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俎上に載せる  作者: 野津
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03×当たり前の幸せ

 出会いから八年後。隠居を宣言した父王に代わって王位を継ぎ、まだ幾日と経たない頃。

 ヴィクサーは遠い泰東の地にいるはずの想い人と、思いがけず再会することになった。









 領事館を通じての祝電から遅れること二週間ほどして、和国の使者が新王の即位を言祝ことほぐ皇の宸翰をたずさえてハーツォグの王宮に足を踏み入れた。

 連日にわたって西方諸国を中心とする各国の使者とのやりとりを続け、やや疲労を感じ始めていた時分であったこともあり、ヴィクサーはこの和国の使者との謁見にさほど集中していなかった。



「覇国王陛下におかれましては、ご即位まことにおめでとうございます。こちらはわれらが皇より陛下にお渡しするよう預かってまいりました親書です。どうぞお受け取りください」


「ああ。遠路はるばる使者を遣わしていただいたうえ、若輩のこの身には過分な祝いの言葉まで頂戴し、皇のお心遣いはまことに痛み入る。ご厚誼に深く感謝するとお伝えあれ」



 棒読みにならぬよう、努めて尽力はした。…が、表面的な友好の微笑みこそ辛うじて維持できたものの、科白を丸暗記した舞台役者のような、心のともなわない通り一遍の返答はごまかしがきかなかった。


 紳士然とした壮年の使者は一瞬不快げに眉を撥ねたが、特に何も言わず一礼して退がっていった。

 謁見のあいだずっと、使者から少し離れた場所で面を伏せて控えていた小柄な和国の武官も、顔を上げぬまま頭を下げ、使者の背に続いた。


 肩の上で綺麗に切り揃えられたつややかな黒髪が、微風にまかれてひるがえる。

 ヴィクサーが視界のすみにそれをとらえてハッと眼を向けたとき、武官の姿はすでになかった。



「随行していた護衛の武官は女人か。いや、女子の軍属とは実に珍しい。……陛下ッ!?」



 重臣のひとりがこぼした呟きに、ひるがえる黒髪を見たとたん胸中にこみあげた言いようのない感覚が、まぎれもない確信に変わる。

 玉座を立つなり、ヴィクサーは今し方ぶ厚い扉の向こう側に消えた人物を追って、脇目もふらずに駆け出した。






 せわしなく動かす視線の先に、まっすぐに伸びた小柄な背が見える。

 ヴィクサーは長く延びた通路を駆け、曲がり角にさしかかったところでようやく相手をつかまえた。



「――待て! お前、カナだろう? 玉座にいたのはおれだと判っているはずなのに、どうして名乗りもせずに立ち去ってしまうんだ。顔ぐらい見せろよ!」



 藍の軍服に包まれた細い腕を取り、強引に足止めさせてこちらを振り向かせんとする。

 強張った躰から抵抗が伝わってくるが、そんなものは関係ない。



「…戸倉大尉、どうかしたかね」



 距離をへだてて響いてくる使者の声が、ヴィクサーの紫眼と交わろうとしていた漆黒の双眸を直前で逸らさせた。

 不粋な邪魔立てに思わず舌打ちしかけるが、眼の前の人物に顔をしかめられたくないと、ぐっとこらえる。



「いえ――私用ができました。片づき次第あとを追いますので、わたしのことは気にせず先に行かれてください」



 片づける、という事務的な表現に引っかかりを覚えるも、すぐに口元が笑みにゆるむ。



〈ああ、カナの声だ〉



 久しく聞く機会の得られなかった想い人の声。

 この八年間、聞きたくて聞きたくて仕方なかった声だ。


 ちょうどよい高さでつむがれる落ち着いた声音にうっとりと聞き惚れていると、要は振り返りざまにヴィクサーの手を振り払い、数歩分のをあけて敬礼の態勢をとった。



「――これは覇国王陛下、このたびはご即位おめでとうございます。遅ればせながらお祝い申し上げます。

 …して、本官に何かご用でしょうか」


「なんだよ。おれとカナの仲じゃないか、そんな他人行儀な態度はやめろ。前みたいに、おれのことはヴィーと呼んでくれ」



 自分の目線よりも下にある要の顔を覗きこみ、再びその手を握る。

 高揚した心境そのままに熱いヴィクサーの手と違い、両手でしっかりと握りしめた要の手は硬い顔つきと同様にひやりと冷たかった。

 その冷たさに眼をみはる間もなく、それは手の内からするりと逃げた。



「カナ?」


「――僭越ながら、覇国王陛下におかれましては、日々国事に忙殺されるあまり、かつての旧誼を実際よりもいささかばかり好もしきものとご記憶されているご様子。しかるに、今回こうして本官の姿を見たことで、ついご本心以上に懐かしくおぼされましたか」


「…え?」



 ――何だ、これ。一体何を言っているんだ?



