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紡ぎ



〘その人は立っていた〙



目を覚ました。途端、あまりの静けさに驚く。

たった今まで、激しい騒音のただ中にいたはず。

違ったっけ?

琉々(るる)は布団から体を起こす。

きっと夢でも見ていたのね。

だって涙が流れるもの。

考えても、出てこない。

夢、だもの。起きたら忘れてしまうんだわ。

のんびりと時計を見る。

「やだ···いっけない!」

針はすでに家を出る時間を示していた。


朝日市。都心からほど近いベッドタウンであるここ朝日市は、人口約15万人。西側に小高い山を有し、中央に大きな川が流れる。ごくありふれた、どこにでもある市街には、至るところにハナミズキの街路樹が植えられ、今はまだつぼみすらつかぬ寒い冬だが、暖かくなれば桜が終わった後の街並みを彩る。

駅から5分程度、そのハナミズキの通りを抜けた先に、県立陵南高校が見えてくる。


ガラッ。教室の後ろのドアが乱雑に開いた。

顔を出したのは、息を上げた琉々だ。

「はい、残念。ホームルームは終わっちゃいました」

耳の下で揃えた髪を揺らし、真子(まこ)は笑って言った。

「真子ったら!大丈夫よ琉々。1時間目も橋本(担任)だもの。遅刻にはならないわ」

佳奈は真子にしかめっつらを向けてから、優しく琉々に教えてやった。

はぁはぁ、と息を整え、琉々は言った。

「お、おはよう。二人とも!」

真子は机の上に座りながら琉々の頭を混ぜた。

「すごい頭!寝坊なんて、らしくないね?」

佳奈はカバンからブラシを取り出し、琉々の髪を梳き始める。

「う、うん。寝坊もそうだけど、なんか···」

うん?二人は琉々の顔を見た。

「道が、わからなくて···?」

えぇ〜!?

真子と佳奈の叫び声に、教室中がこっちを見た。


「琉々はほんと、おっちょこちょいなんだからなぁ」

お昼の菓子パンを頬張りながら、真子が笑う。

「道がわからないって、なんだろ?もうわかるの?」

茶色いくせ毛を揺らしながら佳奈が琉々に聞く。佳奈が食べるのは、自分で作ったお弁当だ。

琉々は、お母さんが渡してくれたお弁当。それをつまみながら

「うん、平気。よくわかんない、けど」

琉々はお箸を口に当てながら何回かまばたきをした。

「ね、真子」

うん〜?真子は二個目のパンをあけながら琉々に答える。

「私って、おっちょこちょい、だっけ?」

「ほぇ?」

だ、だって、私、なんでも一人でやってきたじゃない?

電気も水道もガスもない中でだって、あんなに···。

「···。な、なんでもない」

真子と佳奈は顔を見合わす。

真子は、ずずーぃと琉々に近づく。

「あんた、変。さてはなにか悩みでもあるんじゃないの」

琉々は体を引く。

「え?な、悩み?別に···」

佳奈も心配そうに琉々を見ている。

「わーかった!恋!恋ね!?」

断言する真子。目を丸める佳奈。

焦る琉々。

「えぇっ!?ちょ、なんでどうしてそうなるのっ?」

真子は、ひょい、と椅子の上に登ったかと思うと、ダン!と更に机の上に上履きの足を乗せ

「わかった!いいわ!今日の部活は休む!皆で作戦会議ね!」

と高らかに宣言する。佳奈は、パチパチ、と手を叩いていた。

琉々はとりあえず、真子を椅子に座らせる。

冷や汗たらしながら、焦って、琉々は二人に言った。

「もう二人ったら!ところで···」

琉々は頬に人差し指を当てて首を傾げた。

「部活って、なんだっけ?」



〘降り続く雨に、濡れるのも(いと)わず〙



ふぅ。

琉々は自分の部屋で机に頬杖をついていた。

今日は日曜日。学校も休みだし、真子は部活。佳奈はピアノだろう。

琉々は勉強でもしよ、と、机についたはいいが、全く進まない。

真子も、佳奈も、小学校に入学した時からの親友でいつも三人で一緒にいた。

佳奈が男子にからかわれた時、真子と琉々でいっぱいのおたまじゃくしをそいつの背中に入れて大泣きさせてやったし、真子がリレーの選手に選ばれて、琉々と佳奈で、手作りのお守りを作ってプレゼントしたりもした。

