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忘れたいと嘯きながら、結局ずっと、君を好きなままなんだ

作者: 二十日

会いたいと思った。でも、会えないのは誰よりも自分がよく知っていた。だから、届かなくても想い続けることだけはどうか許してほしいと、それだけを願っていた。そんな日々に終わりが来ることがあるなんて、どうしても想像がつかなかった。


 

 凍えるほどの寒空の下、みずきは一つくしゃみをした。ずずっと鼻をすすりながら、風邪だろうかと首を傾げる。そこに、底抜けに明るい声がかかった。

「みっちゃん、カゼー? 大丈夫?」

 酔いのためか、少し抑揚がつきすぎた可愛らしい声は、去年まで同じゼミ仲間だった女の子のものだ。大丈夫と笑ってみせると、彼女は一つ頷いて、すぐに傍の友人たちとの談笑に戻った。

 去年の春、大学を卒業してそれぞれの進路に進んだ仲間たちが、久しぶりに集まろうと開かれた飲み会の帰り道。学生時代ほど羽目を外すことはなくなったものの、まだまだ若さに任せたどんちゃん騒ぎも終盤に差し掛かっている。以前のように「帰りたくないから泊めて」と言い出す者もなく、終電を目指して駅までの短い道を、ふざけ合い、どつき合いをしながら歩いていく。

 その様子を、仲間内で唯一大学院への進学という進路をとったみずきは眩しいもののように眺めていた。学部を卒業してまだ1年足らずの時間を社会人として過ごしただけで、人はこうも大人びていくのかと、半ば感心していたのだ。

「みずきー、なに黄昏てんだよー」

 一行の最後尾を黙って歩いていたみずきに、今度は男子の方から声がかかる。男女半々のゼミ仲間は、学生にありがちな恋愛沙汰を一切起こすことなく、ずっと全員仲良しのままで今に至っている分、誰彼構わず言葉に容赦がない。「黙ったままだと老け込むぞ」と、ゲラゲラ笑いながら覗き込んでくる彼に、失礼な、と怒るふりをしてみせる。

「こちとらまだ22だもんね、誕生日きてないし。老け込んでるのはそっちでしょ」

「歳カンケーねーよ、今日のお前、話してる時と黙ってる時で、印象10歳分くらい違うかんな?」

「言えてる、みっちゃん、話し出すと未だに高校生にしか見えないし」

「でも、髪ばっさり切った分、外見は大人っぽくなったよねー。黙ってたら年上にも見えるよー」

「ほら、今日は居酒屋でも年齢確認されなかったし!」

 会話を聞きつけた他の面子も参戦してきて、そこからは誰が一番変わったかとひとしきり騒ぎが始まる。服装が、髪型が、メイクがとそれぞれの変わったポイントを共に挙げながら、結局一番なにも変わっていないのは自分だろうと、みずきはひっそり落ち込んだ。

 他の皆は生活環境が変わり、人付き合いの幅が変わった分だけ、外見以上に精神的な影響を受けているのが言葉の端々から伝わるが、自分にはそういった変化の要素はない。強いて言うなら、もともと興味が強かった学問に、さらにのめり込むようになったくらいだ。


 そう、変わっていない。なに一つ。心に沈めて忘れると決めた想いさえ、燻ったまま。


「そういえば、みっちゃん、前に言ってた人どうなったの?」

 もうそろそろ駅に着くというところで、話題に飽きたのか、聞く機会をうかがっていたのか、女子の一人が唐突に疑問を投げてきた。思考を読まれたかとみずきは一瞬背筋を凍らせたが、表情が顔に出る前に、あえてにっこり笑ってとぼけてみせる。

