六、
十二天将たちからの試練を乗り越え、契約を交わした護は、再び人界に戻された。
夢だったのかとも思ったが、体に残る疲労感と倦怠感がその考えを否定する。
今にも閉じそうなまぶたを、どうにか開きながら、時計を確認すると、深夜近くになっていたことは、どうにか認識できた。
それを確認すると、耐え難い眠気が襲い掛かってきた。
「……やば……もう、ねむ……」
護はよろよろと、布団の方へと歩いていき、倒れ込んだ。そして、そのまま、意識をまどろみの中へと落としていった。
目を開けると、桜が舞っていた。
布団にダイブしたところまでは覚えているのだが、それからどうなったか、覚えていない。
しかし、目の前の光景を見れば、自分がどうなったのかは簡単に推測できた。
「……そうか、寝ちまったのか。俺」
ぽつりとそう呟くと、顔面に、正確には鼻から上の部分に違和感を感じた。
ふと、自分の顔に触れてみると、明らかに人体とは異質なものに触れる感触があった。
顔につけるもの、そしてこの感触で思い当たるものはただ一つ。
朱雀たちと戦闘したときに身につけた、狐の仮面。
――そうか、これが俺の、半妖としての証なのか
いま護がいるのは夢の世界。肉体ではなく、精神の世界だ。そして、今の護は人間ではなく、半妖だ。
精神の世界では、その人物の内面の中で、より強い側面が現れる。
封印を解いていないのに、この面が出てきているということは、護の内面は人間としての側面よりも妖としての側面が強いのだろう。
その証拠に、仮面を外そうと試みたが、外れない。まるで、自分の顔の一部であるかのように、硬いのだ。
外せないことを悟り、護はそっとため息をついて、仮面から手を離した。
「……ここに月美がいたら、何言われるかわからんな」
「誰がいたら、何を言われるって?」
「……やっぱり、来てたか」
声のした方を向くと、そこには、おそらく一番心配していたであろう人がいた。
「こっちの話だよ……というか、お前、俺が誰だかわかってるか?」
「わかるよ。だって、ここは夢殿だもの」
ここで会えるのは、あなただけだから。
月美はそう言って、護のもとへ歩み寄り、腰に腕を回し、胸元に顔を埋めた。
護はそれを受け止め、そっと、彼女の頭を撫でた。
言いたいこと、伝えたいことは、それだけで十分伝わってきた。
「……夢殿にいるときは、顔、見れないんだね」
「半妖になると、これがつくみたいなんだ……なんか、ごめんな」
「ううん……決めたことだから。でも、やっぱりちゃんと顔見れないのは、寂しいよ」
「……ごめん」
自分が選んだこととは言え、大切な人を悲しませる結果になるとは思ってもみなかった。
けれども、護は十二天将に誓った言葉を違えないために、こうなることを選んだ。そして月美も、護がこうなることを受け入れることを決意していた。
だから、後悔はしない。していない。
互いにそのことはわかっていた。だから、言葉は交わさない。
しばらくのあいだ、意識が現世に引き戻されるまで、二人は言葉を交わさず、そのままでいた。
――護は、試練を乗り越えたか
翼は、十二天将全員が自分のいる場所からいなくなったことを感じ取り、護が試練を乗り越えたことを直感した。
――しかし、契約ができたからといって、早々に新しい主のもとに行くというのは、少々冷たすぎやしないか?
翼は手元に置いていた湯呑を口元に運びながら、内心、そう呟いた。
彼らが自分の配下にあることを不満に思っていたことは感じていた。口には出していなかったが、呼び出すたびに、彼らから嫌な雰囲気を感じていた。
原因はわかっている。
護と自分では、霊力も魂に宿る神通力も雲泥の差だ。
護の霊力は、それこそ、安倍晴明の再来と呼ばれてもおかしくないほどだ。
無論、それを望まなかったわけではない。そして、それが自分の一族であれば、と思ってはいたが、まさか自分の息子がそれであるとは思いもしなかった。
そして、それは本当の意味での「再来」であったとは、それこそ驚愕としか言い様がなかった。
――これでもう、思い残すことはない
土御門家の次代当主はすでに決定している。そして、十二天将たちも継承者として護を認めている。
あとは、この戦いを早々に終わらせるだけだ。
「……さて、状況が状況なら、私も出るか」
「……雪美」
「ごめんなさい。つい」
いつの間にいたのだろうか、雪美がくすくすと微笑みながらこちらに来ていた。
護と月美には見せていなかったが、雪美は基本的にいたずら好きだ。それも、翼にだけしかいたずらをしないから、やられる本人としては少々タチが悪い。
もっとも、その性格に惚れて、こうして今もつれ合っているのだが。
「……戦場で、散るおつもりですか?」
「さすがに、わかるか……」
「あなたと連れ添って、何十年だと思うんです?」
雪美はそっと微笑み、翼の隣に座った。そのまま、頭を翼の肩に預け、寄り添った。
翼はそっと雪美の手に自分の手を添え、そっと握り締めた。
言葉を交わすことなく、二人は沈黙を守っていた。
不意に、雪美が口を開き、同じことを問いかけた。
「戦場で、死ぬつもりですか?」
「死ぬ気はない。だが、何が起こるかわからないからな」
死ぬ覚悟は、しなければならない。
翼は雪美の方に視線を向けた。視界に入った彼女の顔は、悲しみに曇っていた。
彼女も、翼がいつ死ぬかわからないことはわかっている。けれども、今まで、死にかけることはあっても、死ぬような事態には陥らなかった。
しかし、自分たちが置かれている状況は、本当に死を覚悟しなければならない状況だ。
それも、彼女はわかっている。
けれども。
「……愛した人を失う悲しみは、わかっていますよね?」
「……わかっているさ」
「なら、死なないでください」
死ぬかもしれないとはいえ、戦場で死ぬ覚悟ができているとはいえ、生きて帰ってきてください。
それは、雪美の切実な、そして強い願いだった。