佳奈は6年生の時、隣のクラスの大木君に、校舎の裏に呼び出されて告白された。真っ赤になった大木君と、更に真っ赤になった佳奈。二人はとってもお似合いに見えたのに、佳奈は「ごめんなさい」って断った。二人と一緒にいたいからって。

中学2年の時、真子が体育の高橋先生に恋をした。私から見たらただのおじさんだったけど、真子は真剣で、三人で連日作戦会議を開いた。きっぱり失恋して、真子が髪を切って、琉々もその時一緒に髪を切った。三人で泣いた。そしてお菓子をいっぱい食べた。

覚えてる。全部、覚えてる。

なのに。


放課後のショッピングモール。そのフードコートに三人は来ていた。

ここのタピオカミルクティは絶品だ。ちょっと高いから、いつでも飲めないのが玉にキズだけど。

「さて、琉々の初恋に際しまして、カンパーイ!!」

真子が高らかにカップを掲げる。

佳奈はカップをぶつけて、優しい微笑みを琉々に向ける。

「誰を好きになったの?」

琉々は困った。

「誰かを好きになんて、なってないってば」

ズズ、とタピオカを飲み込む。

だって···。

私はもうずっと。

あれ?

「ね、佳奈」

琉々は佳奈に問いかける。

「私って、初恋?恋した事ないの?」

真子が絶叫する。

「あああああんたいつの間にぃ!協定違反だわこれ!ぜぇんぶゲロっと吐きなさぁぁぁい!」


そんなこと言われても。恋したことがあった気がしただけなのに。

真子ったらひどいわ。三人分のタピオカ代なんて、今月分のおこずかい全部なくなっちゃった···。

ちっとも進まない真っ白なノートに目を落とすこともなく、琉々は窓の外を眺めていた。

 すぃ

何か、白い、布?みたいなものが、窓の外を流れた気がした。

「?」

ここは2階。

洗濯物が飛んだ、とか?琉々は立ち上がり、見ていた窓とは違う、ベランダに出る方の窓を開けて外を覗く。と、途端に

 ガッ···!

「ひゃぁぁあああっ!」

白いものが琉々に巻き付き、思い切り空に引き上げられた。

「馬鹿野郎!邪魔くせぇ!!」

苛ついた低い声が後ろから響いた。声の主を確認する暇もなく、文字通り首根っこをつかまれ、琉々は、ベランダに『ベッ!』と捨てられる。

あぃたたた···。

琉々は、女子高生とは思えない年老いた仕草で、四つん這いになって腰をさする。

顔をしかめながら空を見上げると、そこには

長い長い、細い剣を、たくみに扱い戦う男が浮いていた。



〘黒い髪、黒い瞳〙



細い剣、まるで血を吸ったかのような紅い、剣。

それを手にし、こちらを見下ろす黒い瞳。さらさらと、風になびく黒い髪。

「貴方···」

琉々は絶句する。

「う、浮いてるわ」

男は、自分の後ろを振り返る。そしてまた琉々を見る。

「見えるのか」

こく、と頷く。すると男は、剣をしまい、心底面倒臭そうに髪をかきあげ琉々の方に近づいてきた。

な、なによ···。

琉々は警戒するが、視線を外すことができないでいた。

男は琉々のいるベランダの位置まで下がってくると、大きな手のひらを琉々の顔の前にかざした。

「面倒をかけるな」

男の手のひらが、一瞬紅く光ったような気がした。気がしただけかもしれない。次の瞬間には琉々は意識を手放していた。

気づくと夕方だった。

琉々はベッドで寝ていた。ベランダに続く窓は開いていた。

琉々は起き上がり、赤く染まった窓の外を見る。

「なんなのよ、もう」


特に何事もなく過ぎ去った3日目の水曜日。

今日は部活のない日なので三人で遅くまで教室で話し込んでいた。

真子はバスケットボール部に所属している。佳奈は合唱部。琉々は、何もしていなかった。いつもは放課後すぐに帰るけど、部活のない水曜だけは帰りが遅くなるのもいつものことだった。

