レナ大焦り
「旦那、りっぱな、りっぱなお覚悟です。微力ながら、私どももお力添えさせていただきます。だろ、レナ」
イェルドは、ぐぐっと拳を握りしめ、目に感動の涙を一杯にたたえながら叫んだ。
「ちょっとイェルド、言葉遣いが変わってるわよ。それに、何を勝手に約束してんのよ」
レナ、大慌てである。
「何言ってんだ。これだけのお覚悟を見せていただいたんだ。ご協力申し上げないなんて法があるもんか」
イェルドは、目の色を変えて主張した。
レナは、思わず一歩後ずさりながら反論した。
「だけど、協力するのはあんたじゃなくて、あたしじゃない。あたしの弟子になりたいってんだから」
「すぐに近衛にでも取り立てていただけるだけのご身分を持ちながら、町の魔術師の弟子にもなろうとおっしゃってるんだ。おまえの弟子だろうが俺の弟子だろうが、なりたいとおっしゃるなら協力するのが当然だろ。違うか?」
その諭すような口調が癇に障ったレナは、イェルドに詰め寄った。
「あんたの弟子になんかなりたいわけないじゃない。なったって、せいぜいパンの切り方を教えるくらいでしょっ」
「俺の弟子なんてのはたとえだたとえ。そりゃ、肉の焼き方を覚えたいっておっしゃるなら、いくらでもお教えするけどな」
イェルドは、大きくうんとうなずいた。
「そんなもの教えてどうすんのよっ」
レナは、いらだちがつのりはじめていた。
それまで跪いたまま黙っていたカールが、初めて口を開いた。
「いや、それも大事なことだ。食事は、軍事行動の基本だ」
「それが何なのよ!」
そろそろ爆発しそうだ。
「何が食べられるとか、兵の士気を落とさないために味の良い調理をする方法とか、そのような知識を増やすためなら、イェルド殿にも教えを請いたい」
「なんでっ、町のっ、屋台でっ、そんなことをっ、覚えられるとっ、思うのよっ!」
完全に頭にきたレナは、カールに、一言一言を叩きつけた。顔が真っ赤だ。涙まで浮かべている。今にも何かの呪文を唱え始めそうだ。
その様子に気づいたイェルドは、青くなった。やばい。
「レ、レナ、気を落ち着けて。魔術なんか使うなよ」
レナは、イェルドに向き直って怒鳴った。
「こんな時に使う魔術なんか、知らないわよっ。何を震えてるのっ」
「そりゃおまえ、そりゃあ・・・・・・」
言いよどむイェルド。何を言っても怒りに油を注ぎそうだ。こういうときは、時間を稼いで、レナの頭が冷えるのを待つしかない。
「ま、まだお名前を伺っていませんでしたよね」
びくつきながら無理に話題を変えるイェルド。顔はカールに向いているが、ちらちらと目だけでレナを盗み見ている。レナは、そんなイェルドを、間抜けなことを言ったらぶっ飛ばすわよと言わんばかりに睨んでいる。
そんなレナに気づいているのかいないのか、カールは、大真面目に答えた。
「おお、まだ名乗っていなかったな。失礼いたした。私の名は、カールと申す。先ほど話したように、ネッケル家の五男で、国王の近衛か、せめて護衛士として取り立てていただけないかと、ホルミントルから出てきた」
落ち着いた話しぶりだ。レナの怒りは、カールに全く通じていないようだ。おかげで、イェルドも少しずつ落ち着いてきた。
「あの、こいつの弟子になりたいってことなんですが、そうしなきゃいけないもんなんですかね」
「うむ、魔術で長靴をちょっと押さえられたくらいで負けてしまう剣士など、何の役にも立つまい。なんとしても魔術を覚えねばならん。そのためには、レナ殿のように優れた魔術師に師事すべきと思うのだ」
怒りを向けた当の相手から賛辞を受けたレナは、複雑な顔になった。
「でも、あの剣士は、あの呪文にたっぷり一分はかかりましたよ。魔術を使うと知っていれば簡単に勝てたでしょう」
「隠れて呪文を唱えられれば、気づきはしない。気づいたときには手遅れだ。あのような場では勝てても、戦場では勝てまい」
イェルドは、思った。カールは自分に厳しすぎるんじゃないだろうか。でも、戦場で生き残るには、希望的観測に頼ったり現実から目を逸らしたりしちゃいけないと、じいちゃんも言っていた。カールは、それを体現している。英雄ネッケル家の血筋とはこういうものなのか。感動だ! なんとしてもお役に立ちたって差し上げたい。
「では、こうしてはどうでしょう。まずは、仕官を願い出て、とにかく取り立てていただくのです」
「しかし、まともにお役に立てないのにそのように厚かましいことはできない」
「いえ、仕官してしまえば、周りに魔術を使う剣士がいるはずです。先ほどの剣士は、ルブレヒト子爵の護衛士です。大きな声では言えませんが、ルブレヒトは、貴族の中でもあんまり強いほうではないと言われています」
「そんな者に負けたのだから、なおさら仕官などならん」
「そこですよ。まずは仕官して、周りの剣士に魔術を教わられればいいではないですか。国王の護衛士なら、きっと優れた魔術を使いますよ」
