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ハンソン魔法店  作者: 北野 いまに
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カール・ネッケル

 陰気な森の中を一本の踏みつけ道が通っている。うっそうとした樹冠が空を覆い隠して木漏れ日すら届かない。たまに何かのはずみで射し込むわずかな日光に、繁みの陰の半分腐った茸がどんよりと浮かび上がる。夏の昼下がりだというのに温かみのない空気は水分をたっぷり含み、歩く者の衣服をじめじめと濡らす。

 急な坂が続くこの道は、街道が迂回する丘陵地を突っ切っている。街道を通って大回りするのに比べると半分以下の距離になるのだが、上り下りが激しい上に湿った土で足元が悪い歩きづらい道だ。小さな黒い虫が目や鼻にまとわりついて、旅人をいらだたせる。大抵の者は時間がかかっても気持ちがよく平坦な街道をたどる。だが、先を急ぐ者ならば、あえてこの道を使うことがある。

 カール・ネッケルは、黙々とその道を歩いていた。年は十六。先の対神聖帝国戦争で大きな手柄を立てたネッケル家の五男だ。一族を統べる父が課す厳しい訓練に耐え抜き、つい先日、成人と認められたばかりだ。そして、成人したからには国王陛下のお役に立ってまいれと申し付けられ、ネッケルの領地があるホルミントルを出て首都ゴグネスバネットに向かうことになった。兄が四人もいては自分がネッケル家を継ぐ可能性はない。身を立てるには家を出て手柄を立てる道を探すしかないことは、小さい頃からはっきりと言われていた。出発に当たっては、祖父からは近衛隊長への紹介状を、父からはありがたい訓戒をいただいたが、それ以外には武士として絶対に必要となる武具しか用意してもらえず、服すら色の褪せた兄のおさがりだ。もちろん馬などが与えられるはずもなかった。

 そういうわけで、彼は、生家を出発してからすでに二週間近く首都を目指して歩き続けている。この森の通りづらさを聞いてはいたものの、良い天気が続いた今なら歩きやすかろうと期待して入り込んだ。しかし、予想に反して、湿気は皮膚にまとわりついてうっとおしいし、虫には刺されてかゆいし、かといって、急いで歩くと足元が滑り、疲れるばかりで逆に道がはかどらない。しばらくは靴にまとわりつく泥に悪態をついていたが、それにも疲れ、ここは武士らしくきっぱりとあきらめて、森を通り抜けるまで何も言わずに歩き続けようと決めていた。

 そんな森の半ばを過ぎたと思われる頃、苔の生えた大木の根元に、背負子をおろして休んでいる男がいた。風体から察するに行商人らしい。そこだけは比較的乾いている大木の根の瘤に座っている。げっそりした表情で、顔色もあまりよくないようだ。

 カールは、その様子を見て心配になり、男の前で足を止めて声をかけた。

「そこの男、どうした?」

 商人は、ゆっくりと首を巡らせてカールを見た。疲れているようだが、遠目で見たときに受けた印象ほど顔色は悪くない。

「ふむ、大丈夫のようだな」

 カールが先を急ごうと再び歩き始めると、男が声をかけた。

「旦那」

 カールが振り返ると、彼は、立ち上がっていた。

「いや、用事があるわけではなかったのだ。せっかく休んでいるところを邪魔してすまなかった」

「いえいえ、邪魔なんてめっそうもない。実のところ、疲れて休んでいたのではございません。この陰気な道がほとほといやになって、歩くことを放棄していたような次第でございます」

「うーむ、もっともだな。俺も、一日余分にかかってもいいから街道を行けばよかったと思っているところだ」

 商人は、そうですよねと相槌を打ちながら、背負子を持ち上げ背中に背負った。

「旦那、ご一緒してもよろしいですかね。一人で歩くよりは気分がいいんじゃないかと思うんですよ」

 そのあとしばらく、いろいろなことを互いに話しながら並んで歩いた。商人の名前は、ビノバーといった。この国の首都でカールの目的地でもあるゴグネスバネットに住んでいる。薬の行商人で、いろいろな薬を行李に入れて売り歩くのが仕事だ。薬は、かさばらないし高値で売れるので、小規模な商人にはいい商材だ。ここ一か月は行商の旅に出ており、今は、通り道にある村々で薬を売りながらゴグネスバネットに戻るところだ。商人は、カールがネッケル家の子息であると知って驚き、この旅でもホルミントルにあるネッケル家の領地を訪れて良くしてもらったことなどを話し礼を言った。その後しばらく、ネッケル家の領地での出来事や景気などの話が弾んだ。

 だが、時間が経つにつれ、森の湿気が二人の気分にだんだんと浸み込んで、口が重くなっていった。一時間も経った頃には、会話が途絶え、それぞれの憂鬱な気分に耐えつつ歩くのが精いっぱいになった。体力に劣る商人は、カールから少しずつ遅れていった。

