01×思うことさえ許されない
大小合わせて数十もの国がひしめく大陸のなかにあって、もっとも長きにわたって存続し、強力な統治体制のもと建国以来変わらず国力増強につとめてきた、泰東を統べる強国――和。
上代のいにしえより、和国臣民があまねく忠義と尊崇とをささげる絶対無二の君主・皇の住まう皇宮より北面――皇都のやや郊外寄りに位置する閑静な邸宅にて。
軍部唯一の女将である要は、父から与えられた私室で文机につき、難しい顔でひとり物憂い思案にふけっていた。
「…」
かんばしくない報告ばかりが機械的に並べられた機密文書の束と、無言で向き合うことしばし。
静寂な時間は、例のごとくさる闖入者の乱入によって突如断ち切られることとなる。
「――カナーーッ!」
ばあんっ、と勢いよく障子が左右に開かれ、要は頭痛を訴える額を軽く押さえる。
書面をふせ、端坐した態勢でゆっくりと躰を向けると、案の定よく見知った人物がそこにいた。
「お…お客さま! お待ちください、そちらは…!」
遅れて追いついた女中が要に気づき、今にも泣き出しそうな青い顔になって頭を下げる。
「……も、申し訳ございません!」
要はぐるりと頭をめぐらせた。
――おさげで丸顔、歳のころは十四、五といったところか。初めて見る女中だ。
ということは、つい最近雇われたばかりの新顔か。
〈かわいそうに、きっとこの男の取り扱い方について、ほかの使用人から事前に何も指導を受けていなかったに違いない〉
おそらく、客のおとないを告げようと奥に下がった隙に、邸に上がりこまれたのだろう。
頭のてっぺんから足の爪先までどっぷり西方文化に浸かったこの異国の青年は、和国古来の常識にのっとり、取り次ぎ役の者が戻ってくるまでおとなしく玄関先で待つような男ではない。
これでも最初と比べて、靴を脱ぎそろえるようになっただけまだマシだ。
「…いや、いい。いつものことだ」
奉公に出て早々、不運にみまわれた幼い少女を不憫にこそ思え、とがめる気など毛頭ない。
要は何でもないことのように至極さらりと受け流し、失態に震える歳若い女中に同情をこめた穏やかなまなざしで下がるよううながした。
「カぁナぁ」
はなばなしく登場したにも関わらず無視同然で放置された青年が、すねたように唇をとがらせる。
だが要は、恨みがましげな彼の視線を、眼を細めて睨みかえす。
「まったくそなたは……――いいか、案内の人間が座敷【⋆1】に通すまで待て。許可なく邸に上がりこむな。先導よりさきに訪問相手の部屋に行くやつがあるか。室内の状況を確かめもせず勝手に障子を開けるな。しかもここは私の私室ではないか。礼儀知らずにもほどがあろう。郷に入りては郷に従えと、何度言えば判るのだ。うちの者を困らせるな」
「それだけ早くカナに会いたかったんだ。第一、俺は今まで数え切れないくらいこの邸に来てお前を訪ねているんだぞ、今更案内なんざ必要ないだろう。
そもそも、シキタリだか礼儀だか知らないが、この国はいちいち手順が細かすぎる。煩瑣の連続だ。面倒に感じないのか?」
「何事にも礼節を重んじるのがこの国の伝統だ。わずらわしいならばもうここに来なければいい。そうすればそなたも面倒がなくなり、こちらも頭痛の種が消える。万事解決だ」
「その解決案だけは断固却下」
瞬時にして、力強い声で迷いのない答えが返ってきた。
無駄に反応がいい。
〈そこは即答するのか〉
思わず脱力しかける要に、青年はことさら大仰に肩をすくめてみせた。
「しかたがない。カナに会うためだ、我慢しよう」
「おとないをやめるという選択肢はないのか」
「ああ、ないね」
「…そなた、それでも一国の王か。とっとと国に帰れ、身勝手な男め」
――そう。あっけらかんとした調子で要とかけ合う金髪紫眼のこの若者こそ、和国と並び立つ強国として全土に名を知られ、西方の雄とも称される大国ハーツォグの若き王、ヴィクサー=ファルツ=エルフェージュその人なのである。
邸内でそれを知るのは、今のところ要だけだ。
「ま、何はともかく、一週間ぶりだな、カナ。俺と会えないあいだも元気にしていたか?」
「その名で呼ぶなと散々言っているはずだが」
溜息まじりに指摘するも、ヴィクサーは意に介さずズカズカと部屋に入ってくる。
隅に置かれた座椅子を要の近くに引き寄せてそこにどっかと坐ると、文机上の書面など見向きもせず深い紫の双眸でじっと要の顔だけをのぞきこみ、端整な面を嬉しげにほころばせた。
「うん。いつ見てもカナはかわいいな。それに、俺より歳下に見える」
「…相も変わらず眼の腐れ具合はそのままか」
いや、眼だけでなく頭もおかしいのだろう。
要は本気でそう考えている。
【⋆1】ここでは客間のこと。
皇は『おう』、『こう』、『すめらぎ』、その他可能な読みを各自ご自由に当てていただいてけっこうです。
参考までに、作者自身は一応『おう』と読んでおります。場合によって多少変化しますが