イェルドの屋台
夕方ゴグネスバネットに着いたカールは、商人と別れて、自分の持ち金でも泊まれそうな宿を探していた。盗賊が置いていった金のことは、それを腰に括り付けているくせにすっかり忘れていたから、清潔な宿の中で一番安いところを探そうと、何件もの宿を見て回っていた。新しくて明るい雰囲気の宿や古くても清潔な宿はやはり高い。かといって、カールが安いと思うような宿は、妙な雰囲気だったり、いかにも南京虫か何かに悩まされそうな不潔ぶりで、いくら安くてもそういう宿に泊まるのはいやだった。やはり、故郷のホルミントルに比べるとゴグネスバネットの物価は高い。手持ちの金の乏しさから、仕官前にやってみたかった街中の見物などあきらめて、少しでも早く仕官すべきだろうと考えた。少し残念な気もするが、そもそも物見遊山に来たわけではないのだから、それでもかまわない。
ここはという宿が見つからず、そろそろ適当なところで妥協しようかと考え始めていると、街角の屋台からいいにおいがしてきた。パンや菓子を売る屋台だ。頼めば、肉などを焼いて挟んでくれるらしい。宿代と違って、カールにも適当と思える値段だ。
「ちょうどいい、腹が減った。あそこで少し食っていこう」
屋台には、スープでパンを食べている武士がいた。貴族としては質素な身なりだし、こんなところで食事をしているところを見ると、どこかの下っ端護衛士だろう。カール自身と同じように、家督を相続する望みがない領地持ちの子息かもしれない。カールは、その武士になんとなく親近感を感じ、その武士の横に陣取って屋台の若い店員に肉と野菜を挟んだパンを頼んだ。きっかけがあれば、何か話ができるかもしれない。
屋台の柱にもたれてできあがるのを待っていると、なにやら、屋台の反対側から女の声が聞こえてきた。声からすると、まだ若いようだ。
「ねー、イェルド、私のせいじゃないわよね。呪文を唱えながら発熱石に当たり散らすなんて、考えもしないわよ」
なじみ客とおぼしき女の相手をしている店員は、イェルドという名前らしい。
「あんたの親父さんは、わざと鈍い反応をするようにプレキャストしてたってわけだな」
「なによ、私がそれを見抜けなかったのが悪いっての?」
「そんなこと言ってないよ。ニルス・ハンソンの技はさすがだなあと思っただけだ」
「つまり、私にはハンソン魔法店の店員らしい注意深さがないと言いたいのね」
「おいおい、そんなこと言ってないじゃないか。レナ、おまえ、焼き菓子食っただけで酔っ払っちまったのか?」
店員は、くだを巻く女に辟易しているようだ。この屋台は、酒を置いていない。素面でくだを巻くとは器用なものだ。興味を持ったカールは、女が見えるように首を伸ばした。
顔を真っ赤にして目をつり上げた少女がそこにいた。そんな表情をしていても、かわいらしい顔立ちだった。手を振り回して焼き菓子のかけらを散らかしている。
「ふふん」
カールの横で食べている武士が鼻で嗤った。顔を屋台の看板に向けているが、目は少女を見ている。明らかに少女を馬鹿にしているのだ。
少女も気づいたらしい。
「なによ。陰でこそこそ笑わないでよ」
「陰でこそこそとはなんだ。おまえが気を悪くしないように、あちらを向いて笑っただけだ」
「やっぱりこそこそしてんじゃないのよ」
男は、かりかりしている少女をからかうことにしたらしい。まっすぐ向き直ると、笑いながら好き放題を言い始めた。
「親方の配慮を見抜けなかったのを客のせいにするなんて、とんでもない女だな、おまえは。こんな奴を雇っている店の方がかわいそうだぜ」
レナは、つんとあごを上げた。
「雇われてるんじゃないわ、店主の娘よ」
「それじゃ、店も今の代で終わりだな。やれやれ、かわいそうな親父さんだ」
「なんだとお」
男はにやにやしながら、少女の怒りを煽っている。
店員は、なにやら焦り始めている。
「お客さん、店の前でけんかしないでくださいよ。ほら、この娘もおとなしくさせますから」
そこに、屋台を回り込んできた少女の見事な合いの手。
「えーい、黙れ、イェルド!」
「全然おとなしくしないじゃないか。これでは、客が離れて、今の代だけでも店が保つか疑問だな」
「やめてくださいよ、お客さん。こいつを怒らせるとやばいんですよ」
店員は、泣きそうになりながらカウンターの外に出てきて間に割り込み、二人を引き離そうとした。だが、護衛士は、かえってそれを面白がり、さらにいろいろと馬鹿にした。少女の怒りは、油を注がれたかのように燃え上がった。
店員がやっと少女を護衛士から遠ざけた途端、少女が静かになった。目が据わっている。怒りのあまり声も出ないのか、と見えたが、そうではなかった。何か呪文を唱えているらしい。唇の動きからするとかなりの早口だ。
それに気づいた店員は、顔色を変えた。
「お客さん、逃げて! レナ、やめろっ!」
店員の剣幕に一瞬ひるんだ男の手の中で、いきなりパンが爆発した。挟んであった挽肉がそこら中に飛び散った。男の顔にもべったりと張り付き、服も脂で汚れてしまった。
「この女!」
気軽に楽しんでいるつもりだった男は、熱い肉が顔に張り付いたことで我を忘れて怒り出し、少女の手首をつかんで怒鳴りつけた。
「さあ、謝れ。素直に謝らんとただではおかんぞ!」