「琉々、早く寝んのよ。歯も磨けよっ」

真子が手を上げて走り去る。

「真子!走ったら危ないから!」

真子の背中に声をかける佳奈。

いつもの分かれ道。琉々は佳奈に手を振り家路を歩く。

すると、ふっと周りが暗くなった気がした。

とっくに日は暮れている。でもこれでもかって程に街灯があり、道は明るいはずだ。

不思議に思い、琉々は上を見た。

「あぁ···嘘でしょう···」

くらくらする。

街灯があるはずの空は切り取られ、濃い紫色の煙で充満していて異次元かのように広がっていた。

そこには先日の黒い男が、10mはあろうかという白い、クジラのような生き物と戦っていた。紅い稲妻が光り、クジラはそれを浴び消えていく。

男はくるくると回って、ちょうど琉々の立つ目の前に着地した。背中には、鴉を思わす黒い大きな翼。バサ、とそれをたたむ。

そして琉々には目もくれず歩き去ろうとした。

「ちょっと」

琉々は思わず声をかける。

ビク、と男は肩を動かした。

「無視はひどいじゃない?せ、説明しなさいよ。今のは何?」

男は、ギギギ···と、油の切れたブリキの人形のようにゆっくりとこちらを振り返り

「見えて、いるのか?」

と、黒い瞳を見開いた。



〘背中の禍々しい黒い翼〙



「見えてるって···こないだも言ってたわよね。普通は見えないの?」

琉々は、怖さより、なんだか苛つきのほうが増す自分を不思議に思いながら聞いた。

男は、ピタ、と動きを止め、不機嫌そうに眉を寄せて琉々をジィーっと見る。

黒い、瞳。それはなにもかも吸い込む、ブラックホールのようで、琉々はふら、と近づきそうになる。

「お前は···こないだの。忘却術をトばしたのか」

ち、と舌打ちをし、頭を掻く。さらさらと、黒い髪が動く。

それを見た琉々は、不思議な気持ちが湧き上がるのを感じた。

なんだろう···この気持ち···。お昼ご飯が丸ごと出てきそうな···。

琉々が呆然としていると、男はシュッと剣を引き出し、琉々の顎の下辺りに斜めに当てた。

「···っ」

目の前には男の顔。

「忘れろ。関わるな。いいか、俺の前に二度と出てくるな」

琉々は息を呑む。微動だにできず、目の前の男の瞳を見つめる。

男はそのままゆっくり下がっていき、クルっと踵を返すと、元通りになった夜空に消えていった。

「わ、私が現れたんじゃないわ!貴方が出てきたんじゃないの!」

そう言いながら、どきどきを繰り返す胸を抑え、琉々はその場にへたり込んだ。



〘そのすべてを血に濡らし〙



「無視するったって、限度があるわ···」

琉々は途方にくれていた。

目の前には白い、生き物。

手当り次第に倒しまくる、黒い、男。

今は登校の時間なので、周りにも人はいっぱいいて、皆それぞれに目的地へと淀みなく流れていく。

「おらおらおらぁ!こんな程度か、あぁん!?」

男は息も上げず楽しそうに、遮二無二(しゃにむに)攻撃を繰り返す。

周りの常識ある方々は、そんな非常識な男には目もくれない。

「もしかして···見えてない···?」

琉々は呟いた。

だって、あの人、はげた頭に土足で乗られたら、普通怒るんじゃないかしら···。

ハラハラと、琉々が心配そうに成り行きを見守っていると

ん、と男と目が合った。

ザクザクザク、と、白い生き物を倒しながらこちらに来る男。琉々の顎を片手で掴むと

「ま·た·お前·か!」

と怒鳴る。

琉々は、顎を掴まれた男の手に触れ顔を歪ませた。

「何も、してないわ」

男は、まるで電流でも走ったかのように、パッと手を離し、一瞬驚いたような顔をした。

が、すぐに不機嫌そうな顔になり、その手を下に向け、何やらブツブツと呟いた。

男を中心に紅い光がドーム状に広がり空に消えていった。

琉々は、それで起こった風にはためく制服のスカートを抑えるのに必死だった。



〘あらゆる種族の血を〙



「これでしばらくはおとなしくなる。さぁ、教えろ。貴様は誰だ」

男は言う。

琉々は、周りを見渡す。

お、おかしいわ。さっきと同じ風景なのに、音が消えた···。

周りは相変わらず通勤通学の人々で溢れている。にも関わらず、琉々とその男の周りだけが、切り取られたかのように音もなく、通りを行きかう人も不思議と寄って来なくなった。

