レナ・ハンソン
バリバリー伯爵家の料理長は、よくしゃべる。
「やあやあ、よく来たな。ニルスが急用で来られないと聞いたときにはどうしようと思ったが、あんたが来てくれて良かったよ。ありゃ、かわいらしいなあ。十五才で組合から営業許可をもらったんだって? いやいや、さすがはニルスの娘さんだ。これならハンソン魔法店も安泰だなあ、あっはっは。経験1年でもプレキャストは一流だとニルスが自慢しとったよ。本当かいなと思っとったがな、いや、すまんかった。疑ったのは間違いだったね。あんたを見たとたんに本当だと分ったよ。よろしく頼むよ。先週あたりから竈の石の発熱が弱くなってな、煮込み料理くらいなら何とかなるんだが、焼いたり炒めたりにはちょっと足りないな。うちの厨房は薪なんか使ってないからね、石がしっかり発熱してくれないとお手上げなんだよ。最近はうちだけじゃないよね、薪を使わないのは。最近はどこのお屋敷でも竈に石を入れてるね。やっぱり、薪を仕入れなくて済むし、火熾しも始末も簡単だし、火加減も調整しやすい。いい魔法ができたよね。なんと言ったって,俺達でも石に魔法をかけられるのがいいね。私ら平民にとっちゃ、魔法が使えるってのはちょっとした自慢なんだよ。まあ、魔術師がうまくプレキャストしてくれなきゃいけないけどね。料理人ごとにかまどを用意しなきゃならんのも難儀だね。それでも薪よりずっといい。料理人もあんたのプレキャストを待ってるよ。あんたがどんな魔法を使うか楽しみだ。今日はいい肉が手に入ったんだ。うまい炒め物を作るぞ。あんたのプレキャストが頼りだよ。何せ、ニルスのプレキャストも、さすがに三ヶ月はもたないからね。ほら、発熱が弱いと、ぱりっとした感じにならないだろ、炒め物は。ばあっと火が入るくらい強く発熱してもらわんとな」
この料理長が厨房に案内している相手は、魔術師レナ・ハンソンだ。まだ子供と言ってもよい年齢だが、すでにプロとして認められた才能ある魔術師だ。今日は、大事な顧客である伯爵家に父の代役としてよこされた。レナは、父の信頼に応えようと張り切っていた。だが、料理長の言葉の洪水に圧倒されて、半ば呆然としてしまい、その心意気は忘れ去られてしまっていた。
料理長は、一瞬の休みもなくしゃべり続けた。小柄な人なのだが、しゃべるための体力は無限にあるようだ。レナは、料理長のおしゃべりに相槌を打つ隙すら見つけることもできないまま、いつのまにか厨房の竈の前に立っていた。
「この石じゃよ。ニルスがプレキャストしてくれたんじゃが、熱が弱い。他の魔術師だと1ヶ月持てば良い方じゃから、さすがではあるんだがな。じゃが、いつかは終わりが来るな。ああ、それからその隣もな」
レナは、一つ目の石に向かった。担当の料理人に呪文を唱えてもらうと、十分とは言えないものの、すぐに発熱が始まった。火加減の調整にも若干の問題があるようだ。料理人の呪文自体は、基本に忠実なものだった。レナは、料理人の呪文詠唱に合わせたプレキャストの呪文を唱えた。呪文の調整は、わずかで良かった。
呪文詠唱には十分かかった。発熱のプレキャストの呪文は長い。石自体の特徴や、それを使う者の呪文詠唱の癖に合わせたり、簡単に発熱させられ、かつ簡単に発熱を止められるようにするなど、とても微妙な調整が必要だからだ。父ならもっと短くて済むはずだ思うと、ちょっと悔しかった。
「うん、これなら何の問題もないよ。火加減の調整も簡単にできるし。ありがとよ」
石のできあがりを確認した料理人は、満足そうに礼を言った。
「満足してもらえて良かったです」
「ニルスのプレキャストよりいいや。すごく軽く調整できる感じだ」
料理人は、満足そうだ。
魔術師によって、プレキャストの効果は、ちょっとずつ違う。父親のプレキャストには地に足の着いた確実さがあるが、レナのプレキャストは、小鳥のような軽さが特徴である。それがお客さんの好みに合ったのはいいことだ。魔法屋には、良い固定客が必要なのだ。