 日が傾きかけたころ、ようやく道が乾燥してきた。カールは、しばらくそれに気付かず、足の運びが軽くなり背筋が自然に伸びて、ようやく道がよくなったことを知った。

「ビノバーさん、ようやく歩きやすくなったな。もうすぐ街道に出られるだろう」

 そう言いながらカールが背後を見ると、商人はどこにも見えなかった。いつの間にか、ずっと引き離してしまったらしい。行きずりの道連れに過ぎないのだからこのまま別れてもよいのだが、万一足でもくじいていると、あの荷物を背負っていては難儀するだろう。カールは、道を引き返し始めた。


 ほんの十数分も戻ったころ、男たちの話声が聞こえてきた。すごむような声が二つ、おびえているらしい商人の声も聞こえる。商人が何者かに脅されているようだ。カールは、足音を忍ばせて、だが急ぎ足に近づいていった。

「なにも、身ぐるみ剥ごうってわけじゃねえんだ。気持ちよく金を渡せば、荷物を持ったまま行かせてやるって言ってんじゃねえか」

「現金だけでいいんだよ。いまどきはお上がうるさくてな、品物じゃ足がついちまうんだ。お前たち商人にはいい時代になったよな。金さえ払えば、荷物も命も失わずに済むんだから。ちょっと前ならこうはいかないぜ。さあさあ、感謝してさっさと出しな」

「そ、そんなご無体な……」

 カールが木の陰に身を隠してそっと覗いてみると、あの商人が、大男二人に挟まれ、大剣を突き付けられていた。追剥だ。汚れたぼろをまとっているが、持っている剣はなまくらではなさそうだ。一人は胴を覆う鎧を、もう一人は鎖帷子を着込んでいる。どちらも立派なものだが、頭や腕はむき出しだし、靴も履いていない。どこかで剣と一緒に盗んできたのだろう、

 カールは、剣を抜いて、素早く走り寄った。

 商人のあちら側にいた男が気付いた。

「あ、あいつ、戻ってきやがった」

 それを聞いた手前の一人もカールに向き直った。商人もカールに気付いた。

「旦那!」

 カールは、剣を男たちに向けた。

「お前たち、何をしている」

 男たちは並んで立ち、まだ少年の面影を強く残すカールを見てにやにや笑った。

「おや、誰かと思ったら貴族の坊ちゃんかい」

「怪我しないうちにあっちに行っちまいな」

 カールも口喧嘩では負けてはいない。

「ほう、いい心がけだ。剣を交えるのは嫌だから見逃してくれるというわけだな。では、商人、行くぞ」

 商人がその言葉につられて歩き出そうとすると、鎧を着た男に拳骨で胸を突かれた。商人は、後ずさりしてしりもちをついてしまった。目前に剣がつきつけられる。

「ひぇっ」

「誰がお前も行けと言った? 行っていいのは、あの貴族のぼんぼんだけだ」

 カールは、いかにも困った声で割り込んだ。

「おいおい、その商人を放してくれんのか。この陰気な道だ。その人がいないと、気が滅入ってしょうがない。せめて街道に出るまでは一緒に歩きたいのだがな」

「たわけ、このばか。お前なんかに用はないんだよ。一人で行っちまいな」

「そうはいかんな。その商人とは友人なのだ。どうあっても一緒に行かせてもらうぞ」

 カールがじりっと寄ると、男二人は剣を構えて前に立ちふさがった。

「いいから行っちまいなって。怪我したくないだろ。お前は剣を持ってる。だから、お前が行ってくれないと、俺たちとしちゃお前を殺す羽目になるんだよ。最近はお上がうるさいから、それは嫌なんだ。お前も嫌だろ。お前が行っちまえば、みんなが幸せになれるんだよ」

 カールは、その言葉にかまわず剣を上げ、さらに近寄った。それを見た商人が叫んだ。

「その方は、ネッケル家のご子息だぞ! お前たちなど、足元にも及ばないお方なんだぞ!」

 追剥たちは、ひるんで一歩下がったが、それも一瞬のことだった。

「ネッケルだと? 嘘をつけ」

「ネッケル家の者が馬もなしか? ばかばかしい」

「ネッケルがこんな貧乏貴族だってのか。ちゃんちゃらおかしいや」

「やい、ネッケルとやら。何か言ってみろ。ネッケルといやあ、大英雄だ。お前みたいな貧乏野郎がネッケルなわけないだろうが」

 カールの顔が、ひくついた。

「カール様、本当でございますか? ネッケル家のご子息様だというのは冗談だったのでございますか?」

 商人が情けない声を上げた。ネッケル家の者なればこそこのような追剥など蹴散らしてくれると思い込んでいた商人は、度を失ってしまった。

「そういえば変だと思ったんでございます。ネッケル家の一員ともあろうお方がてくてくと歩いて旅をなさるなんて。ネッケル家の所領は豊かでございました。馬もなしなんて、そんな貧乏なはずがありませんもの。ああ、カール様、うそをおつきになったんでございますか?」

「ええい、何を言う! 貧乏呼ばわりなど許せんぞ!」

 かっとしたカールが怒鳴ったが、商人の耳には入らない。

「ああ、馬もない貧乏貴族がネッケル家の方だなんて、どうして信じてしまったんだろう。子供だか大人だかわからないような貧乏貴族が二人の追剥に勝てるわけがない。もうあきらめなければしょうない」