琉々は口を閉じることも忘れて周りを見渡す。

男はイラつき、琉々の手首を掴んだ。

「聞いているのか、お前は誰だと聞いてるんだ」

琉々は、掴まれた手が痛くて引っ張った。

「痛い!離して馬鹿!先に貴方が名乗りなさいよっ!」

自分の手を取り戻し、ベェーと舌を出す。

男は周りを凍らせるのでは、というほど冷たい目でこちらを見ている。

「俺は、ブファス。闘争の悪魔神だ。貴様のような阿呆を、腐るほど殺してきた」

悪魔···悪魔ですって?

ぶ〜っ!

琉々は吹き出した。

「何がおかしい」

ブファスは不貞腐れたような顔になる。

「あっはっは、おっかしい。私は琉々よ。陵南高校の2年」

ピース、を作る。

「人間の、女?」

不思議そうなブファス。

「し、失礼ね。見ればわかるでしょ。貴方は···、こないだから一体何をしているの?」

いつ見ても、ブファスは白い生き物を消し続けている。白い生き物って何よ。なんでいきなり現れ始めたの?

「ラグエルが放つ使者を消している。渡したく、ないから···」

ブファスは顔に手をやった。

琉々には意味がわからない。ラグエル?使者?

「渡すって、何を渡したくないの?」

「わからない···なんだろう···」

途方にくれるブファスの顔。

琉々はさっぱり意味がわからない。

「じゃ、ラグエルって誰?」

ブファスは顔を歪ませた。すごい顔···。

「変態だ」



〘己の手で流した彼は〙



琉々は、黒板の字も見ていなければ、先生の声も全然聞こえて来なかった。

ブファスは結局、何も知らないに等しかった。

なんで戦ってるの?

なんで見えないの?

なんで私には見えるの?

いつからやっていて、いつまでやるの?

