死がない男
しが‐な・い――取るに足りない。つまらない。貧しい。みすぼらしい。
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076
居間で目を覚ました。――居間なんていう高尚な物じゃないか。
ボロアパートの床に体を打ち付けて、今まで気を失っていたことに気付く。何回目だろうか。天井を見上げると、薄いベニヤにまた穴が開いていた。もう相当古い建物だから、しょうがないことなのだろう。大家さん、怒るだろうなぁ。首に纏わりつく縄をゆっくりと外した。
「なんか、食べなきゃ。」
冷蔵庫に一つだけ残っていた温い卵を焼いて、醤油をかけていただきます。
少し変な味がしたけど、火を通しているからきっと大丈夫だろう。
「ごちそうさまでした。」
窓の外を眺めると――眺められるほど綺麗じゃない窓を無理矢理開けると、雨で冷やされた湿っぽい空気が部屋の中に流れ込んできた。息をはあっとかけると、六月だというのにそれが白く染まる。
ふと、もう何も残っていない冷蔵庫の中身を思い出し、また働かないとなと思った。
外に出ると雨はもう止んでいた。雨の匂いを感じながら、行く当てもなしにとりあえず歩を進める。
駅前に所狭しと並びたつ定食屋やら牛丼屋で「働かせてください」と言って回ったが、歯牙にもかけず追い払われた。日雇いのバイトでも思ったけれど、どうやって調べればいいかわからなくて諦めた。
こんな奴に対する風当たりは思いの外強くて、風よけのために、アパートへと帰った。
077
風呂場で目を覚ました。
風呂に入っていると眠くなってしまって良くない。――実際は眠たくなるわけじゃなくて、気絶しているだけらしいけれど。
浴槽から上がり、すっかり冷えた赤黒い水を排水溝へと流した。
ヨタヨタと足をキッチンへと向ける。けれど途中で、冷蔵庫にはもう何も入っていないことに気付いて止めた。
「腹、減ったな…。」
風呂場からキッチンまでの短い廊下に力なくドサリと腰を下ろす。
「あー……。」
078
風呂場からキッチンまでの短い廊下で目を覚ました。
気付いたら、また寝てしまっていたようだ。成長期の子供か。もうずいぶんと長い間、何も食べていない気がする。
目の前の、染みの付いた壁をボーッと見つめていると部屋の扉をガンガンと叩く音がした。
扉を開ける前に扉が開いた。鍵なんてものはここにはない。
入ってきた奴らは警察だと名乗った。初めて見る警察手帳では、彼らが本物なのかどうかなんて、わかるはずもなかった。
彼らは部屋の中を一通り調べ尽して、部屋の中に散乱した縄を見て動揺していたようだったが、結局それについてはなにも言われなかった。最後に風呂場をしつこく調べ回して、「なにも無い」みたいなことを言って帰って行った。あたりまえだ。残したことはない。
寝すぎてか、頭がクラクラしたので散歩にでも出ることにした。腹ごなしならぬ頭ごなしというわけだ――それだと意味が変わってしまうけれど。
外に出ると遠くでかすかに蝉の鳴き声が聞こえた。フラフラと歩いていたら車に轢かれた。
079
灼熱のコンクリートの上で目を覚ました。
日は天高く昇っていて、今日がいつなのかわからなかった。蝉の声がうるさかった。キュルキュルと鳴る腹の音に、流石に何か食べないとまずいなと思った。
ふと、隣から声をかけられた。
「大丈夫ですか?」声は言った。
「えぇ、まぁ。」と答えた。
「そんなわけないです!そんなボロボロで…、お宅はどこですか?」声は言った。
「大丈夫ですよ、ほん――と――」
答え切る前に、意識を失ってしまった。
目を覚ましたのは、見知らぬ場所だった。
柔らかなソファの上に横たわっているようだった。
「あ、目を覚ましましたか?」声は言った。
「あぁ……。」
ジュウという音はどうやら声ではなく、料理をしている音らしかった。
「随分とお腹すいてるみたいだったので、運んできちゃいました。」エヘヘ、と声は言った。
救って――助けてくれたってことか。取るに足らない、つまらない俺を、助けてくれたということか。
あはは――はは。
ふざけるな。
「なっ!なにするんですか!止めっ――!」
お前は俺を殺す気か。
こんなに死にたがりの俺がやっとの思いで、このゴミみたいな中生きているっていうのに、俺を殺す気か。
殺してやる殺してやる――殺してやる。
俺はまだ、死にたくないんだ。
はは、これでまだ、生きていられる。
声の死体を残さず食べて、窓の外を見たらマンションのようだったのでベランダから飛び降りた。
死がなくなけりゃ、生きていけない。殺されるのは、耐えられない。