大の男が暴力に訴えようとしているのに、華奢な少女は、少しもひるむようすがない。それどころか、こう言ってのけた。
「その程度で勘弁してあげるわよ。ここの店員が泣いて頼むからね!」
確かに、その店員は、泣いて頼んでいた。
「やめてくれよ、レナ。そこまでにしてくれよお」
「ほらね」
男に腕をつかまれたままなのに、勝ち誇ったような少女。
男は、何を勝ち誇られたのか理解できず、戸惑った。そのうち、どうやら自分を馬鹿にしていると考えたらしく、少女に向かってげんこつを振り上げた。カールがその男に対して感じていた親近感は、それを見て消え失せた。
「待ちなさい、大人げない」
そのげんこつは、振り下ろす前にカールに押さえられた。カールは、つまらない暴力沙汰が目の前で起こることを許すつもりはなかった。
しかし、手遅れだった。少女がさらに何かの呪文を唱えたのだ。
短かったから強力な魔法ではないはずなのに、カールは、男もろとも吹き飛ばされ、石造りの建物に激しく体をぶつけてしまった。一瞬目の前が暗くなった。
ふらふらする頭を押さえつつカールが立ち上がると、一緒に吹き飛ばされた男もやっと立ち上がったところだった。
「おのれ、馬鹿にするとどうなるか見せてやるぞ」
怒り狂った男は、剣を抜き放つと、足下が怪しいながらも、大きく踏み出してカールに斬りかかった。
「待て、なぜ俺に?」
面食らったカールが慌てて一歩下がると、男は、怒鳴りながら追ってきた。
「なにを言うか! 女に手を上げるなどとは、確かに私も大人げなかった。しかし、いきなり人を投げ飛ばすような輩には手加減せん!」
渾身の勘違いを込めて剣が振り下ろされた。カールは、何か釈然としない思いを抱きながらも、自分の剣を抜き、男の攻撃を受け止めた。
なぜ自分が戦わねばならないのか、全く納得いかなかった。最初のうちは困惑のせいで防戦一方だったが、幼い頃からの訓練がものを言ったか、男の闘志が乗り移ったか、そのうちに体が自然に動き始めた。
本気になったカールは、強かった。あっという間に男を追い詰め、切っ先をのど元に突きつけて動きを封じた。
「この程度の腕で護衛士とは笑わせる。見逃してやるから、さっさと行ってしまえ」
居丈高に言葉をたたきつけるカールを、男は、じっと見ていた。何を考えているのか、しばらくの間身動き一つしない。
カールは、このときに気づくべきだったのだ。男が口の中で呪文を唱えていることに。
しばらくして、男は、剣を杖にして立ち上がった。カールは、剣を収め、一歩下がろうとした。
と、長靴が動かず、カールは、ぺたんとしりもちをついてしまった。慌てて立ち上がろうとするが、長靴が妙に重くて思うように動けない。
その隙に、男が近づいてきて、カールに剣先を突きつけた。さらに何かの呪文を唱え続けている。
「おのれ、剣士の戦いに魔法を持ち出すとは卑怯な奴」
男は、カールの抗議に、呪文詠唱を中断してこう言った。
「おまえ、いつの生まれだ? 若そうなのに、考えの古い奴だ。今時は、魔法の腕と剣の腕、 両方そろわんと使い物にならんことを知らんのか」
「ご託を並べるな。どのみち半端な剣術をごまかす姑息な手ではないか」
男は、ふんと鼻を鳴らした。
「おまえのように苔の生えた石頭は、今の時代にはいらん。覚悟しろ」
男は、剣を大きく振りかぶった。
カールは、覚悟を決めた。こんな卑怯者に殺されるのは業腹だったが、負けは負けだ。せめて立派な武士らしく振舞おうと、胸を張り、その男を真正面からにらみつけた。
しかし、男の剣は、カールに降ってこなかった。その代わり、男は、上から何かとてつもなく重いものにのしかかられたかのように腰が砕けて姿勢を崩し、つぶれながら倒れてしまった。その直後、その力は驚くカールをも襲い、二人ともその場に押しつぶされてしまった。
「暑苦しいわね、この男達は」
レナは、鼻息を荒げて、つぶれた二人をにらんでいた。
「レナ、殺しちまったんじゃないだろうな。店の前で物騒なことはやめてくれよ」
震える店員の言葉に、レナは、つんと顎を上げて答えた。
「大丈夫よ。空気の塊を上からぶつけただけなんだから。怪我くらいはしたかも知れないけど、死ぬなんてことないわ。たぶん」
「たぶんって、なんだよお」
店員がおそるおそる様子を見に近づくと、男がゆっくり目を開けた。
そして、店員の後ろにいる少女に気づくと、手足をばたつかせて後退しながらわめいた。
「おまえか、おまえがやったのか。おまえが黒幕か」
何の黒幕かよく分らないが、レナは、この男が自分を恐れていることを楽しんでいた。
「そうよ、まだやるつもり?」
「うわあああっ」
レナが一歩近づくと、男は、あらためて悲鳴を上げ、二度足を滑らせてやっと立ち上がると、一目散に逃げていってしまった。
「なによあれ、失礼ね。あたしのことを化け物だとでも思ってるのかしら」
レナは、ぷりぷりしながら足を踏み鳴らした。
「よっぽど怖かったんだろうよ」
店員は、自分が逃げ出したいくらいだと思いながら言った。
「何が怖いのよ。けんかを止めただけじゃない」
「まあ、いろんな見方があるんだろうな、きっと」
「黒幕って何よ」
「劇場で使ったりするよな、ほら、場面が変わるときとかさ」
これ以上レナに逆らうのは危険と判断した店員は、とぼけて逃げを打った。