彼は確信して答える。

永久とわに、だ」

なんじゃそりゃ。


昼休み、いつものように三人で、机をくっつけてご飯を食べ、そのまままったりとおしゃべりをする。

佳奈が、鞄から雑誌を取り出した。

「見て!この特集」

見ると、ティーン雑誌の特集ページ。

お願い事を聞いてもらえるおまじないの特集だった。

古今東西のおまじないが集められて載っている。

真子は雑誌を持つと

「ふぅ〜ん」

と、興味津々。

「あ、これ面白い。天使が願いを聞いてくれるんだって」

佳奈が、え、どれどれ?と覗き込む。

「新月の、清めた泉?そこでなんちゃらなんちゃら〜すると天使が現れるって」

真子が適当に説明する。

佳奈は、横から記事を読んでいたが、眉をよせた。

「でもこれ、代償がいるって。天使なのに怖いわね。悪魔みたい···」

じゃあこれは?こっちのほうがかわいいわよ。

二人はおまじないの記事で盛り上がっていた。

琉々は、聞いていなかった。

私、知ってるわ。

天使の力は絶大で、願えば何でも叶うのよ。

だけれどその代償は、願うものには選べない。

願いに応じて取り上げる、背に白い翼を持つ者。

佳奈の言うとおりね。見た目は天使、だけれども

やってる事は悪魔そのもの。



〘その血を雨の雫で洗い流す〙




「あぁ、もう!どうして私が狙われるのっ!?」

琉々は、高々と空に釣り上げられていた。

もう何回目になるか、またしても白い生き物に巻きつかれ、空に引き上げられているのだ。

「お前ごと、死ねっ!!」

ひどい言葉が投げかけられたかと思うと、ブファスの紅い剣が白い生き物を切り裂き、消滅させる。

「え、や、ちょ、キャァァァっ!!」

琉々は成すすべもなく空に放り出され落ちていく。

ガシ!とブファスが琉々を抱きとめる。

ブファスの翼はしっかりと、二人分の重さを難なく支え飛んでいた。

「この上なく邪魔くさい」

琉々は、突然の無重力に混乱し、ブファスにしがみついた。

「う、うえぇん。怖かったよぅ···」

ブファスの胸にすがりつき、半泣きになる琉々。それを不思議そうに見て、ブファスは口を開いた。

「怖い?」

琉々は顔を上げ、ブファスを見た。

「うん、だって、落ちたら死んじゃう···」

眉を寄せ、困った顔の琉々。それを見つめるブファス。

ふ···と、ブファスがうっすら笑う。

「!」

目敏く、琉々がそれを見つけた。

「笑った!ブファスが、笑ったわ今!」

ブファスはいつもの仏頂面に戻り、琉々を抱いていた手を広げる。

「地に落ちろ」

「いやぁぁぁぁ!馬鹿ぁぁぁ!!」

琉々はブファスの首にしがみついた。

白く綺麗なブファスの頬に、もう、すぐくっつきそうな程近い。

琉々は、それに触れたい衝動にかられる。

ブファスは、目をギュっとつぶると、琉々を再び抱き上げ、冷たく言った。

「うるさい」



〘私は見ていた〙



「ねぇ、あの白い生き物は、ラグエルっていう奴の使者、なんでしょう?」

大地に降ろしてもらっても、琉々は腰が抜けて上手く立ち上がれなかった。

ブファスにしがみついたその手も離せない程に。

ブファスはこの上ないほど重いため息をつき、手を下にして紅いドームを出し琉々を座らせ、長い両足で挟むように自身も座った。

「そうだ。ラグエルが放ってきている」

琉々はブファスを見上げた。ブファスは遠くを見ている。

「やめさせられないのかな?ブファス、ずっと戦ってる。疲れちゃうわ」

ブファスは肩をすくめた。

「あいつが諦めるわけがない」

琉々は、ブファスによりかかるようにしてブファスの綺麗な顔を見上げていた。

「ふぅん?でも、何を諦めなくて、何を守ってるかはわからないのよね」

琉々はまた混乱してきた。

「ねぇ!」

琉々は、膝をついてブファスのほうに体を向けた。そうすると、ブファスの顔が琉々の真ん前に来る。

「ラグエルっていう人に会えないのかな?やめてって頼むとか、何を欲しがってるのか聞くだけでも!」

ブファスは、遠くを見ていた瞳を戻し、琉々を見る。

「余計な事をするな」

ぶわっ!と、紅い風が舞う。

気づくと琉々は、家の真ん前に一人で立っていた。

「もう!協力しようとしただけじゃない···」



〘見下ろしていた〙



夕ご飯も食べて、お風呂に入り、パジャマに着替えてから、焦って宿題を終わらせた。

明日の準備も終え、琉々はポンポンっとまくらを叩き眠りに入った。

はずだった···。


そこは真っ白な世界だった。

遠く遠く、はるか遠くを見るとうっっすら青く感じるけれど、ほとんど、色のない世界だった。

耳を澄ますと、どこか遠くでシャンシャンと鈴の音がする。

「なんだ、ろ?ここ···」

琉々が呟くと

「おかえり、ルルーシェ」

鈴を鳴らして声にしたら、それを少し低くしたら、こんな感じの声になるだろう。そんな綺麗な声が響いた。

目の前に、白に見えるくらい薄い金髪で、透明に見えるくらい薄い緑の瞳の、どんなトップモデルもひれ伏してごめんなさいするくらい綺麗な男性がこちらを見て微笑んでいた。

背中にはこれでもか、というほど豊かな白い翼がついている。

「あ、あの、え···」

琉々は舞い上がる。なにこれ、夢?

白い男は、しゃがみこんでいる琉々の手を、優しく取って立ち上がらせる。

「ルルーシェが、僕に会いたいと願ってくれたのだろう?妹の願いを叶えるのは、いつでも兄である僕の役目だ」

琉々の腰に手を回し、取った琉々の手をそのまま自分の口に近づけ、優しく口づける。

「ちょっ!!」

琉々は手を引き抜いた。

ツッコミどころが満載って、こんなに困るの!?