カールは、手を広げて強調するイェルドに向かって首を横に振った。
「そうすると、ネッケル家の名に泥を塗ることになる。ネッケル家が、剣士のあるべき姿をとらえ損ねたと思われるなど、耐えがたいことだ」
レナは、当初の怒りこそ収まったものの、カールのくそ真面目ぶりを見て、またいらいらしてきた。
「カールさん、いったん家に帰ったらどうなの? あんたんとこにも魔術師くらいいるでしょ。その魔術師に教わって出直せばいいじゃない」
カールは、その通りかもしれないと思った。自分の力が至らないことが分かったからには、もう一度鍛えなおす必要がある。まず、ネッケル家に仕える魔術師から魔法を教わるべきかもしれない。しかし、カールは、すぐにその考えを否定した。
「いや、当家に仕える魔術師は、先ほどのレナほどの腕ではない。戦闘では、いかに素早く行動するかが明暗を分ける。レナ殿の魔術は、威力だけではなく、すばらしい速さを兼ね備えていた。私に必要なのは、レナ殿の魔術なのだ」
「カールさん」
レナは、姿勢を正し、まっすぐにカールの目を見て話し始めた。
「いいかしら、よく聞いてね。町の魔法屋の仕事は、戦闘じゃないのよ。戦闘に役立つ魔法なんか使わないの。使う魔法はね、下水掃除とか、畑起しとか、そんなのばっかりよ。要するに便利屋なの。もちろん、お金にはなるけどね。戦うためのものじゃないの」
「いや、しかし」
レナは、人差し指を突き付けてカールの言葉をさえぎった。
「しかしも何もないわよ。あんたは、便利屋になりたいわけじゃないんでしょ。鐘を時計塔のてっぺんまで持ち上げるお役に立ちたいわけ? 違うでしょ」
確かに違う。カールは、国王のお役に立てるための魔術を覚えたいのだ。カールは、迷い始めた。
くそ真面目で助かるわ。カールの様子を見ながら、レナは、心の中でつぶやいた。下水掃除や畑起しの魔術でも、使いようによっては恐ろしい武器になる。先ほど二人を押しつぶした魔術も、下水の流れの悪いところに圧力をかけるための魔術なのだ。第一、先ほどの護衛士がカールにかけた魔法も、物を動かないように押さえるだけの、単純な魔術である。そこに気づかないなんて、真面目すぎるからでしょうね。おかげで助かるけど。
カールは、説得されかかっていた。
「確かにその通りだな。家に帰って父上にご報告する方が良いだろうか。私だけではなく、我が家の今後に関わることになるかも知れんしな」
「そうよ、是非そうしましょう。決まりっ!」
説得成功。レナは、肩の荷が下りたような気がした。まだ十六才なのに、弟子を取るなんて責任を背負い込むようなまねができるもんですか。そんなの、自分の店を構えてからで十分だわ。あと十年は勘弁してほしいわね。
ところが、しゃくに障ることに、カールの役に立とうと一生懸命なイェルドが名案を思いついた。
「そうだ、レナ、お前の弟子がだめなら、じいちゃんに紹介して差し上げろよ。王軍魔術師だったんだからちょうどいいじゃないか」
レナは、イェルドの首根っこをつかんで引き寄せた。
「あんた、なんでそんな余計なことを思いつくのよ。せっかくあきらたのに」
ささやき声だが、表情は、イェルドの耳を今にも噛み千切ろうとしているようだ。
「だって、カール様がかわいそうじゃないか。おまえ、冷たいよ。あんな言い方ないだろ」
「無責任なこと言わないでよ。あんたじゃなくてあたしが面倒見ることになるんだからね」
「おまえのじいちゃんの弟子にしてもらえばいいって言ったんだよ。おまえじゃない」
「屁理屈をこねるなっ」
「ぐええ」
レナがイェルドの首を締めた。
カールは、考え込んでいた。
レナは用心するように、そのようすを見つめた。
イェルドは、死んだふりをしながら見守った。
やがて、カールは、意を決して言った。
「レナ殿」
「何よ」
「何よじゃないだろう」
レナは、うるさそうにイェルドを見やりながらも言い直した。
「何でしょう」
それでよしとうなずくイェルド。こいつの嫁さんになる女の子は大変だわ、などとどうでもいいことを考えるレナ。
「当家への連絡は、手紙で十分だ。私は、これまで魔術の訓練をしてこなかった分を、少しでも早く取り戻したい。是非、あなたのおじいさまに紹介していただけないだろうか」
「殿、ご立派!」
再び感激して涙を流すイェルド。またぶん殴ってやろうかしら。でも、鼻血と涙が一緒になるところなんて、もう見たくないわ。先ほどのイェルドの情けない姿を思い出して気分の萎えたレナは、もうどうでも良くなった。
「分ったわよ、おじいちゃんに紹介してあげる。だめだったらあきらめるのよ。いいわね」
カールは、大喜びで、目を輝かせて叫んだ。
「かたじけない。恩に着るぞ」
「あー、古くさい言い方」
レナの捨て台詞。盛り上がる男二人の耳には届かない。