戦う貴女に、今日もお茶を
替えたばかりの純白のシーツの上に、格子窓から注ぐ木漏れ日が刻一刻と変わる模様を作っている。その上に干したての布団を掛ければ、部屋の中は太陽の匂いで満たされた。再度枕と布団を微調整し、更にナイトテーブルの上のランプを点検。繊細なガラスのランプシェードを腰から取り出した毛ばたきで撫で、一抹の埃も残っていないことを確認する。これで二階も全室終了。懐の懐中時計を取り出して一瞬だけ見遣ると、ぱちんと蓋を閉じた。一階へ降りる。
屋敷の最も東寄りにある自室で掃除用具を片付け、洋服も替える。きっちりとアイロンをかけたシャツ。黒いベスト。黒いパンツ。磨き上げた革靴。姿見の前で身だしなみを確認してから、玄関へと向かう。
豊かな装飾が彫り込まれた木製の玄関扉は、両開きである。私は二ヶ所ある鍵を開け、左側の戸を押した。重い扉を静かに閉めると、玄関に向かって右側、呼び鈴の前のいつもの場所に立った。
程なくして、黒いセダンが木々の向こうから現れ、玄関のちょうど目の前で音も無く停まった。すぐに歩み寄り、後部座席のドアを開ける。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「うむ」
お嬢様は車が停まっても、何かを考えるようにじっと前を見つめていた。しかし、短く返事をして動き出した。
「早瀬」
「何でございましょう」
「庭へ出るぞ」
お嬢様は車から降りながら、そう一言だけ告げた。
「かしこまりました」
お嬢様は、こんな日は決まって、お庭に出られる。
屋敷の裏側にある、お嬢様だけの庭園。種々の木々に囲まれ、季節の花やハーブが香る、ほんの小さなお庭。お嬢様はそこで、水を遣ったり、草を刈ったり、種を植えたりと、手入れをする。そのとき私は、ガーデニング用のお召し物をお出しして、白百合の意匠が施されたバレッタで髪をおまとめする。そして、お嬢様の大好きなオレンジの香りの紅茶とミルフィーユをご用意して、お待ちするのだ。
今日もまた、コップ一杯の水とティーセット、ミルフィーユを銀のお盆に載せてお持ちする。庭へ続くドアを開けると、一心不乱に草を刈るお嬢様の横顔が、日差しを弾いた。頬を伝う汗。バレッタに埋め込まれた螺鈿も、時折きらりと光を放っている。
ざっ、ざっ、ざっ、という鎌の力強い音を聞きながら、バルコニーの丸テーブルの上にお盆をそっと置いた。
お嬢様は戦っておられる。
欲望と自衛と虚言の支配する世界で、高潔な魂を持って生まれて来てしまったばっかりに、ひとり孤独に戦っておられる。そして心が壊れそうになったとき、この自分だけの箱庭で自らの身体を動かし、そこから返される力を全身で感じることで、自分を再び律しようとなさるのである。
ふと、お嬢様がこちらに気付き、額を拭う。
「失礼いたします。休憩になさいませんか?」
「うむ、そうしよう」
清潔なタオルと水の入ったコップをお渡ししてから、ティーカップに紅茶を注ぐ。芳醇なオレンジの香りが広がる。
私に出来ることは、こうやって紅茶とミルフィーユをお出しすることぐらいしか無い。
「どうぞ」
「ありがとう」
お嬢様は少し香りを楽しんでから、ティーカップに口をつけた。
「…美味しい」
ほっとしたような笑みがお嬢様の口から零れる。その表情が心から安心したものだったからこそ、胸が詰まった。
「…お嬢様」
「何だ」
「……申し訳ございません」
私が貴女に出来ることなんて、たかが知れている。
全然、貴女のお力になれていない。
腹の底で渦巻く悔しさを言葉にはしなかったが、お嬢様は全てを見透かしたように微笑んで、
「何を言う。十分すぎるくらいだ」
銀のお盆の上に視線を落とした。
「いつも助けられている。ありがとう」
―――2018.06.16「ミルフィーユ・オレンジ・バレッタ」