 悪寒のようにザワリとうなじのあたりからわきあがる、漠然とした違和感。

 それまで眼もくらむような歓喜だけで埋め尽くされていた頭が、徐々に芯から寒々と冷えていく。



〈違う。何かが違う。こんな割り切ったような醒めた言葉が聞きたいんじゃない〉



 おかしい。

 今、要は自分のすぐ眼の前にいるのに、なぜこんなにも遠く感じてしまうのだろう。



「あのな、カナ。おれは、」


「取るに足らぬこの身をご記憶いただいていたことは大変光栄に思いますが、陛下はすでに一国を統べる君主であらせられるのですから、どうか本官のことは早々にお忘れになられますよう。

 つきましては、旧誼による過剰な親しみの情は、今後一切捨てられるが賢明かと存じます」


「っ」



 言いつのるヴィクサーをさえぎり、要は切り捨てるような口調でひと息にたたみかけた。


 それぞれの立場を踏まえた上での、節度をたもったよそよそしい態度。

 一貫して『他国の武官』の顔を崩さない要に顔面を殴打されたような強い衝撃を受け、ヴィクサーは喉を詰まらせて凍りついた。頭から思いきり冷水をあびせられたような感覚にとらわれ、地に足がついている気がしない。

 それでも震えわななく唇を動かし、何とか声をしぼり出す。



「おれは……この八年間ずっと、近隣諸国の治国の手本になるような王になるべく努力してきた」


「存じております。和国でも折に触れ、陛下のお噂を拝聴する機会がございましたゆえ」


「皇太子の時代から、つねに民の声に耳をかたむけ、彼らのことを第一に考えた政を行ってきたつもりだ」


「統治者としてまことにご立派な姿勢かと」



 今まで多くの人々が口々に並べ立ててきた賛辞。聞こえはいいが、しょせんはおべっかの社交辞令でしかないそれ。

 心底大好きな――利害も裏表もなく、ただただ好きでたまらない要の口から、そんなものは聞きたくない。



「…だから! それもこれも、全部お前に言われたから! お前と約束したから! おれは今日の今日までがんばってきたんだ! まさか忘れたわけじゃないだろう!?」


「は…。…約束、ですか?」



 眉をひそめ、思案するように黒眸を伏せる要を見て、ヴィクサーは愕然とよろめいた。



 ――彼女は、自分と最後にかわした会話すら憶えていないのか。



 この分では、あのときヴィクサーが何かにつけて要に対して連呼していた「好きだ」という言葉も、年端のいかない子どもが一時的に口に出したその場限りのものだと受け止めているに違いない。

 要するに、真剣な告白だとまったく認識されていなかったのだ。

 そうでなければ、どうしたってこうも味気ない淡々とした再会にはなるものか!


 喜色満面の笑顔から一転、今にも泣き出しそうな表情で打ちひしがれるヴィクサーに追い打ちをかけるがごとく、八年来の再会を果たしたの想い人はどこまでも冷徹だった。



「ともかく、ご用がお済みとあれば、本官はこれにて失礼いたします」



 ――要が遠ざかる。自分から離れていく。


 追い駆けたいのに、まだ一緒にいたいのに、傍にいて欲しいのに、もっと話したいことがあるのに。

 しかしヴィクサーは、どうしてもその背を追うことができなかった。


 ヴィクサーのなかで、何かが音を立てて崩れていく。

 そのままぱっくりと口を開けた真っ黒な絶望の奈落に足元からのみこまれそうになるが、足を踏ん張りかろうじてこらえる。



「……なんだよ、これ。どういうことなんだよ」



 ひとり呟く声がむなしい。

 再会の喜びは、幸福な記憶もろともむざんに打ち壊された。


 和国で要とともにすごした短い時間を何よりも大切な思い出として後生大事に心のなかにしまいこんでいた自分に対し、要にとってそれは単なる過去の一場面に過ぎなかった。

 そのことが無性に悔しい。悔しくて、かなしい。


 堂々と胸を張って要を妃に迎えられるようにと全力を尽くしてきた日々は、芽吹くままに守り育んできたこの恋情は、一体どうなるのだ。



「…ッ」



 その場に立ち尽くし、きつく歯を喰いしばってうつむく。

 すでに軍靴の音は消えていた。



「くそ…」



 握りしめた拳がパキ、と音を立ててきしむ。

 よくみがかれた大理石の床がにじんで見えた。







 その後も、ヴィクサーは何かと理由をつけて要を呼びつけては恋慕の情をむき出しにして距離を詰めようとはかったが、要は地位と階級の差を盾に彼を突き放し、終始つけ入る隙を与えず、帰国の途につくその日までがんとして自身の範疇に寄せつけなかった。


 八年前にあった当たり前の幸せは、もうどこにも見出せなかった。

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