「えー、なんのこと?」

「ほら、卒業する前によく話してたじゃん、部活に仲いい人がいるって。その後進展はないの?」

 あくまで無邪気に聞いてくる彼女と、興味津々といった風情でこちらを眺めている他の仲間達を見渡して、みずきはぺろっと舌を出してみせた。

「ないよー、仲いいって言っても、ただの友達だったし。卒業してからは会う機会もないもん」

 そう言った途端、えーっと全員からブーイングが上がる。

「うそー、だってみっちゃん、絶対その人のこと好きなんだと思ってたのにー」

「しかも、お互いの家で飯食ったりしてたんだろ? それで普通の友達止まりってなんなんだよ」

 お前流石にそれはないわ、いっそ押し倒してみろよなど、好き勝手言いだす仲間達に、「だってさー」とみずきはさらに笑顔を向ける。

「恋愛感情、よくわかんないんだもん。なんで普通の友達じゃいけないの? 一緒にいて楽しければ、それでいいじゃん、あえて恋愛に持っていかなくても」

 そう言った途端、気のいい友人らは「あーもう、そうだった、こいつはこういう奴だ」と頭を抱えて絶叫する。みずきが「うるさい、近所迷惑」と突っ込むと、叫ばせてんのはお前だとさらに声があがった。

「みずき、別にそいつじゃなくてもいいから、ちょっとは恋してみようって気はないのかよ?」

「そうだよ、隣のゼミの加藤、まだお前のこと気にしてるっぽいぞ? 卒業前に告白されたんだろ?」

「そりゃ、他に好きな奴がいるってんならともかく、研究が恋人だからなんて断り方されたら、まだ脈あるかなって、思う奴は思うだろ」

 口々に卒業前の一悶着のことまで持ち出してくる彼らに、ゴシップの火種は想像以上に消えないもんだなと思いながら、みずきは口を尖らせた。実際、ちょっとすねたい気分だ。

「だって本当に研究が恋人だもん、しかたないっしょ」

「いや、まぁ確かに、卒論の時のこととか見てたら、そうなんだろうなとは思うけどね」

 女子の一人が苦笑しながらフォローを入れてくれる。みずきが卒論の時期にバイトをこなしながらも、文字通り寝食を忘れて研究に取り掛かっていたことも、その成果として提出された卒論が教授のお気に召し、学会への論文投稿を持ちかけられたことも有名な話だ。

「でも、みっちゃん、なんだかんだ人一倍さみしがり屋なんだから、やっぱり相手はいた方がいいんじゃない? また寝るのも食べるのも忘れた時にはストッパーになってくれる人とかさ」

「そうだよ、皆卒業しちゃったんだから、お前が甘えられる奴、もう大学には残ってないだろ」

「そうでないなら、その集中すると全部忘れる癖を直せ」

 やいのやいのと言いながらも、結局は心配してくれているらしい友人達に、こればかりは、みずきも苦笑しながらも頷く。

「……努力します」

 それだけは本当に気をつけなければと思っていると伝えると、かつてのゼミ仲間達はようやく追求を諦めてくれたようだった。折良く、駅の改札口の前に辿り着く。大学の最寄駅であるこの駅を、今も自宅の最寄駅としているのはみずきだけだ。

「じゃあ、またね」

「次はゴールデンウィークにでも集まろうぜ」

 そんなことを口々に言い交わしながら、手を振って別れる。みずき以外は皆相手いるから、次に会う時には誰かの結婚話が聞けるかもね、などと笑ったのを最後に、仲間達は改札の奥へと消えていった。

 それを完全に見送ってから、みずきも自宅に向かって歩き出す。駅を出て、暗闇に沈む住宅街を歩くこと15分。辺りはとても静かだった。

「だって、研究が恋人なんだもん」

 ぽつりと、先程、仲間達に大いに主張した言葉が口をついて出た。とっさに出たにしては良い断り文句だったと、自分では思っているのだ。だって、本当ではないけれど、嘘でもない。こうして友人達と遊ぶための時間を作るのだって、日々の研究予定を前倒しで詰めることによって、初めて成立するのだから、決して嘘ではないのだ。ただ、真実の全てではないというだけ。


-なんで友達じゃいけないの?