男はきょとんとした顔で、琉々の事を覗き込んでいる。

琉々は、腰に回っている男の手もべりっと剥がして距離を取った。

「わ、わたしその、ルルーシェって人じゃありません。あなたの妹でも、あなたに会いたいとも思ってないし。人違いっぽいです、ごめんなさい」

クスクス笑って、男は琉々の頬を両手で包んだ。

「ラグエルに会いたいと、思ってなかった?」



〘背中の翼がそれを叶える〙



これがあの!変態!!

「貴方···ラグエルさん、ですか。あの、ブファスに、なんで」

ラグエルは、琉々の口に指を当てた。ツ···と滑らす。

「可愛い唇で、そんな名前を言ってはいけないよ」

ぞわわわっ、背中が震える。

ひぃ〜、変態だ。よくわかんないけどたぶん変態って所は合ってる!

「ブファスに、白い生き物を向かわせないでほしいんです。それをお願いしたくて、私は貴方に会いたかったんです」

ラグエルは、琉々の、唇から頬、耳、髪の毛、と手を這わせていく。

琉々は、両手を握りしめてそれに耐えた。

せっかく会えたのだから、せめてブファスの為にお願いを聞き入れてもらいたい。

ラグエルは琉々の頭の後ろまで手を持ってくると

「あいつに向かわせる?」

と言って、琉々の頭を自分の胸に寄せた。

「可愛い妹を助けるためだ。あいつなんかどうでもいい。さぁ、二人で幸せに暮らそうね、永遠に」

ひぃ!

琉々は両手でラグエルの胸を押した。

「あ、あ、あの、ブファスに攻撃しないでくれるならいいんです。ありがとう!私もう帰ります」

ラグエルは笑う。

「帰る?」



〘真っ白い、翼〙



ラグエルは琉々の肩に手を置き、優しくさすっている。

「おかしな事を言うね、ルルーシェ。お前の家はここだよ?」

琉々は眉を寄せた。

この人大丈夫かしら···。


バァーン!!!


世界が紅く光る。

真っ白だった世界が黒く濁っていく。

琉々は悲鳴を上げた。

ラグエルは途端に険しい顔つきになり、琉々の肩を自分に寄せて琉々の背中を自分の方に向けて支え、もう片方の手のひらを下に向ける。

と、そこから白い生き物がたくさん沸いて出てきた。

琉々はラグエルが支える腕を両手で持ちながら目の前の白い生き物を、目を見開いて見ていた。

これ···ブファスがいつも倒してた生き物だわっ!

白い生き物はひらひら揺らめき、次の瞬間ものすごい勢いでいくつもが同時に一点に飛びかかる。

バーン!と、またしても轟音が轟き、紅い光が落ちる。白い生き物が一斉に破裂するように消え去ったその場所に、黒が出現した。

「ブファス!」

琉々は叫んだ。

全身から血を流したブファスが、手に剣を持ち、必死な顔で琉々の元に飛んでくる。

琉々は思わず、ラグエルの手を振り払いブファスに手を伸ばした。

ブファスは、琉々の手を取り、ぐいっと引っ張りそのまま腰に手を回し持ち上げる。

ブファスは琉々を抱えたまま、ちょうどラグエルの目線のあたりに浮いていた。

琉々は、落とされないようブファスの服をギュっと握った。

「貴様、悪魔が、ここで何をする」

ラグエルは、先程の優しい顔つきはどこへやら、金の髪を振り上げ怒りの形相でこちらを睨んでいる。まわりをふわふわ、白い生き物がたゆたっている。

「ここにいたいと言ったのか、聞き入れろ。妹なんだろ」

ブファスはそう言うといつも下に向ける手のひらを自身の胸のあたりに当てる。

紅い丸いドームが、広がらず濃いまま二人を包む。

「お前···お前のせいで···。今更何を願う!お前にその資格があるとでも思うのか!妹を返せ!!」

ブファスは琉々を抱く手を強めた。

「俺にその資格はない···だが···」

しゅんっ!

