藍子怖い
「へぇ、これは広いな」
居間のソファに美代を降ろした俺は、辺りを見渡した。
少し古風で、2000年代当初を思い出させる壁紙、天井、そして照明。
「そんなことないよ、神宮司さんの家に比べたら」
「比較対象が別格だろそれは」
俺がツッコむと藍子は笑って。
「確かにそうかもね」
と言いつつ居間から出て行った。
「こっちが私の部屋だよ~」
「え? 居間で勉強するんじゃないのか?」
俺がそんな言葉を投げかけると。
「神宮司さんが寝込んでるし、集中できないかな……って思って」
「うぅ~……」
確かに美代のうめき声が気になった。
「でもさ」
俺は続けて言う。
「女の子の部屋にそんな簡単に入っていいものなのか?」
「大丈夫。関くんが気にしそうなものは全部しまってあるから」
そういう面も確かに問題だが……。
覚悟を決めて、俺は藍子の部屋へと向かった。
「おいでなさいませ~」
藍子はそう言って、笑顔で俺を迎える。
「なるほど、こういう部屋なのか」
藍子の部屋は、ざっくり言うとシンプルだった。
壁には歌手か何かのポスターが数枚貼ってあり。ベッドはピンクのカバーの掛かった布団が敷かれていた。
そうして、机の前に椅子が二つ。そのうちの一つ、机の外側の椅子に藍子は腰かけていた。
「どうぞどうぞ」
「……それじゃあ」
俺はそう言って、藍子の隣に腰を降ろす。
「それが関くんの私服?」
俺の服をちゃんと見た藍子が言う。
Tシャツの上に白いパーカーを着て、ズボンはジーンズ。
「ダサいか?」
「いえいえ、滅相もない!」
俺が聞くと、手をワタワタさせながら、藍子は言った。
「それじゃあ勉強を始めよう?」
「おう、一応2300年まではなんとか覚えたから、その続きを頼む」
「了解しました~」
そう言って、俺は藍子と勉学に励む。
「2400年代に石油燃料枯渇か・・・・・・」
「うん?」
ある程度勉強を進めた後、俺は呟いた。そんな俺の言葉に、藍子が疑問の声を出す。
「いや、俺将来はバイクに乗りたいって思ってたから、それが無いのがショックだなって」
「バイク・・・・・・あぁ、まだあるよ? 電気を使って走るやつなら」
「お、そりゃいいな。いつか乗ってみたい」
「二人乗りで、私を後ろに乗せてくれてもいいんだよ?」
「慣れたらの話だな」
そう言って、俺はタブレットにペンを走らせる。だが、ここまでで一つ、俺は違和感を覚えていた。
思い切って、俺はそれを口にする。
「なぁ、藍子。ちょっと距離・・・・・・近くないか?」
「え~、そうかな?」
ほのかな甘い香りがする。それと今更気が付いたが、妙に藍子の上半身の露出が多い。
具体的には、そう、藍子のふくよかな胸の谷間が見えた。
「どこ見てるの?」
「っ! いや!」
俺はそう言って、前に向き直った。
「私と関くんって、素敵な出会いしたよね~」
突然藍子が勉強とは関係ない話をし出した。
「ん? お前何言って・・・・・・」
そう言う俺の腕に、藍子は絡みついて来た。
「ちょ、おお、おま・・・・・・」
「?」
「あ、あたたった、当たって」
藍子の胸が俺の腕に当たっていた。
「この前言ったよね?」
「え?」
「埋め合わせしてくれるって」
背筋が凍りつくような声。
「あ、藍子・・・・・・さん?」
「私の家ね、今では移民が多いこの地区でも、昔からいた純粋な日本人としか結婚出来ないんだ~」
「そ、それが?」
「そんな時にご先祖様が恋していた相手が、まさか現れるなんて、それで、私も・・・・・・」
これ以上は聞いていけない。しかし、耳は言葉をとらえてしまった。
「恋しちゃうなんて思わなかったなぁ、えへへ」
藍子の目に光が感じられない。
「ひぃ!」
俺は短い悲鳴を上げる。
「なんでそんな声出すの?」
「そ、それは……と言うより出会って六日目だぞ!?」
「一目惚れってやつだったな~」
俺の話を聞いているのか分からない状態で、藍子が話を続ける。
「さぁ、私を・・・・・・好きにしていいんだよ?」
言われた通りならば、俺はこの場を逃げたかった。
ゆっくりと、藍子の顔が俺の顔に近づいてくる。
ドクンドクンと、興奮ではなく恐怖で心臓が高鳴る。
そして、藍子の唇が俺の唇に触れようとした瞬間。
「ふっかーつ!!」
そう言って、美代がドアを開けてきた。
「「「……」」」
三人して黙り込む。
最初に動いたのは美代だった。
「変態!」
ドゴォ、と俺の腹にドロップキックをかましてくる美代。
「ぐはっ」
「きゃっ」
俺は吹き飛び、近くに居た藍子も尻もちをついた。
「な、なにしてんのよ!」
顔を真っ赤にして言う美代、それを見て俺は。
「あはははは」
笑った。
そう、美代は俺を窮地から助けてくれた救世主。
「うげっ、蹴られて笑うとかあんたマゾ?」
美代は心底気持ち悪いという顔で、俺を見ていた。
「チッ」
俺だけに聞こえる声で、藍子が舌打ちして。
「教科ボードがよく見えなくて、近づいてただけですよ」
平然と嘘を言ってのけた。
「あ、そう。ごめんね、家の原始人が変なことしたかと思ったわ」
「ううん・・・・・・むしろ余計なことしたのはそっちだけど」
後半は俺にだけ聞こえる声だった。
「と、とりあえず! 三人で勉強しよう! な! な!」
俺がそう言うと。
「関くんがそういうのなら」
と、藍子が普段通りの笑顔で言った。
「じゃあ、あたしは軌道エレベーターが出来た経緯について知りたいから、東雲、それを教えてね?」
「うん」
そう言って、美代と藍子は先に部屋を出ていく。
「この続きはいつか、ね?」
「ひっ・・・・・・」
俺は硬直して、しばらく動けなかった。
そうして3時間ほど経ち。
「じゃあ、またね東雲」
「はい、神宮司さん、それと関くん」
「ま、またな」
勉強を終えた俺は、明るい笑顔で、藍子の家を去った。
そうしてエレベーターに乗って。
「ひぃぃ、怖い」
俺はそんな風に呟いた。
「? あんた行きはなんともなかったけど、ひょっとして高所恐怖症?」
美代に言われて、下の方を覗く。遥か彼方に地面があった。
「そ、そうなんだよ」
さっきの話をするのは確実にまずいと思い、俺はそういう事にした。
「じゃ、目を瞑ってなさい、下についたら教えるから」
「美代」
目を閉じて、俺は言う。
「お前って優しいんだな」
「んなっ!?」
目を閉じているので、美代がどんな顔をしているのかは分からない。
「あたしだって、人を気遣う心があるってーの!!」
美代、お前はそのままのお前で居てくれ。俺はそう思った。