 同じく、先程口にした言葉が頭の中でリフレインする。みずき自身の声ではなく、学部時代のみずきのほとんどを埋め尽くしたと言える、最も大事な人の声で。

 そう、最初にそう言ったのは、本当にそんなことを思っているのは、みずきではないのだ。卒業前に特別になりたいと望んだみずきに返ってきた、心底困ったような、それでいてむくれたような声と表情。「みずきは男でも女でもなく、みずきでしょ。恋愛対象としては意識できないし、そういうのなくて楽だからこそ、一緒にいたのに」という言葉。全部全部、あの人のもの。

 あの日から、みずきは自分の性別にちょっと自信がない。自分では間違った性に生まれたとは思わないが、一番認めて欲しかった人に、自分の性別が認められていなかったという事実が、みずきの心を重くする。それまでもよく言われていた「中性的だよね」という周りからの評価が、いきなり最も聞きたくない言葉になり、同時期に告白してきた相手も後から同じことを言い出すのではと疑う程度には、傷付いた自分を自覚していた。

 だが、相反するように、納得もしているのだ。元々、自分をそんな風に見ていないのだということは心のどこかでわかっていた。それでも、どうしても望みを捨てきれず、無理矢理自分のものにすることもできず、卒業まで共に居続けたのは自分の方。共にいるだけで満たされる安心感と、恋している自分ではきっとこの人を引き止めることはできないのだという苦しさに板挟みのまま、ずるずると過ごし、そしてそんな関係に終止符を打つための告白だった。だから、言われた言葉はほとんど予想通りのもので、こんなに引きずることの方が自分でも予想外だったのだ。

 そしてそれから、その相手の方からみずきに連絡をしてくることはない。最後に会った時には、先程の仲間達と同様に「またね」と手を振って別れたが、恐らくもう二度と会ってくれないだろう。そういうところは妙に潔癖な人だった。それをわかっていて、あえて振られにいったのだから、どんなに寂しくても自分がそこに文句をつける筋合いではないと、みずきは重々承知している。

「……まぁでも、卒業式に顔合わせた時は普通に話せたから、終わり良ければすべて良し、だよね」

 そんなことを嘯きながら、はぁーと白い息を吐いて、凍てついた星空を見上げる。大学院に進学すると同時に引っ越したアパートまであと少しだ。そこには、今頭に思い描いている相手との思い出はないから、きっとこんな感傷もすぐに消えてくれるはず。前の部屋のままだったら、思い返すたび苦しくなっただろうから、駅から少し遠くなったとしても、この引っ越しは大正解だ。

「早く、春が来ないかなぁ……」

 きっと春が来ても、この胸の内がすぐに軽くなることはないだろうけど、暖かくなって花が咲けば、もしかしたら何か変わるかもしれない。髪を切っても、脇目を振らず研究に打ち込んでも変わらなかったものに、少しでも変化をもたらしてくれるものなら、みずきは何だって歓迎する。幸い、年度が変わる頃には取り掛かっている研究も大詰めになり、新たな後輩も入ってくるだろうから、変化の要因がないわけではない。

 早く変わりたいなぁと呟きながら、自宅の鍵を開けて、ドアをくぐる。早く変わって、新しい恋もできるようにならないかなと、本当はいつだって思ってる。


 それでも、変わった先の、あの人への気持ちを忘れた自分の姿が、全く想像できないから、困るんだよな。

 

「研究だって仮説を立ててからその証明を目指すのに、到達点が見えないものを、どうしたら目指せるんだろうな?」

 誰もいない部屋でそんなことを言いながら、電気をつけて、机の上に置いていた未読の論文を手にとった。

 結局、意識をそらす方法をこれしか知らない自分は相当バカなんだろうなと苦笑を漏らして、みずきはそのまま知識の海に沈んでいく。

 いっそ誰か記憶の消し方の研究してないかな、と埒もないことを思ったのが、その思考の最後だった。


相手に言われた言葉を繰り返しているうちは、忘れられない事実にも気付けない。

そんな終われない恋が書きたかったのです。

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