紅いドームはその場で消えた。



〘彼の顔が、濡れる〙



ドームが消えると、そこは小高い丘の上だった。

ブファスはそっと、琉々を降ろした。

琉々はぽろぽろと涙を零していた。

「ブファス···どうしよう。どうしたらいいの?こんな、こんなに傷だらけで···」

ブファスはそんな琉々をじぃーっと見る。

「前にも、あった」

「え?」

琉々はブファスを見上げる。

「お前は、いつも、泣く」

ブファスはそう言い、つらそうに顔を歪ませながら草の上に寝転んだ。

「この傷は関係ない。いつものことで問題ない。お前が気に病むことじゃ、ない」

片腕を額に当てて、片膝を立てて、ブファスは空を眺めながらそう言うと目を閉じた。

ブファスは全身に大小様々な傷ができていて、そこかしこから血が流れていた。

今まで、白い生き物と戦ってるときは傷ひとつつけてなかったのに。

琉々は、涙を零しながらその溢れる血を見ていて、腕で隠れたブファスの顔を見た。

こんな傷がいつもなんておかしいわ。問題ないわけないわ、痛いはず。私はブファスにたった今助けられたのに···。

琉々は手をつき、そっと身を屈め、涙を零しながら

ブファスにキスをした。

「···っ!」

するとブファスの傷が白く光り始め、またたく間に塞がっていった。溢れる血も傷跡も、一切なくなり綺麗になった。

ブファスは起き上がり、驚愕して琉々を見た。

「お前は···誰なんだ···」



〘雨か、血か〙



琉々は琉々でびっくりした。

頭が混乱してるせいだと自分に言い聞かせた。

白い世界、人違い、変な男の人、白い生き物、紅い光、赤い血、黒いブファス···

そこでどうしてキスにつながるのか、さっぱりわからない。

琉々は両手で自分の唇を抑えると、涙をためた目でブファスを見る。

「ご、ごめんなさい···」

ブファスは何も言わず、立ち上がると紅い風を出す。

気づくと琉々は家の前に立っていた。


琉々は、翌朝起きると、恐る恐る母に聞いた。

「あの···お母さん、私ってお母さんの子、だよね?」

母は料理の手を止めずにため息をつく。

「そういう疑問は小学生のうちに解決しといてくれると母さん助かるわ」

ぶぅ。

学校までの道、ここの所毎日のように、白い生き物とブファスが戦っていたのに、今日はどちらも現れない。

いたらいたで超ジャマなのに、いないとこんなに寂しいものなのね···。

琉々は昨日の、ブファスへのキスを思い出し唇を抑えて一人で頭から湯気を出していた。

私何考えてるんだろう。あれはブファスが何か魔法を使って傷を癒やしたんだわ。私のキスで傷が癒えるなんて···。

ってゆーか、キスなんて···。

ぶんぶん、と頭を振っていたら後ろから真子に叩かれた。

「朝から何変態してるのっ」

頭を抑えて振り返る。

「いたぁい···」

今日からテスト前期間で、朝も放課後も部活がない。だから、琉々は二人と一緒に学校に行った。

放課後は三人ローテーションで家に行きお勉強会。一応教科書を持ち寄るけど、勉強なんてほとんどしない。いつもより少し遅くまで、お話できるだけだ。

だからだと、思っていた。二人がいつも一緒にいるから、

だからブファスは現れないのだ、と。



〘涙か〙



「ぶふぁすぅぅぅぅ!!」

琉々は小高い丘に登って叫んだ。

ブファスは現れない。

琉々は歩き出す。

こっちの森には来たことない。

確かこの先、ちょっとした山になってたはず。

山の上には社があって、

鳥居の先には神様がいる、とか。

琉々は、なんで自分がこうまでしてブファスを探すか理解できなかった。

虫の知らせのような、ジクジクした気持ちが琉々を襲う。

森の中は暗く、道も頼りなく細い。薄い葉を持つ草や、飛び出している小枝にひっかかり、琉々のむき出しの足や膝はすぐに擦り傷だらけになっていった。

息が上がり、横っ腹も痛く、踵もなんだか擦り切れてる。

そうして登った頂上の、赤い鳥居のその上に

ブファスは傷だらけでぶら下がっていた。



〘そして私は言う〙



「ブファス!!」

琉々は、ぴょんぴょん跳ねた。

だが、大きな赤い鳥居から意識なくぶら下がるブファスには到底届かなかった。

「やだ···もう、どうしよう···。ブファスぅ〜」

周りを見回す。はしごとか、もうこの際棒きれでもいい、何かないの!!

