエルはどうしてわたしが聖都に向かっているのかわかっていないようだ。フランシス司教に頼まれて、教会の偉い人たちに会いに行くのであって、ロジェに『お持ち帰り』されるわけではない。


 再びロジェが声をかけてきた。

「ヒロミ、風が強くて寒くなってきただろう。さっ、遠慮せず彼女のように俺の背中に体を預けるがいい。胸の大小なんて、全く気にしないから」


 わたしはロジェの背中を力一杯叩いてやった。



□ 五月二六日 昼 聖都


 そんなこんなで、ヘッセ村を出発して三日目の昼、聖都に到着した。


 峠から見下ろす聖都は、どこまでも街並みが広がり、中心部には中世ヨーロッパ、ゴシック建築風の巨大で壮麗な建築物がいくつも立ち並んでいた。澄み渡る青空に白く輝く壁と影のコントラスト、この風景をスマホのカメラで何枚も写しながら、ポストカードにしたら、さぞかし売れることだろう、と思った


 山道を下り、城門をくぐると、騎士団を一目見ようと大勢の人々が通りに集まっていた。拍手喝采に包まれ、ロジェとわたしが乗る白馬が通ると、一際大きな歓声が上がった。民衆に向かって、ロジェが力強く手を振ると、

「キャーッ、公子殿下! 素敵!」

 と黄色い声があちこちから湧き上がった。夢見る乙女のような目でロジェを見る女性たちは、しかし、彼の後ろに乗るわたしへ向かって、鬼婆のような呪詛を込めた視線を向けてくるのだった。わたしは恐ろしくなって、目をつむり、早く通りを過ぎてくれないかと、身を震わせていた。


 長い大通りを抜けて、一団は大公屋敷の敷地に入った。


「おつかれさまです、賢者様」アランが近づいてきた。「休みたいところですが、今から大公陛下に会っていただきます」

「そうね。面倒なことはさっさと終わらせましょ。それから、道中何度も言ったけど、賢者様はやめて。前みたいに博美で良いから」

「し、しかし、それでは賢者様に申し訳ない……」

「じゃっ、ヒロミ、後でね!」

 と、言いながら街中へ向かうマリエルの背中を、わたしは指差して、

「あんな感じで良いから。そっちの方がわたしは嬉しいし」

 と伝えた。賢者なんて言われると、なんだかくすぐったくて、自分のことではないように思えてしまう。


「そうですか……」

 と、アランは言ったが、まだ納得いかない表情を浮かべていた。


 そんなやりとりをしていると、馬を係に預けたロジェが近づいてきた。


「二人とも、こっちだ」


 彼の案内で、わたしとアランは屋敷の中を進み、謁見の間にやってきた。

 警備兵が大きな扉を押し開け、中に通された。部屋の奥中央には、少々小太りの初老の男が座っていて、その身なりから彼がブロイ大公だとすぐにわかった。

 大公の左にはタイトな黒ドレスを着た細身の、わたしと同い年くらいの女性が立っていて、真っ赤な口紅を塗った唇を真一文字に結び、じっとこちらを見つめている。

 一方、大公の右側には三人の赤いローブを着た老人が席に腰かけていた。


 ロジェが一歩進んで跪いた。


「父上、姉上、それに枢機卿の方々、ただいま戻りました」

「うむ」ブロイ大公はゆっくりと頷いた。「わしの代わりをよく務めてくれた、ロジェ。此度の成果のほどは、早馬にて聞いておる。厳しい戦いだったようだな」

「申し訳ありません、父上。俺の力が至らないばかりに……」

「いや、お前はよくやってくれた。今回の責を負うべきは、詰めの甘い作戦を立案した我々の方だ」


 大公が右側に座っているローブの老人たちを一瞥すると、老人たちはいたたまれなさそうに顔を背けた。


「そうですよ、ロジェ」今度は左側の女性が口を開いた。凛としたよく通る声だった。「貴方のおかげで、多くの騎士たちが無事聖都に帰ってこられたのです。よく頑張りました」