 それを聞いた追剥たちが笑いだした。

「どうだ、うそつき貴族。何か言うことがあるか」

「とんでもねえ嘘をついて、かわいそうな商人をからかったのか」

「お前みたいな嘘つきのぼんぼんなど、俺たちが懲らしめてくれるぞ」

 カールはわなわなと震えている。

「この追剥どもめ。好きなように言ってくれる。許せん」

 剣を振りかざし、一気に距離を詰めた。

「貧乏貧乏と言うな!」

 カールは、剣の一振りで鎧を着た男の剣を跳ね飛ばし、続けて鎖帷子を着た男と切り結んだ。あっという間に圧倒した上に蹴り倒した。そして、剣で追い立ててもう一人の男と一緒に繁みの際に追いつめてしまい、その前に仁王立ちになる。

「もう一度貧乏だと言ってみろ」

 追剥たちは、鼻先に突き付けられた剣に目を白黒させながら、尻をついたままで後ずさった。

「お、お助け」

「もう、嘘つきなんて言わねえから」

 しかし、カールの怒りは収まらない。

「さあ、もう一度貧乏だと言ってみろ。言ったら、褒美として、その口に剣を押し込んでやる」

「うわああ」

「もう、これで勘弁してくれ!」

 追剥たちは、腰に付けていた巾着袋を引きはがし、カールに向けて投げつけた。

 カールは、それを避けて大きく飛び退った。小さくしゃがんで腕で顔と目を守る。衝撃で破裂する火薬だと思ったのだ。だが、袋は、地面に落ちても破裂せず、ただ転がった。

 追剥どもは、カールが袋を避けている隙に逃げ出した。繁みの間に走りこみ、あっという間に見えなくなった。

「なんと、逃げ足の速い奴らだ」

 カールが繁みの向こうを透かして見ていると、やっと立ち上がった商人が寄ってきた。

「カール様、ありがとうございました」

「馬もない貧乏貴族だが、少しは役に立ったようだな」

 カールの嫌味に、商人は平身低頭だ。

「カール様、疑ったりして申し訳ありませんでした。でも、奴らがあんなことを言うもんですから……」

 カールは、商人をもう一睨みしたが、すぐに厳しい顔を緩め、剣を鞘に納めて笑った。

「まあいいだろう。奴らに脅されて動転していたことだしな。俺はもう気にしないことにするから、ビノバーさん、あなたも気にするな」

 商人は、心からほっとしたようだ。

「おかげさまで助かりました。やはりあなた様についてきて良かった。盗人も怖くありません」

「実害がなくてよかったな。ところで、これは何だ?」

 カールは、強盗が投げつけた巾着袋を拾い上げた。

「てっきり、火薬かと思ったが、そうではないな。じゃらじゃらと音がする」

「お殿様、それは、お金でございますよ」

「金? ここらの強盗は、つぶての代わりに金を相手に投げつけるのか? なんとまあ豪勢なことだな」

「いや、それはいくらなんでも。そのお金を差し上げるから命を助けてくれと言っていたじゃありませんか」

「ああ、そういえば。だが、金ごときで見逃してもらえると思われたとは、俺も馬鹿にされたものだ」

 商人は、今にも茂みの中に巾着袋を投げ捨てそうになったカールを押しとどめた。

「まあ、取っておきなさいな。そこらに捨てても無駄になるだけです」

「どうせ人から盗んだ金だろう。そんなものはいらん。あなたにあげよう」

 それを聞いた商人は、苦笑した。ネッケル家の当主も、この息子のように欲がないのだろう。いくら五男とはいえ、馬すら与えずに家から送り出すほど、かのネッケル家に経済的な余裕がないとしたら、このせいかもしれない。

「いやいや、私は、有り金全部を巻き上げられるところを助けていただきました。それで十分です。その金は、あなたがお持ちになるべきです」

「ううむ、では取っておこうか」

 説得されて、カールは、巾着袋を腰に縛り付けた。

「旦那、あいつが仲間を連れて仕返しに来るかも知れない。そのときには、またお願いしますよ」

「はは、強盗の金で用心棒を雇おうという腹か。ビノバーさん、あなたはちゃっかりした人だ」

「恐れ入ります」

 それから二人で歩き続けて、午後にはゴグネスバネット近くの街道に出た。国王は、商業を盛んにするために、衛士達を派遣して街道の安全を守っている。ここまで来れば大丈夫だ。それに、街道は、整備されていて歩きやすい。気楽に歩いても、夕刻には首都に着くだろう。

 この街道は、ゴグネスバネットに流れ込む川の一本に沿って走っている。その川には大小の船が行き交い、首都の繁栄ぶりがうかがわれる。カールは、懐に入れた祖父の筆になる近衛隊長への紹介状に服の上からそっと触れた。幼いころから訓練を受け、武士としての技術や精神力には自信がある。もうすぐ近衛士になって、その力を試すことができるのだ。カールは、希望に胸を膨らませた。


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