ブファスの真下で、なすすべなくキョロキョロしていた琉々に

「うるさい」

と、ブファスの声が聞こえた。

「ブファス!」

琉々はブファスを見上げて叫んだ。

ずる···と、ブファスが頭からずり落ちてきて、琉々はブファスを抱きとめ、その重さで潰れながら二人は座り込んだ。

「ひどいわ、こんなに···」

ブファスの傷は、せっかく治ったのに更にまたひどい状態になっていた。

琉々は、あんまりブファスが傷だらけで、触って平気な場所がなくて、困ってしまう。

ブファスは、上半身を琉々に預けるようにしてよっかかりながら座って、頭を琉々の肩に乗せ上を向いていた。

「別にたいしたことじゃない」

琉々は、真横にあるブファスの顔を見る。

「やりすぎよ。ラグエルさん、そんなに怒っているの?私、もう一度お話を···」

「ラグエルじゃない」

ギギギ、とブファスは体を起こす。



〘いつものように〙



「え、じゃあ誰が?」

ブファスは答えない。

立ち上がり、琉々を見る。

「あいつはもう、白い生き物を出していないか?お前を取り戻そうとしていないか?」

琉々は、え、と止まった。

私を?貴方ではなく?

ブファスは琉々から視線を外し、遠くを見ながら続ける。

「お前はラグエルの妹だろう。ラグエルは天使だ、変態だが。つまりお前は」



〘あなたの願いは、なに?〙



な、なにを言うの。やめて、それ以上言わないで。

琉々は青ざめた顔をフルフルと横に振った。

ブファスはそれを見ると、琉々から視線を外した。

「冗談だ」

琉々は必死に頭を整理する。

「そ、れ、じゃあ、貴方のその傷はなんなの?」

「俺の問題だ」

ブファスは、なんてことないという風に肩をすくめてそう言う。

むかっ。

琉々は立ち上がった。

「見なさいよ!この傷!」

琉々の足。擦り傷のできた、足。

ブファスに比べるとあまりにもちゃっちい傷。

血が、滲んでるか?程度で、痛いというより、痒い。靴ずれはちょっと痛いけど···。

「貴方を探してできた傷だわ。貴方が教えてくれないなら、私はいつまでも貴方を探し続けるわ。もっともっと怪我をするわ!」

ブファスは目を見開いた。そして素早く琉々の足元にしゃがむ。

そ、とブファスが琉々の足を触る。

「あ、あわわわわ、さ、触らなくていいわよ、馬鹿!」

琉々は焦って、しゃがんでるブファスの頭に手を乗せた。その手を押すようにブファスが顔を上げる。

「座れ」

どんな猛者でもキャインと泣いて従うような、冷たい一言。

琉々もシュタ!と座った。

琉々の足をそっと撫でるブファスの手から、紅い煙が登る。

撫でた先から琉々の小さな擦り傷は見る見る消えていく。

「靴の中もだな」

言うと、ブファスは優しく琉々の靴を脱がせ、靴下を取りまたも癒やす。

琉々はくすぐったいやら恥ずかしいやら大混乱してしまった。

「馬···鹿、自分の怪我が先でしょう···」



〘彼は言う、絞り出すように〙



ブファスは琉々を見た。その瞳は黒く、なんの感情も浮かんでいない。

「俺は悪魔だ。闘争、欺瞞(ぎまん)を司る。そう生まれ落ちた」

琉々はこく、と頷いた。もう冗談だって笑えない。

「お前が思いつきもしない程の昔、俺はこの世のすべてを殺した」

琉々は、ブファスを見つめている。

「父、母、赤子、姉、弟、叔母、師、子、王、なんでも、全て。残された者が抱くものは、怨嗟(えんさ)だ。俺を殺そうと日々襲いかかる」



〘俺の願いは〙



「俺はある日、本当にひょっとした事で、自分の行動を悔いるようになった。もう誰も傷つけたくない。だが、生まれた怨嗟(えんさ)は消えることはない」



〘許しだ、と〙



「俺はそれから、皆の恨みをこの体に刻んでいる。何をしても死にはしない。ただ苦しむだけだ。それで気が済むのなら、いくらでも傷つけていい」

次回4/1更新

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