「ありがとうございます、姉上」

 ロジェが深々と首を垂れた。


「今後の対応については、別途機会を設けることとして……」大公の視線がわたしのほうへ向けられた。「一足先に届いたフランシス殿の文には、伝承の賢者が現れたとあったが」


「はい、大公陛下」今度はアランが一歩前に出て跪いた。「彼女こそ、聖典に記された、私たちを導いてくださる賢者様です」


「ほう」大公は弛んだ顎に手を当てた。


 一方、ローブの男たちは、一斉に眉間に皺を寄せた。そのうちの一番若そう(と言っても木坂先生と同じくらいの年齢だ)な一人が口を開いた。


「まさか、女が賢者とは……」


 腹立たしい言い方をするじじいだ。まるで、うちの大学の教授陣みたいじゃないか。と思った矢先、


「女が賢者で、何か不都合がありますか? クレメンス猊下」

 と、ロジェの姉が、世界が凍り付きそうなほど冷たい声音で、男に向かって言った。三人の老人は一斉にびくりと肩を震わせると、


「いや……、何でもない。テレーズ殿」と、クレメンスと呼ばれた男が言った。


 わたしはテレーズと呼ばれたロジェの姉に心の中で喝采を送ったが、直後、彼女がこちらへ向けた値踏みするような視線に、わたしも肩を震わせた。


「ごほん」ブロイ大公は大きく咳払いをした。「して、貴殿の名は?」


 突然振られて、まごつきながらも答えた。「あっ、博美と言います、大公陛下」


「私はデリク=ブロイだ。ブロイ大公家の当主であり、この地域一帯の領主にして、教会の守り手たる神聖騎士団の団長でもある。本来であれば、まずは教皇にお会いいただくところだが、近頃体調がすぐれぬ故、代理の形になってしまい申し訳ない。聖都によくぞおいで下さいました」


 大公がこの中では一番温厚で話が通じそうだ、と思った。しかしその直後、

「よしっ、とうとう伝承の賢者殿が現れた。これで一気に反撃の機運が高まるだろう。さっそく同盟諸国へ連絡を!」

 と一転して興奮し叫ぶ姿に、一番話が通じないかもしれない、と思い直した。


「待ってください、皆さん」わたしは目の前に並ぶ人たちに向かって言った。「確かにわたしは、異世界から来た人間です。だからと言って伝承の賢者って考えるのは短絡過ぎではありませんか?」


 しかし、ブロイ大公は首を捻った。

「何を言っておる。貴殿が賢者でないならば、誰が賢者だというのだ?」

「いや、その、だから……。そもそも伝承の賢者というのはなんですか?」

「賢者は賢者ではないですか、賢者殿。古来より伝わる聖典にきちんと記されているのです。『世界が暗黒に沈むとき、異界より賢者が現れ大いなる知恵を授けて下さる』と。そうでしょう、クレメンス猊下」


 クレメンスは大公とわたしの顔を交互に見て頷いた。

「ええ。そしてその賢者は、あのフランシス司教が言うのですから、彼女に間違いはないのでしょうな。少々不本意ではありますが……」


「猊下、言いたいことがあればはっきりとお願いします」たちまちテレーズの冷たい一言が飛んできた。


「いや、別に」

 そのまま、クレメンスは押し黙ってしまった。


 駄目だこりゃ、とわたしは内心ため息をついた。ブロイ大公はわたしのことを伝承の賢者だと信じ切ってしまっている。クレメンスやテレーズは、少しは疑問を持っているかもしれないが、それでも全員、伝承の賢者という存在は信じて疑っていないようだ。世界を導く賢者が実在するかも怪しいし、仮に実在したとしても、それがわたしである確証もない。


 そんなわたしの考えなど知る由もなく、ブロイ大公は、

「ともあれ賢者殿、長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させますのでしばらくお休みになってください。今夜はささやかながら祝宴をもうけさせていただきます。……さあ、これから忙しくなるぞ」

 と言い残し、体格からは想像もつかないほど溌溂とした様子で部屋から出て行ってしまった。


 面倒なことにならなきゃいいけど。わたしは前途を思うと憂鬱な気分になった。

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