レナは、二つ目の竈の発熱石を調べ始めた。軽く呪文を唱えてみると、わずかに発熱する。プレキャストが切れかけているにしても、反応が悪い。父親の魔術の腕を知っているレナには、納得がいかなかった。発熱量が小さいのはともかく、呪文を唱えてから発熱が始まるまでに、こんなに時間がかかるわけはないのである。そのくせ、温度を下げる方にはすぐに反応する。
「あんたかい、ニルスの代わりに来たのは」
後ろから横柄な声。声の主は、小柄な料理長をその巨体で押しのけた女だった。
「ニルスが急用って言うから誰を代わりによこすかと思ったら、こんな小娘かい。大丈夫なんだろうね。この竈は私のなんだよ。私にうまく合わせてプレキャストできるんだろうね。下手打ったらただじゃ置かないよ。バリバリーの旦那は、味にうるさいんだからね」
面倒くさい女だ。こんな女の相手などしていられない。レナは、さっさと仕事にかかることにした。
「呪文を唱えてみてください」
「ニルスはすぐにプレキャストしてくれたよ。何だってそんなことしなくちゃならないんだい」
いちいち文句の多い女だ。レナの声が冷たく事務的になった。
「あなたの呪文にぴったり合わせたプレキャストをするには、一度呪文詠唱を聴かせていただく必要があります。父は、あなたのプレキャストを知っていますから改めて唱えていただく必要がなかっただけですわ。ですからどうぞ」
料理人は、一言文句を言って気が済んだのか、意外に素直に呪文を唱えた。しかし、
「く・・・・・・」
レナは絶句した。
声は大きいが、発音が悪くて聞き取りにくく、抑揚もでたらめ。こんな呪文詠唱、魔法に対する冒涜だわ、レナは、そう思った。美しさというものが全くない。流れるような詠唱の中に求められる言葉が華麗に並び、不要な言葉はかけらもない、そういう理想の呪文詠唱とは対極にある。雑音の中に必要な言葉がわずかばかり含まれ、意味のない言葉が山のよう。呪文詠唱のあまりのひどさに相手の顔をまじまじと見つめ、その顔のあまりのひどさに、まあしょうがないと納得した。自分の欠点など考えたこともない顔だ。
反省しない者は進歩しない。父から何度も聞かされ、最近ではその台詞が出る前に逃げ出す技まで身につけた言葉。まさか、自分が言いたくなるとは思わなかった。お父さんも苦労してるのね。父親に、見当違いの同情をするレナだった。苦労させているのが誰なのか、全然考えていない。
だが、今は仕事中だ。レナは、気を取り直してちょっと石を調べ、良い石を使っていることに満足して、プレキャストの呪文を考案し始めた。石は素直な素性の良い石だが、使い手に問題がありすぎる。あのくだらない呪文詠唱に合わせるためには、プレキャストをぎりぎりまで魔法発動寸前に寄せておく必要がある。
プレキャストの呪文を決めるには、しばらくかかった。その間、あのうるさい女料理人は、脇でぐちぐちと何かを言っていた。レナは、魔法について考えているときには、周りの音など耳に入らない。そういうわけで、レナがプレキャストの呪文を決めた頃には、女料理人は、何の返事もしないレナに対してたいそう腹を立てていた。プレキャストの間に話しかけると魔法がうまくかからないことがあるので、黙らざるを得ない。その制約が、また、女料理人の怒りを煽った。
だから、プレキャストを終えたレナが確認のために呪文を唱えるよう頼んだとき、女料理人の詠唱は、怒りのこもったおどろおどろしいものだった。へたくそな詠唱にも敏感に反応するようにプレキャストされた竈の石は、その詠唱にあって過激に反応した。あまりに急激な発熱により強い歪みが生じ、破片をまき散らして割れてしまったのである。幸い、怪我をした者はいなかった。
「はっ、何なのよ。石が割れちゃったじゃないの。それでもニルスの代役なの。こんな半端者をよこすなんて、ハンソン魔法店も焼きが回ったもんだね」
口を極めてののしる女料理人。